佐藤博樹『ダイバーシティ経営と人材マネジメント』

 佐藤博樹先生から、最新の編著書『ダイバーシティ経営と人材マネジメント-生協にみるワーク・ライフ・バランスと理念の共有』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

 まだざっと目を通しただけなのですが、民間の営利企業に勤務している私としては副題の後段、「理念の共有」にやはり興味を惹かれるわけで、これを分析した島貫先生と小野先生の論文は特に関心を持って読ませていただきました。両先生の分析では理念の浸透や入職動機としての理念が定着につながっているとの結果ですが、平田先生のインタビューでは明示的には示されなかったとのことで、このあたりアンケートとインタビューの違いでしょうか(パート対象のインタビューだとネガティブな要素を拾いやすいような気がしなくもない)。調査対象になった三つの生協は、それぞれアンケート回収数が千数百という規模なので、民間企業であれば大企業ということになり、それなりに営利企業に近いマネジメントが行われているのではないかと思うのですが(実際ワーク・ライフ・バランスの面では営利企業と大きく異なる印象はない)、理念の存在感もあるようです。楽しみに勉強させていただきたいと思います。

ビジネスガイド3月号

 (株)日本法令様から、『ビジネスガイド』3月号(通巻883号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

ビジネスガイド 2020年 03 月号 [雑誌]

ビジネスガイド 2020年 03 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本法令
  • 発売日: 2020/02/10
  • メディア: 雑誌
 今号の特集は「パワハラ指針&炎上対策」ということで、指針が出ましたのでグッドタイミングなのはもちろんのこと、各社とも炎上対策にはご関心が強いのだなあと感じます。秘密録音の証拠能力とか、参考になるのではないかと思います。
 また特筆すべきは八代尚宏先生の新しい連載「経済学で考える人事労務社会保険」がスタートしたことで、初回は年功賃金の合理性を経済学の観点から解説したうえで、前提となっていた環境が大きく変化したことでその変革が求められていることがわかりやすく解説されています。日本企業の「後払い賃金」はこれまでは基本的に個人勘定として理解されてきた(パナソニックの「退職金前払い制度」などの実務もそうですね)わけですが、まあ経済学的には賦課方式として考えることもできるかもしれませんし、2000年前後の一連の成果主義騒ぎもそうした解釈が可能かもしれません。
 なお大内伸哉先生のロングランの連載ではつい先日のジャパンビジネスラボ事件の高裁判決も取り上げられています。これも一部録音がからむ事件ですね。

労働市場の分極化

 ツイッターで反応してみたのですが140文字連投ではやはり限界があったのでこちらで考えてみたいと思います。先週金曜日(7日)に開催された第35回未来投資会議の資料が官邸のウェブサイトで公開されているのですが、その中にこんな一節があります。

6.大学教育と産業界、社会人の創造性育成のあり方

 第4次産業革命労働市場の構造に著しい影響を与える。その構造変化の代表が「分極化」。米国では、中スキルの製造・販売・事務といった職が減り、低賃金の介護・清掃・対個人サービス、高賃金の技術・専門職が増えている。日本でも同様の分極化が発生し始めている。
 逆に、第4次産業革命が進むと、創造性、感性、デザイン性、企画力といった機械やAIでは代替できない人間の能力が付加価値を生み出す。労働市場の分極化に対応し、付加価値の高い雇用を拡大するため、以下の政策のあり方を検討。
(1) 新卒一括採用の見直し・通年採用の拡大に併せて、Society5.0時代の大学・大学院教育と産業界のあり方
(2) 労働市場の分極化を踏まえた、社会人の創造性育成に向けたリカレント教育のあり方
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai35/siryou1.pdf

