ホワイトすぎて辞めたい

 もう2週間くらい前になりますが、日経新聞の「ホワイトすぎ 若手が離職」という記事が話題になっておりました。

 「職場がホワイトすぎて辞めたい」と仕事の「ゆるさ」に失望し、離職する若手社会人が増えている。長時間労働やハラスメントへの対策を講じる企業が増えたほか、新型コロナウイルス禍で若手に課される仕事の負荷が低下。転職も視野に入れる彼らには成長の機会が奪われていると感じられ、貴重な人材に「配慮」してきた企業との間で食い違いが起きている。
 リクルートワークス研究所の調査によると、…働き方改革によって増えた「ゆるい職場」がかえって若手の不評を買っている。
 同調査では大企業に勤める就業3年未満の若手社員の49%が「別の会社や部署で通用しなくなるのではないか」と不安を募らせる。職場を「ゆるい」と感じるとした若手社員の16%が「すぐにでも退職したい」と答え、41%が「2,3年は働き続けたい」と退職も念頭に様子見をするとしている。ゆるい職場にずっととどまるイメージを持てないでいるのだ。
(令和4年12月15日付日本経済新聞夕刊から)
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20221215&ng=DGKKZO66845140V11C22A2KNTP00

 この「リクルートワークス研究所の調査」はこの3月に実施された「大手企業における若手育成状況調査」で、以下の報告書が公表されています。
https://www.works-i.com/research/works-report/item/youthemploymentsurvey.pdf
 これは非常に興味深い、よく考えられた調査で、調査にあたられた古屋星斗先生の解説記事も公開されていてたいへん面白いので一読をおすすめします。
https://www.works-i.com/project/youth/solution.html
 冒頭で「大手新入社員の36%が職場を「ゆるい」と感じている」という調査結果が示され、続けてこう述べられています。

 この結果は、読者各位の予想通りだろうか。ぜひ、入職当初の職場を思い起こして御覧いただきたい。当時の職場に対して、「ゆるい」という表現が出てくるだろうか。筆者はこの単純集計の結果だけでも、若手を取り巻く職場環境の構造的な変化を物語っているように感じる。
https://www.works-i.com/project/youth/solution/detail001.html

 これに関するマネージャーの座談会というのもあり(https://www.works-i.com/project/youth/ikusei/detail003.html)、その参加者も「正直、私の新人時代とは全然違いますね。とあるメーカーで営業をしていたのですが、今思うとパワーハラスメントの嵐でした」「新入社員の時は労働時間がかなり長かったです。月曜日に出勤して、金曜日までほぼオフィスで寝泊まりする感じで、あまり人間扱いされていなかった気がします」などと発言していています。
 そこで職場環境の構造的な変化ということになるわけですが、古屋先生(や日経新聞)は働き方改革による残業の減少、パワハラ防止法の成立、柔軟な働き方の拡大などを上げていて、まあそれも大きいと思いますし、直接の契機だったのかもしれないとも思います。 その一方で、ではこのマネージャーさんたちの新入社員時代には許されていたことが、今はなぜ法律で禁止しなければならなくなったのかという問題があり、それがまさに古屋先生が指摘される「キャリア安全性」ではなかったかと思うわけです。たしかにパワハラ長時間労働がひどかったとしても、それに見合ってあまりある将来展望が持てたということでしょう。降りかかる火の粉を払い続けていけば、まあ2,3年でひとり立ちし、6,7年で主任とかの肩書がついてそれなりの難しい仕事が与えられ、10年もすれば係長になって部下がつき、課長クラスともなればかなり大きな取引を任され、部長クラスになれば社運のかかるプロジェクトを…とか、まあそう上手くはいかなくても課長くらいにはなれて、仕事は有能な係長に任せて自分は右手にハンコ持って左手にうちわ持って職場の人間関係を良好にすることに専念するとか、まあそういうのが見えていて、たぶんそうなるだろうなと自信が持てるくらいには周囲にロールモデルがいたという、まさに「キャリア安全性」が担保されていて、会社任せのキャリアでも多くの人がハッピーになれるという環境だったからこそそれが許されたのでしょう(耐えられた、とも言える)。
 ただもちろんそれは国家経済と企業組織が拡大していた高度成長期だからうまく成り立っていた話であり、安定成長期にはいろいろきしみが出てきたけれど、まああれこれと手立てを尽くしてなんとか維持してきた、それが低成長になっていよいよ維持が難しくなってきたというのがここ20年くらいの状況でしょう。パワハラ長時間労働に耐えてもそれに見合った先々の「キャリア安全性」が提供されないのであれば、パワハラ長時間労働を正当化することはできないし、したがって禁止すべきだという話になるのも当然の成り行きです。でまあ先々部長や役員になっていくような人はいいんじゃないのというのが裁量労働制の拡大とかそういう話ではなかったかと(すみませんかなりずさんなまとめです)。
 したがって「ゆるい」この状況がバリバリ働いてスキルとキャリアを伸ばしたいという野心的な人には物足りないというのはよくわかる話ですが、逆にいうとそういう野心的な人が満足できていない状況が「ゆるい」と表現されているともいえるでしょう。この調査の「ゆるい」は完全に回答者の主観なので、同じ状況であっても野心的な人は「ゆるい」、野心的でない人は「ゆるくない」と回答するだろうと思われます。
 つまり問題はミスマッチなのであり、野心的な人を「ゆるくない」仕事に配置できていないという質的なミスマッチと、そもそも野心的な人の人数分の「ゆるくない」仕事が準備できないという量的なミスマッチがあるものと思われます。全社はマッチング手法の改善で対応できますが、後者はそうはいかない、ここに人事管理の構造的な問題点があるのだろうと、まあ例によっていつもの話です。そうなると、野心的な人が「ゆるくない」仕事を得られるかどうかは多分に本人にはどうしようもない運不運の影響が大きくなってくるわけですね。
 したがって、日経の記事はこのあと上司のコミュニケーションがヘチマとか仕事の全体像が滑った転んだとかいう展開になるわけですが、もちろんそれも大事でしょうが本質的な解決にはならないわけで、実際記事も続けてこう書いているわけですよ。

「社の理念に賛同しても、現在いる部署で同じような意欲が湧くとは限らない」(NEWONEの上林さん)。企業はホワイトかそうでないかで悩む前に、このギャップを埋める必要がある。

 この上林さんという方がそういう意味で言われているのかどうかはわからないのですが、まさに「野心的な人」と「ゆるくない仕事」のギャップを埋めなければならないわけで、質的なギャップは埋められるかもしれませんが量的なギャップは埋めにくいよねと、そういう話なわけです。であれば不運にも「ゆるい」仕事しか割り当てられなかった野心的な人は転職に活路を求めるのも当然ということでしょう。
 それはそれとしてこの「キャリア安全性」という概念はなかなかに興味深いもので、今後さらなる調査研究の発展を期待したいところです。