パチンコ屋の駐車場

年末のニュースからひとつ取り上げます。

 二十八日午後九時半ごろ、三重県いなべ市大安町高柳のパチンコ店駐車場に止まっていた軽ワゴン車の後部座席で、生後六カ月の長女の体が冷たくなっているのを、同日朝から約十二時間パチンコをして戻ってきた同町在住の父親の会社員男性(29)と妻(36)が気付き、同市内の病院に運んだが、すでに死亡していた。検視の結果、同日午後三時ごろに、血液循環が悪くなる急性循環不全による死亡と確認された。
 員弁(いなべ)署は、保護責任者遺棄致死の可能性もあるとして両親から事情を聴いている。
 調べでは、両親は同日午前九時半ごろから、午後九時半ごろまでパチンコに没頭。途中で十回ほど駐車場に戻り、長女の様子をみたが、チャイルドシート内で眠っているようだったので、車内に入って確認したり、ミルクを与えたりしていなかった。エンジンは切っていた。
(平成16年12月30日付産経新聞朝刊)

真夏になると毎年1〜2件はこの手の事件が起きますが、考えてみれば冬場も寒さだって怖いはずですね。まことに痛ましい事件で、両親が揃って12時間もの間乳児を放置していたという異常さにはあきれ返るほかありません。
それとは別に、私はこの手の事件が起きるたびに、ある種の感慨にとらわれます。こうした事件が毎年繰り返され、いまだになくならないのは、両親の問題だけではなく、なにか根本的な問題があるのではないかということです。
私は案外、こうした事件は、少子化問題の本質に迫っているのではないかと思います。あえて下世話な言い方をすれば、「子どもがいると、夫婦でパチンコひとつできない」ということです。子どもを死なせてしまったこの夫婦も、もちろん悲しみと後悔に暮れているものとおもいますが、その傍らで、「ああ、やはり子どもなんかつくるんじゃなかった」との思いも禁じえないのではないでしょうか。
私はパチンコをやらないので良くは判りませんが、一般的には決してぜいたくではない、庶民的な楽しみというのが普通の見方でしょう。子どもができると、こうした当たり前の楽しみもあきらめなくてはならないわけで、これだけ豊かになったこの国で、それが耐えられないという人が出てくるのは当然ではないかと思います。
いま、世間では「子どもを産むと仕事が続けられなくなる。だから少子化は企業が悪い」という議論がしきりに行われます(そういえば、3日の日経新聞「少子に挑む」もそうでした)。まあ、そういう部分も多々あろうとは思います。行政は企業内託児所に並々ならぬ期待を寄せているようでもあります。とりあえずは企業を悪者にするのが、大方の納得を得られやすいのでありましょう。
しかし、本当に少子化をなんとかしたいのなら、子どもを産んでも仕事ができるだけではなく、週末の夫婦でのパチンコもできるようにしなければ、おそらく効果は乏しいでありましょう。仕事中だけ、働く人だけに企業が育児サービスを提供したところで、その効果は限られましょう。
やるのであれば、企業だけでなく、パチンコ屋はもちろん、デパートも遊園地も公的施設も、すべて廉価での託児サービスを義務づけるくらいのことを考えてみてはどうでしょう。もちろん、企業はその分賃金をカットせざるを得ませんし、パチンコ屋はその分値上げしなければなりませんし、公的施設の管理者たる行政は増税せざるを得ないでしょう。それでよいのであって、費用は子どものある人ない人から一律に回収すれば、それは子どものない人からある人への所得移転であり、育児への補助金になります。
少なくとも、子どもを生んだ女性は一律に一階級昇進させろなどといった作家のバカな思いつき(作家としてはたいへん立派な方だと思いますが)よりははるかにマシなような気がします。