 この「労働市場の分極化」というのは正直初めて見ました。もちろん政治の世界では「米国政治の分極化」とか普通に使われる言葉ではあり、「社会階層の分極化」なども見たことがあるような気もするのですが、「労働市場の分極化」となるとインターネット上をざっと検索したくらいではほとんど引っかかってきませんので、まあまあ未来投資会議のオリジナルと言えるのではないでしょうか。そうか自ら率先して創造性、感性、デザイン性、企画力といった能力を発揮して国民に範を垂れたかこらこらこら、しかしなんか言葉が浮わついていて今一つ意味がわかりません。
 まあ一応定義らしきものは与えられていて「米国では、中スキルの製造・販売・事務といった職が減り、低賃金の介護・清掃・対個人サービス、高賃金の技術・専門職が増えている。日本でも同様の分極化が発生し始めている」というのですが、少なくとも米国で「中スキルの製造」の職が減っているのは製造拠点の国外移転が主因だということにはまあ異論はないはずで第4次産業革命とは関係ない。そのほかにも、米国の労働市場の変化については、たとえば移民労働力の流入なども影響しているものと思われます。というか、第4次産業革命自体が「さあこれから大いにやるぞ」と各方面が張り切っているこれからの話であって、今の米国の現状を「第4次産業革命労働市場の構造に著しい影響を与える。その構造変化の代表」ということはそもそもできないのではないでしょうか。
 もちろん日本の労働市場でも主として正規/非正規の二極化が進んでいるということはまあ大方のコンセンサスでしょうが、やはりそれが第4次産業革命の著しい影響であるという意見はほとんど聞かないわけですね。
 いやいやそれはそれとして今後第4次産業革命が進めばそうなるのだという話なのかもしれませんが、しかし「労働市場の分極化に対応」「労働市場の分極化を踏まえた」などと無批判に所与の前提にしているのは問題だろうと思います。「創造性、感性、デザイン性、企画力といった機械やAIでは代替できない人間の能力が付加価値を生み出す」と書かれていて、まあたしかに世間にはそういうことを言う人もいるわけですが、しかし「機械やAIでは代替できない」ものとしてボリュームがあるのはいわゆる「調整(スケジュール調整とかじゃなくて、利害の調整とかそういうのだな。法人営業とかやっていれば日常的にある仕事)」業務や対人サービスなどであって、こちらの価格を上げることで付加価値を増大させるという成長戦略を考えてほうが賢明なのではないかと、思わなくもない。もちろん創造性、感性、デザイ(ryはそれはそれでとても大事でしょうが、しかし調整業務や対人サービスも相当に創造性や感性が求められるわけであってな…?
 そして「労働市場の分極化に対応し、付加価値の高い雇用を拡大するため」に「新卒一括採用の見直し・通年採用の拡大」をやれと言っているわけですね。まあ新卒一括採用の見直しも通年採用の拡大も現実にはすでに政策論を先取りして進み始めているわけで、それ自体は採用や処遇の多様化であり選択肢の増加でもあるので基本的に好ましいことだろうと思います。実際これはわが国で現実に起きている二極化に対する対策という面が相当にあって、それこそ二極化の中間形態として「スローキャリアでジョブ型の限定正社員」みたいな提案がまじめに議論されているわけですね(例の朝日の「妖精さん」特集で掲載されたhamachan先生のインタビューとか)。先日ご紹介した2020年版経労委報告でも経団連は(経団連会長はどうか知らないが)引き続きメンバーシップ型を主流としつつ、かつての「自社型雇用ポートフォリオ」の「高度専門能力活用型」のようなジョブ型雇用を各社が適切に組み合わせるという方向性を明確に打ち出しているわけです。二極化に対する問題意識はかなり広く共有されていて、それをいかに食い止めるかという議論をしているわけで、ここで「分極化に対応」と白旗をあげる必要もないじゃないかと。
 でまああとは「Society5.0時代の大学・大学院教育と産業界のあり方」「社会人の創造性育成に向けたリカレント教育のあり方」と来るわけですが、リカレント教育については私も当事者なのでうーんとは思う。創造性育成ねえ…。まあ仕事からは得られないような知識や経験は提供していると自負しているので、あとはそれぞれに創造性につなげていただければ幸いですということで現時点ではご容赦いただければと。
 なおこの資料、ここ以外にも労働の話がたくさん出てきていて要するに兼業・副業とフリーランスなんですが、ざっとした感想としてはいかに「成長戦略」だとは言っても能天気すぎねえかという印象です。いい側面ばかりが強調されているわけですが、たとえば兼業・副業についていえば、自由にやっていいよという話になれば「新たな技術の開発、オープン・イノベーションや起業の手段、そして第2の人生の準備として有効」なのはむしろ少数派であって多数派は追加的な収入が目的になるだろうと思いますし(まあ明白だと思うのですが違うのかな)、フリーランスについても「ギグエコノミーの拡大により高齢者の雇用拡大に貢献しており、健康寿命を延ばす」とか言うわけですが現実をみればまあ不安定で低収入なものが大半だろうと思われるわけで、つい先週もウーバーイーツ(だったかな?)の事例が国会で取り上げられて首相から「そのような実態はよろしくない」みたいな回答を引き出していたはずです。まあこちらは保護の在り方も視界には入っているようですが。

