大久保幸夫・石原直子『女性が活躍する会社』

ワークス研究所の大久保幸夫・石原直子両先生から、ご著書『女性が活躍する会社』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

内容的にはこれまで議論されてきた女性活用のための取り組みをコンパクトにまとめたもので、女性活用の掛け声もいさましく、多くの企業が本腰を入れ始めている昨今、まことにタイムリーな企画と申せましょう。男性に対しては管理職ポストは限りがあるから専門職をめざせという論調が多いのではないかと思いますが、女性は最初から専門職ではなく管理職もめざしましょうと言っているのが面白いところです。まあ、ポジティブ・アクションがある間は、女性は管理職登用のチャンスが多いので、管理職を目指すのも有利な考え方かもしれません。大臣ポストですら女性優遇(?)があり、各種審議会委員などにも女性枠が拡大している(らしい)ので、おおいに利用するのがいいということでしょう。

「りふれは」の話

さて日頃お世話になっている読者の方からhamachan先生のこのエントリにコメントを求められたのですが…。
「やっぱりこいつらは「りふれは」」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-9c68.html
短いものなので全文を引用しましょう。

 人々の福祉を真摯に考えている人々に対し、丁寧に説明しようとするのではなく、あそこまで平然と罵声を浴びせることができるその心性を見るにつけ、こいつらはやっぱり「りふれは」という蔑称で呼ぶべき連中だという印象を再確認。
 社会保障や福祉をそこらの低劣なクローニーキャピタリズム呼ばわりできる心性ってのは、本当にもうどうしようもないな。斬ることすら刀汚しって奴だ。
 「あなた方の気持ちは全く同感だけれども、その目的を達するためにこそ今ここではこうなんだ」の一言を語る人が一人も出てこない惨状。
 所詮そういう輩だったってこと。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-9c68.html

