元日朝刊

あけましておめでとうございます。
本年も、「労務屋」と「吐息の日々」をよろしくお願いいたします。
さて、我が家では読売新聞と日経新聞を購読しているのですが、新年早々、日経新聞の1面特集をみて引っくり返りました。
今年も例年どおり、通年の企画特集を1面トップに持ってきており、テーマは「少子に挑む ニッポン大転換」となっています。少子化問題を取り上げるもののようです。それ自体は時宜を得たものといえましょう。内容的にも、一昨年の「日本病を断つ」のような、異常なまでの自虐ぶりとデタラメぶりに較べれば程度としてはずいぶん穏健で、まあ今年は軽く引っくり返らせていただきました。
1面トップ記事がいきなりこう書きます。

徳島県の山あいにある木沢村。二〇〇四年は村史に刻まれる年になった。無残なつめ跡を残した台風10号の襲来、生徒不足による村立中学の廃校。なにより村長の中東利延(69)が考えもしなかったのは、村に子どもがひとりも生まれなかったことだ。

トップの写真も10歳くらいの女の子が一人教室にいる姿で、キャプションは

高知県安芸市の市立東川小学校も廃校の危機。児童は5年生の男子と2年生の女子の2人だけ。少女は「同学年のクラスメートがほしい」

まあ、たしかに印象的な事例ではありますよ。少子化問題のひとつの現われでもあるでしょう。でも、これらはどう考えたって、少子化というよりは過疎の問題でしょう。実際、木沢村の記事は、

中東は村を若返らせようと懸命だ。出産祝い金や結婚仲介者への礼金。よそから若い女性たちを自宅に招いて村の男を紹介したりもした。成果はない。「いい方法あったら教えてくれんか」。隣町などとの合併話が持ち上がった。子どもが減り、村民が減り、村の名前が遠からず消える。

こう続いています。これはもう、明らかに過疎化、出産力のある若年世代の流出が問題だということであり、少子化が問題だという感じはしません。
過疎化の問題まで少子化の問題であるかのように書くことで事例のインパクトを強め、それを前面に押し出して印象論、感情論で主張を訴えようというのは、科学的な政策論とは対極にあるものですし、「報道」の姿勢としてもいかがなものかと思います。アジテーションの手法としてはありふれているでしょうが。
もっとも、日経のこの記事も、

おとなたちの思いはさまざまだろう。産みたくない、産みたくても踏み切れない、産むと損するかも、子育てより自分――。子どもを負担と感じる人が増えた。

という部分はかなり核心に近いような感じがします。とはいえ、大見出しの「さあ 国も会社も男も女も」を見るかぎり、あいかわらず企業を悪者にするだけの不毛な議論に終始しそうな予感もします。さすがに、「日本病を断つ」のような惨状には至らないものと思いますが・・・もっとも、「日本病」の連載は最初5回の副題が「衰退」、次の5回が「不全」という自虐ぶりでしたが、今回も見出しに「衰退の足音」とある点は共通していますので、かなりのシロモノになるかもしれません。もちろん、少子化そのものは大問題ですから、より科学的、建設的な議論を期待したいものです。