「2020年版経営労働政策特別委員会報告」に対する連合見解

 ということで例年どおり経労委報告に対する連合見解も発出されておりますので簡単に感想など書いておきたいと思います。
 まあ例年の話で、これから交渉事を始めようというときに甘い話はできないというのは作戦上当然ではなると思うのですが、それにしても昨年と較べても劣化したかなあという感は否定できません。というのも単なる「批判のための批判」が多々散見されるように思われ、中には単に罵ってるだけじゃないかという部分もなきにしもあらずです。
 たとえば最初の「1.全般に対する見解」の冒頭から(日本が)「どんどんと「しぼんでいく国」になってしまっている」「慌てて外国人労働者に門戸を開いたものの、日本を「選んでもらえない」実態も露わになっている」「税財政の問題も同様である。根本的なところにフタをしたままで、目先の支出削減策が毎年繰り返されるばかりである」などとdisに余念がないわけですが、しかし自ら賃上げが難しい理由を並べ立ててしまっているという感は禁じえないですよ…?(ところで連合って外国人労働者門戸開放歓迎なんでしたっけ?)少し後の方では「わが国が「しぼんでいく国」であるとの危機意識のもとに、内向き志向を脱却することが不可欠」とお説教しているわけですが、いや「しぼんでいく国」がお好きですねという戯言はともかく、交渉事というのは相手を見てやらないとねえと、正直思うなあ。企業というのは(大企業に限らず)国内のビジネス環境に支障があれば海外に出ていくことも多々あって基本的に外向きであり(だから学生が内向きで困るとか勝手なことを言い出すわけであってな)、あまり外向きになると困るのは(内向きにならざるを得ない)連合のほうじゃないかと思います。力むあまりに盛大に空振ってるような気がしなくもありません。
 なお「全般に対する見解」の最後では「…AIの導入見込みやその影響等を見通しながら、分野ごと・業種ごとに雇用の将来像を描いておくことが不可欠である。多くの労働者を雇用する責任ある立場として、そのことこそ強調すべきである」と力強く指導しておられるのですが、まあ言われなくてもやってますという話ではあると思います。ただまあ外国人労働力やAIの今後の見通しと一口に言われてもそうそう一筋縄でいく話のわけがなく、いろいろと苦心していて明快なものは見通せないということでひとつご容赦いただけないかとも思いますが…。「責任ある立場」だけに、そう軽々にもまいらないわけでして…。なお連合にも連合の責任があろうかとも思いますので、これは交渉事とは別に労使でしっかり議論すればいいと思いますし、実際やられてもいるのかな。そこには期待したいと思います。
 次に「2.連合「2020春季生活闘争方針」への見解について」というのが来るのですが基本的に企業内最賃の話だけで、経団連が産別最賃に否定的なのがご不満なようです。私も正直都道府県別最賃制度が確立した現状では産別最賃は屋上屋を架すものであって不要との意見ですが、それは制度としては不要ということであって、個別労使の交渉で企業内最賃をお決めになるのであればそれはそれで大変けっこうなことだと思いますし、産別がリーダーシップを発揮して横断的に取り組むのも立派な運動だと思います。経団連もそういうスタンスだと思いますしそのような書きぶりだとも思いますので、連合の見解を「今一度認識」するかどうかは格別「真摯な交渉に臨む」ことは間違いなかろうと思います。
 続く「3.2020年春季労使交渉・協議における経営側の基本スタンスに対する見解」というのも基本的には中小企業対策の話だけで、あれだな今年は1.もそうでしたが中小企業対策に妙に力が入っているな。まあ格差是正は連合としても重点取り組み事項ということでしょうか。こちらも最後は「生み出した付加価値を大企業の中だけでなく、中小企業や様々な雇用形態で働く人も含めどのように分配すべきか、その手法についてこそ、経団連が示すべきである」となかなかに力強いですが、さすがにこれは経団連としても何でそんなこと命令されるんだという話ではないでしょうかね。いやもちろん大切な論点だとは思うのですが、ここはまず経団連と協議になるような提案を連合に示してほしいところではないかと思います。あとの方では「中小企業の経営基盤の強化と地域の活性化に向けたつなぎ役として「連合プラットフォーム」を立ち上げ、様々な関係者との対話の場づくりを進めており、経団連にも積極的な参加を期待したい」とも書いておられるわけですし、期待したいと思います。。
 あとは「4.個別項目についての見解」ということで、裁量労働拡大反対/高プロ導入は慎重に、はいつものとおりだな。働き方改革関連法については「法令遵守のための取り組みの徹底を求める連合の考え方と認識は同じ」「職場慣行や商慣行の見直しを含め、労使やサプライチェーンが一体となって取り組むことが必要」と労使での取り組みに意欲を示しています。実際、これまでも労使の努力で「上司が帰らないと帰りにくい」みたいなものはずいぶん改善してきたわけですし(もちろんまだ残ってはいるでしょうが)、こうした取り組みが経営にとっての労組が存在するメリットということになるわけですし。
 ハラスメントに関しては「消極的な対応」と批判していますが、これもやはり「衛生委員会の活用など、労働組合や労働者の参画を通じて、労使の取り組みを強化することが重要である」と指摘されているとおりで、労組が働きかければ経営も動くという案件ではないかと思います。70歳継続就業、障害者雇用についても、「報告」の記述を引きながら、要するに労使でしっかりやりましょうという理解でよろしいのではないでしょうか。
 そして個別項目の最後で産別最賃の必要性について今一度念を押しているのですが、ここにきてまたしてもdis節(笑)が復活しており「日本の多くの産業がもはや世界に伍していくことが難しくなっていることと二重写しになっており、遺憾を通り越して情けない」と、まあ気持ちはわからなくもありませんが、しかしこれまた自ら産別最賃できなくても仕方ないねえと自白してしまっているような気がしなくもない。まあ産別最賃の建前からして労使で生産性を上げて…ともなかなか言いにくいというのもわかりますが。
 でまあ「5.結び」では「報告」の文言を引きつつ「一人ひとりの働きがいを高め、持てる能力を最大限に引き出すための環境整備は、労使の責務と考える」と力強く述べられており、なかなかに頼もしいですね。「私たちは、日本の将来を切り拓く、意義ある2020春季生活闘争を展開していく」という決意とのことですから、ぜひとも各労使で有意義で建設的な議論を通じて誤りのない解決がはかられることを期待したいと思います。

