誰に評価されているのか?

今日は新聞休刊日ですが、週末の日経新聞から。「働くということ2005」の「常識異変」というコラムです。

…民の官に対する視線は厳しい。人事院が今年3月発表したアンケート調査では「国家公務員に信頼感を持っていない」「全般的には持っていない」の答えが三割を超えた。
 一方の官の側には理解されないという不満も強い。官僚自信は55%が「社会に貢献している」と思っているのに、「仕事の成果が正当に評価されている」と感じるのは5%だけ−−。リクルートのワークス研究所の調査ではこんな官僚たちの胸の内も浮かび上がった。
 すれ違う官と民の「常識」。民の姿勢を謙虚に受け止めることが官の変革への条件だ。
(平成17年6月12日付日本経済新聞朝刊から)

さらっと読むとそうかな、と思わされてしまうのですが・・・。


このワークス研究所の調査についてはhttp://www.works-i.com/special/tyosa-no-mori_3.htmlに出ていますが、この「正当に評価されている」というのは「業績が正当に評価され、昇進に結び付いているかに疑問を感じている。」ということのようですから、この記事のいうような「民が官をどうみるか」とは全く関係ないのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか?こんな調子ですから、「働くということ」特集全体が信用ならないのです。
それはそれとして、官の信頼感が低いのだとしたら、それはあまりにも明らかなムダや不始末といったもの(たとえば社会保険庁のていたらくや、大阪市のインチキな手当など)がビジブルになってきたことが大きいのでしょう。日経新聞も、「いかに『社会に貢献している』と思っているからと言って、地場よりも2割も高い賃金や、ゴミ回収で年収1,000万円などということは許されませんよ」ということを云いたいのであれば、それはそれで正論ではありますが。