コメント欄でも指摘されていますが、駒崎弘樹さんが「財務省レク、僕も受けました。僕としては、子ども子育て支援の財源が消費税に紐づいているため、増税に賛成せざるを得ません。」とツイートされたことに対する反応のことを指しているようです(コメント欄でまとめサイトが紹介されていますhttp://togetter.com/li/742165)。また、コメント欄では続けて長文のやりとりがありますが、それを読むと「人々の福祉を真摯に考えている人々」は駒崎弘樹さんだけではなく、駒崎さんにレクをした財務官僚の方も含まれているように思われます。
そこで私の意見というか感想ですが、まずhamachan先生が「あそこまで平然と罵声を浴びせることができるその心性」と書いておられる「口の利き方」については私もまったく同感です。私は駒崎さんという方を存じ上げないのですが、子育て支援に善意で・信念を持って・熱心に取り組んでおられる方とお見受けしますし、財務官僚もその職責に忠実に使命感を持って公務に従事しているのでしょうから、そういう人たちに対して発言する際には一定のレスペクトをもってすべきというのはコミュニケーション上の当然の作法と申し上げるべきでしょう。それを欠いている人たちは、hamachan先生から「こいつらはやっぱり「りふれは」という蔑称で呼ぶべき連中だ」と罵倒されても甘受しなければなりません。単純な話で、自分が相手にやったことは相手からやり返されても文句は言えない、罵倒したら罵倒し返されるのが当たり前ということですね。駒崎さんに対する「口の利き方」もさることながら、財務省に向かって陰謀だの洗脳だの連呼するのは私も見ていてうんざりするところです。
ですから、本当に予定通りの消費増税は見送るべきだと考えているのであれば、いかに相手の言い分がおかしいと思ったとしても、匿名をいいことに口汚くののしってはいかんのだろうと思います。それはたしかにそういう意見の人たちの品性が疑われるという点でひいきの引き倒しですし、そういう意見を主張する人ほど、悪しざまな「口の利き方」には批判的であるべきだという点ではhamachan先生のご意見はきわめてごもっともと思えます。
いっぽう、同じ「口の利き方」でも「社会保障や福祉をそこらの低劣なクローニーキャピタリズム呼ばわりできる心性ってのは、本当にもうどうしようもない」というのはそれほど単純ではないように思われます。
これはいなば先生が「言うとくけど駒崎さんの論法ってクローニーキャピタリズムやからね」とツイートされたことを念頭におかれているのだろうと思われます。まあたしかにいなば先生の「口の利き方」も軽い口調で(これまたなぜに関西弁?)hamachan先生がイラッとされるのも無理ないと思いますし、その後の他のエントリ(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html)でも「駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎」と罵倒されているくらいで、hamachan先生には「クローニーキャピタリズム」という語は「低劣な」「下司下郎」と同等程度の罵倒表現であるというご事情があるようです。
しかし私としてはいなば先生が「低劣なクローニーキャピタリズム」とまでは言っておられないことには十分留意すべきではないかと思っています。「クローニーキャピタリズム」という用語に対する評価にコミュニケーションギャップがあるのではないかと思うわけです。
以下はいなば先生とは全く関係のない私個人の感想ですが、私ももちろん社会保障や福祉が近代国家においてきわめて重要なものであると考えています(だいぶ以前にご紹介しましたが私の立ち位置を診断すると「福祉国家寄りのネオリベ」ということになるようですhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100715#p1)。とはいえ、たぶんhamachan先生ほどには社会保障や福祉が神聖不可侵なものであってそれに携わる人も聖職者である(べき)とまでは考えてはいないのだろうとも思います。
これは定義次第という部分も大きいのでしょうが、ここでの文脈から考えれば「クローニーキャピタリズム」とは「他人の負担を含む増税を財源に自らの利益・関心事に関係する支出が増えることは好ましいという考え方」を指しているのではないかと思います。だとすれば「子ども子育て支援の財源が消費税に紐づいているため、増税に賛成」という駒崎さんのツイートを「クローニーキャピタリズム」と表現することもそれほど不自然な話ではありません。要するに一握りの市場原理主義者を除けば世の中はクローニーキャピタリスト(?)だらけなのであって、ただその優先順位が違うだけなのではないでしょうか。子育て支援にこそ最優先で財源を振り向けるべきだと考える人もいれば、いや再生エネルギー拡大にこそ財源をと言う人もいるでしょうし、農業保護にこそ最優先に財源を配分せよと主張する人もいるでしょう。こうした人々の多くはやはり善意で真摯な人々であり、しかし財源が限られているところに財務官僚の最大の苦心があるのでしょう。結局は政治的に優先順位をつけざるを得ないわけですが、このような多数の・多様なクローニーキャピタリスト(?)たちの努力を通じて社会が進歩してきたのではないかとの思いは禁じえません。ということで、私はhamachan先生に較べると相当程度クローニーキャピタリズムに価値を見出しているという点に少し違いがあるように思われます。
さて続く「「あなた方の気持ちは全く同感だけれども、その目的を達するためにこそ今ここではこうなんだ」の一言を語る人が一人も出てこない惨状」というのは、まあ上記togetterまとめをみるとそれなりにそれに近いことを語っている人もいるように私にはみえますし、140字というtwitterの制約を考えると致し方ない部分もあるように思われますが、しかしお気持ちはたいへんによくわかります。ただしあなた「方」と駒崎さん以外にも「全く同感」を求めてしまっているところには私としては不満もあり、この「方」というのはコメント欄のやりとりにあるように財務官僚のことを指しているのかな。だとしたら「全く同感」と言える人もだいぶ減るようには思います。
ということで(大仰すぎる書き方ですが)社会保障や福祉は神聖不可侵とするhamachan先生の政治的意見を考慮すれば私は先生の憤りはたいへんによく理解できるところです、というのがご質問へのお答えになりましょうか。ご期待にお応えしていないような気もするのですがご容赦願えれば。
さてご質問への回答は以上ですが、議論の中身に関する私の感想をいくつか。と申し上げても繰り返し書いているとおり予定どおり消費増税することについて私に特段の定見があるわけではありません。経済情勢に加えて、政策の一貫性とか予見可能性の観点から予定通りの増税を支持する考え方はありそうだということは何度か書いてきましたが、しかし最近では海外のメディア、さらには政策当局関係者?などからも大意「日本が景気後退して世界経済に迷惑がかかるのは困るから消費増税ちょっと待て」というような意見が聞かれるようですので、まあ「世界経済に配慮する」というあたりで(「アメリカの言いなりになる」と言い換えたい人は言い換えてもいいかもしれない)別途の一貫性を調達するという考え方もあるのかなという気もしてきています。まあよく(まったく)わかりません。
子育て支援をはじめ社会保障・福祉政策の観点については、そもそも予定通りの消費増税に反対している人というのは景気動向を重視する自由主義的な人が多く、景気動向にあまり関心のない(というか、それより再分配の拡大をはるかに重視する)社民主義的な人たちとの対話が難しいのは致し方ないのだろうなといまさらながらにも思うわけですが、特に今回感じたのは社会保障・福祉・再分配を推進しようとの立場の方々には必要な財源の手当てがあまりにも不十分との思いが非常に強くあるのではないか、ということです。実際、駒崎さんご自身もtwitterで「相続税課税ベースの拡大等、代替財源を早期に確保できるのであれば延期に賛成。でなければ反対」と書いておられますし、あるいは、hamachan先生の後日のエントリ「「ワシの年金」バカが福祉を殺す」(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html)で紹介されている黒川滋さんの「この国ではどんな福祉サービスを整えることよりも、実質的な社会的弱者を救済することよりも、ただ消費税を上げないことに限り弱者のためになる、という消極的・見殺しの思想が蔓延しているのだろうか」「介護労働者の離職を避けるため、…失業者を食べさせて再就職させるため、財源なくて何もしなくてよいというのがわからん」といったツイートからも、その心情がうかがわれるように思います。
実際問題、今回の消費増税においても、全額を社会保障財源にあてるとされてはいるものの、税率5%引き上げのうち3%は財政健全化(現行制度ですでに財源に穴が開いている部分の穴埋め)にあてるとされていてまあネット増税であり、残る2%はいわゆる「機能強化」にあてられるとされていますが、うち1%を使って消費増税にともなう経費増をまかなわなければならないため、「機能強化」の財源は真水では1%しかありません。それでも、福祉推進派からみれば全く不足だとしてもようやくつこうとしている貴重な予算であり、「それすら奪うのか」というまことに無理のない憤りがある中では、予定通りの消費税増税に批判的な人たちが「増税で景気後退して税収が減れば結局福祉予算も減りますよ、それより当面増税を延期して景気をしっかりさせたほうが税収も増えて福祉予算も増えますよ」といくら説明してもそれが福祉に回る保障はどこにもないじゃないか、結局また別の使途に回されて「福祉は消極的・見殺し」になるんだろう、という反応になってしまっているというのが現状なのではないでしょうか。一連のやりとりの中で、駒崎さんが(消費税は目的税ではないにもかかわらず)「義務的経費としての恒久財源」に非常に強くこだわっておられるのもこれを示しているように思われますし、福祉推進派の方々が消費増税が福祉対象層にとってより大きな打撃になるということに不思議なくらい関心が低い(ように思える)のもそうした事情ではないでしょうか。
ということで、今回の消費税増税分の使途は全額社会保障であるということになっていることが、「増税反対=福祉否定」といういささか短絡的な議論の構図に結び付いてしまっているところに問題がありそうに思います。hamachan先生が上のエントリで(いなば先生が福祉を目の敵にしているとはおよそ思えないにもかかわらず)「駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしている」と憤慨しておられるのはまさに象徴的なように思われるわけです。