  • なお最後に余計な一言ですが「成長の原動力は「人財」に他ならない」の「人”財”」ってのはなんとかなりませんかね。まあ単組がそれぞれの思いをもってこう記載したいというのであれば(個別企業も同様ですが)それはそれでいいと思いますが、ナショナルセンターの文書(しかも連合見解)でこういう妙なあて字を使うのはやめてほしいなあと…。まあ言葉も生き物ですし最近は行政文書でもちらほら使われているようなので、まあ致し方ないのかもしれませんが…。
  • なおこれについては経労委報告でも一か所「人財」が登場しておりまして、しかも経済対策の引用部分でのタイポというけっこうカッコ悪い(失礼)代物なので探してみると面白いかもしれません(こらこら)。

2020年版経営労働政策特別委員会報告

 ということで21日に発表された上記報告ですが、翌日の日経新聞ではこんな調子で報じられております。

 経団連は21日、春季労使交渉の経営側の指針となる経営労働政策特別委員会報告を公表した。年功序列賃金など日本型雇用制度の見直しに重点を置いた。海外で一般的な職務を明確にして働く「ジョブ型」雇用も広げるべきだと訴えた。海外との人材獲得競争に負けないよう、雇用にも世界標準の仕組みを取り入れるなど時代に即した労使交渉への変革を求めた。…
…従来の経団連指針は、経営側が賃金交渉にどう臨むべきかという点に関心が集まっていた。ただ経済のグローバル化やデジタル化が進み、収益環境は企業ごとに異なる。中西宏明会長は「経済界の代表が詳細な賃上げ手法を示すことは現実的ではない」と語る。指針は「各社一律でなく、自社の実情に応じて前向きに検討していくことが基本」との指摘にとどめた。
 代わりに重点を置いたのが、新卒一括採用と終身雇用、年功序列を柱とする日本型雇用制度の見直しだ。「現状の制度では企業の魅力を十分に示せず、意欲があり優秀な若年層や高度人材、海外人材の獲得が難しくなっている」と指摘。さらに「海外への人材流出リスクが非常に高まっている」と危機感を示した。
 指針はジョブ型雇用が高度人材の確保に「効果的な手法」と提起した。外国企業では、ジョブ型による採用が広く浸透。高額な給与を提示して、事業計画に必要な人材を確保している。…
 経団連の経営労働政策特別委員長を務める大橋徹二コマツ会長は21日の記者会見で「(従来型とジョブ型双方の利点を踏まえて)労使で自社に適した雇用制度を追求すべきだ」と述べた。
(令和2年1月22日付日本経済新聞朝刊から)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54640500R20C20A1EE8000/

 さらに社説でもこれを取り上げるという熱の入れようで、いわく

 雇用の制度や慣行をめぐる突っ込んだ議論をしないと日本の将来は危うい。そんな危機感からだろう。2020年の春季労使交渉に向け経団連がまとめた経営側の指針は、年功賃金など日本型雇用の見直しを訴える内容となった。
 目先の賃上げだけでなく、持続的に企業が成長するための本質的な議論をすべきだという経団連の考え方は理解できる。継続的な賃上げの基盤づくりにもつながる。労働組合経団連の問題意識を真摯に受け止めるべきだ。
 経団連が示したのは、企業向けの交渉指針である「経営労働政策特別委員会(経労委)報告」である。終身雇用を前提に新卒者を採用し、様々な仕事を経験させながら年功賃金で処遇する日本型雇用は、問題が顕著になってきた、と強調する。背景にあるのはデジタル化とグローバル化の進展だ。
 職務で報酬を決めたり評価で昇給に差をつけたりする仕組みを広げ、社員の意欲を高める必要があるとした。メンバーシップ型と呼ばれる日本型雇用の比重を下げ、職務を明確にした「ジョブ型雇用」を導入するよう促している。
 全体として妥当な認識といえよう。年功賃金や終身雇用は、経済が右肩上がりで伸び、長い目で人を育てればよかったときのシステムだ。競争環境が激しく変わるなかでイノベーションを起こせる人材を輩出し続けなければならない今は、基本的にそぐわない。…
 ジョブ型雇用は専門性や成果による処遇が基本になる。業種や国境を越えて有能な人材を獲得するためにも、企業はこの雇用形態を積極的に取り入れてはどうか。…
(令和2年1月22日付日本経済新聞「社説」から)
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200122&ng=DGKKZO54662040R20C20A1EA1000

 いや「労働組合経団連の問題意識を真摯に受け止めるべきだ」というのには思わず茶を吹きました(失礼)。いやそこまでプッシュするほどのものなのかどうか、報告書を読んでみたいと思います。
 まず日経のいう「年功序列賃金など日本型雇用制度の見直しに重点を置いた」についていえば、昨年版ではたしかに「日本型雇用制度の見直し」にはまったく言及されていませんでしたので新しいといえば新しいとは言えます(まあ過去装いを変えつつたびたび繰り返されてきた議論だという感も関係者間では共有されているわけですが)。全3章12項のうち1項を当てているのでまあ「重点を置いた」とも言えなくはない。
 いっぽうで「従来の経団連指針は、経営側が賃金交渉にどう臨むべきかという点に関心が集まっていた」というのはそのとおりとして、「指針は「各社一律でなく、自社の実情に応じて前向きに検討していくことが基本」との指摘にとどめた」「代わりに(日本型雇用の見直しに)重点を置いた」というのはかなり怪しく、とりあえず「賃金交渉にどう臨むべきか」についての報告書の記載を2019年版と比較してみると、まず賃金決定の基本方針についてはほとんど変わっていません。賃上げは支払能力と総額人件費管理というのはもちろん不変ですし、賃金、諸手当、一時金、さらには総合的な処遇改善という構図も変わっておらず、やはり昨年同様連合の方針への見解も示されていますし、ページ数で比較しても昨年が23/97なのに対して今年が24/101なのでまあほぼ同じです。中西会長がどう発言されたかはよく知りませんが、日経新聞があたかも経労委報告が昨年に較べて賃金交渉を軽視しているとの印象を与えるような書き方をしているのは不適切といえましょう。
 続いて日経の言う「代わりに重点を置いたのが、新卒一括採用と終身雇用、年功序列を柱とする日本型雇用制度の見直しだ」ですが、報告書を読むと、たしかに日経の引用したような文章もありますが、該当部分にはこのように記載されているのですね。