「「ワシの年金」バカ」

なお上記で「「ワシの年金」バカが福祉を殺す」というエントリをご紹介しましたので、その本題についても一言書きたいと思います。hamachan先生のご趣旨はこういうものです。

 マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html

現在の年金受給者が「年金の金はワシが若い頃払った金じゃ」とどの程度考えているのか、まあ裏付けがあるのだろうと思いますが、消費増税の賛否をめぐる世論調査をみると年金受給世代の賛成は他世代より明らかに多く(まあそれでも絶対水準は30%前後が多くそれほど高くはありませんが)、わかっている人もけっこういるようにも思われます。とりあえず「私が若いころに当時の老年世代の年金を払ったのだから、私も現役世代に年金を払ってもらって当然だ」くらいの理解をしている人も多いのではないでしょうか(いや本当に感覚だけの話で根拠はないのですが)。
ただ私はこの理屈でも残念ながら「もらって当然」にはならないように思います。今の年金受給世代の親世代は(団塊の世代に代表されるような)多くの子=のちの年金の担い手を育ててきたわけですが、今の年金受給世代は、残念ながらそれほど多くの子=現在の年金の担い手を育ててきたわけではありません。したがって、少なくとも自分たちが自分たちの親世代と同様に年金を受けて当然だとは即座には申し上げられないと考えるべきではないでしょうか。だから今回、その穴を埋めるためのネット増税が必要になっているわけで。
ということで、本当にそうした誤解が年金受給世代にあるのだとしたら(あるのでしょうが)、誰がそんな説明をしてきたのかという話でしょうし、その誤解を解消する努力も必要だろうと思います。単に説明するよりは、私も必ずしも賛成はしないのですが、たとえば育てた子の人数で年金額を増減する制度を大々的に検討する(理解促進には検討すれば足りるので実施する必要はない)ことなどは効果的なように思います。