 わが国は、外部労働市場が十分に発達しておらず、労働法をはじめとする様々な制度や慣習もジョブ型を前提としていない。また、メンバーシップ型は既述のようなメリットがあり、現在も多くの企業で採用されていることから、ただちに自社の制度全般や全社員を対象としてジョブ型への移行を検討することは現実的ではない。
 こうしたことを踏まえ、各企業が自社の置かれている現状と見通しに基づき、まずは、「メンバーシップ型社員」を中心に据えながら、「ジョブ型社員」が一層活躍できるような複線型の制度を構築・拡充していくことが、今後の方向性となろう。
 第一に、採用面においては、…従来型の新卒一括採用に加え、特にジョブ型の人材に対して、中途・経験者採用や通年採用をより積極的に組み合わせるなど、採用方法の多様化・複線化を図っていく。…最先端のデジタル技術などの分野で優れた能力・スキルを有する…高度人材に対して、市場価値も勘案し、通常とは異なる処遇を提示してジョブ型の採用を行うことは効果的な手法となり得る。
 第二に、雇用面では引き続き、長期・終身雇用を維持しつつも、企業と社員双方のニーズを踏まえ、雇用の柔軟化・多様化を検討していくことが考えられる。…
(『2020年版経営労働政策特別委員会報告』から、以下同じ)

 おや。これを読むときわめて明快で引き続きメンバーシップ型を主流としつつジョブ型を補助的に組み合わせるという方向性が明確になっているように思われます。ジョブ型高度人材拡大やその処遇に関してもすでに世間で動き始めている取り組みを追認的に記載しているという感じで、とても斬新な提案という印象は受けません。たしかに日経社説が書くように「日本型雇用の比重を下げ」るということではありますが、比重を下げたとしても相変わらず主流ではあり、それが「基本的にそぐわない」という認識は経団連にはなさそうです。これまた誤解を招きかねない不適切な表現と申せましょう。

  • なお経団連はさすがというべきか「長期・終身雇用」と慎重な、というか苦心の用語ですね。まあ会長があれだけ「終身雇用」を連呼しておられるので無視するわけにもいかなかったというところでしょうか。

 さてここからは日経新聞から離れて、日経の関心事より(笑)ヨリ重要なポイントを見ていきたいと思うのですが、なにかというとジョブ型雇用の位置づけなのですね。一般的にジョブ型雇用といえば欧米の現業部門などに典型的に見られるような、職務・勤務地・労働時間・賃金等は労働契約や職務記述書などに明確に記載されていて変更には労使の合意が必要であり、団交等による昇給などを除けば基本的に勤続を重ねても不変という形態だろうと思うのですが、報告書のいう「ジョブ型」はこれとは相当に異なっていて、こう記載されています。

 ここでいう「ジョブ型」は、当該業務等の遂行に必要な知識や能力を有する社員を配置・異動して活躍してもらう専門業務型・プロフェッショナル型に近い雇用区分をイメージしている。「欧米型」のように、特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない。

 これは実は脚注でさらっと書かれているのですがおおっと声が出たところで、「特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない」というのはかなり思い切って踏み込んだものだと思います。「ここでいう」との断り付きではありますが文脈からして報告書内では一般的な定義と思われます。
 となるとこれは欧米などで一般的なジョブ型とはだいぶ異なる概念のはずで、実際、報告書にはこうした記述もあります。

…キャリア面では、メンバーシップ型とジョブ型社員の双方から、経営トップ層へ登用していく実績をつくり、自社における複線型のキャリア発展空間を感じてもらうことで、定着率向上を図ることが考えられる。

 ということは従来型のメンバーシップ正社員と同様の経営トップ層まで射程に入れた内部昇進制に乗せていくということになるわけですね。まあ有期契約で賃金体系はまったく異なるし、昇進にしても勤務地変更にしても本人同意で行うということであれば、それなりに可能かもしれません。
 こうなると俄然あれ(笑)を思い出さざるを得ないわけですが、案の定上記の記述に続いて「「自社型」雇用システムの確立を目指して」と来るわけだ。いやこの「ジョブ型」って1995年の『新時代の「日本的経営」』に記載された自社型雇用ポートフォリオの高度専門能力活用型そのものジャン。なるほど、高度専門能力活用型は「有期で転職を重ねてもいいし、一企業に定着してもいい」という位置づけでしたし、したがって「特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない」というものであったわけですね。しかもこの三類型は大いに重なり合っていてその間の移行が行われることが想定されていたわけで、すなわちある段階からメンバーシップ型≒長期蓄積能力活用型に移行して経営トップ層に昇進していくという可能性もありうるということになります。
 一方で、こう考えれば、自社型雇用ポートフォリオには別途ジョブ型の雇用柔軟型があるので、今回の報告書の「ジョブ型」はそういうジョブ型ではない「ジョブ型」ですよと、まあそういう話なのかも知らん。こちらもなるほどという話。
 ということで今回の経労委報告は1995年の『新時代の「日本的経営」』に立ち返ったのだな、というのが私のこの部分に関する感想です。まああれ自体はよく考えられていたものですし、結果的にはこの高度専門能力活用型が十分に成長しなかった(その主たる原因は90年代末の金融危機と2008年のリーマンショックなどにともなう深刻な経済の停滞だろうと思いますが)ことが労働市場の二極化とキャリアの分断に結び付いてしまったことを考えれば、ここでもう一度自社型雇用ポートフォリオの本来の理念に立ち返るのはいいことなのではないかと思います。
 あとまあこれは余談になりますが日経によれば経労委の大橋委員長は「労使で自社に適した雇用制度を追求すべきだ」と述べられたそうで、まあこれも邪推すれば「おやりになりたい労使がおやりになればいい」ということではないでしょうかねえ。まあ実際それでいいと思いますし。
 なお当然ながら報告書はほかにも様々なテーマを論じていて重要なポイントも多く、個別には申し上げたいこともなくはありませんが(笑)全体としてはよくまとまっていると思います。前エントリで『春季労使交渉・労使協議の手引き』を実務家向けの優れたテキストとして紹介しましたが、本報告もエグゼクティブ向けの良い解説書であるように思われます。いやもちろん異論のある向きは当然あるわけですが(笑)、これに関しては例年同様別途書ければ書くということで(笑)。

経団連『2020年版経営労働政策特別委員会報告』同事務局『春季労使交渉・労使協議の手引き』

 (一社)経団連事業サービスの讃井暢子さんから、一般財団法人日本経済団体連合会『2020年版経営労働政策特別委員会報告』と、経団連事務局編『2020年版春季労使交渉・労使協議の手引き』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

経営労働政策特別委員会報告 2020年版

経営労働政策特別委員会報告 2020年版

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 経団連出版
  • 発売日: 2020/01/27
  • メディア: 大型本
春季労使交渉・労使協議の手引き 2020年版

春季労使交渉・労使協議の手引き 2020年版

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 経団連出版
  • 発売日: 2020/01/27
  • メディア: 単行本
 経労委報告については別エントリを立ててコメントさせていただくとして、毎年刊行されている『春季労使交渉・労使協議の手引き』は、もちろん団体交渉のガイドブック・資料集として非常に有用にできているだけではなく、最新の人事労務管理をめぐるさまざまなトピックについて行政の動向や企業で必要となる対応、具体的な取り組み事例などを示した人事労務実務の手引書としてもきわめて手際よくまとめられた参考書となっています。労使交渉に携わる人だけでなく、人事労務担当者全般に幅広くおすすめしたい良書です。

梅崎修・池田心豪・藤本真『労働・職場調査ガイドブック―多様な手法で探索する働く人たちの世界』

 梅崎修先生・池田心豪先生・藤本真先生から、三先生の共編著『労働・職場調査ガイドブック―多様な手法で探索する働く人たちの世界』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

労働・職場調査ガイドブック

労働・職場調査ガイドブック

 第1部・第2部では若手から大家に近い十数人の労働研究者の先生方が、ご自身の調査・研究方法を解説し、その経験と成果を紹介しておられ、第3部では具体的な調査の「道具」についてその利用方法と心得がまとめられています。なんといっても各先生方の個別の調査経験を語られているのが抜群に面白く、さらに各分野の最新の知見をコンパクトに学ぶこともできるという、(私のような)直接的に調査をやるわけではない人にも非常に楽しく読める本です。
www.biz-book.jp