海老原嗣生『人事の組み立て』

 ニッチモの解散イベントの際に配布された海老原嗣生さんの『人事の組み立て―脱日本型雇用のトリセツ』を読みました。面白かった。

 第1章は日本と欧米の人事管理のしくみとその相違点を、ポイントをおさえてわかりやすく解説し、昨今はやりのいわゆる「ジョブ型」論議がいかにずれたものかを示しています。このブログで以前紹介した講演(「成果主義と同じ轍」)の前半部分の内容ですね。
 第2章は日本社会における労働問題と日本型雇用との関係が整理されていて、「誰もが階段を上らねばならない(強調ママ)」という日本型雇用の本質に手をつけなければ、個別の問題点だけに着目してそこだけなんとかしようとしても解決にはならないということが示されています。
 第3章はそれを受けた「脱日本型の解」になるわけですが、ここで非常に面白いのが職業能力を「OS」=広くどこでも使える、ロジカルシンキング、ストレス耐性、チームマネジメント、仕組化、手順化等と、「アプリ」=専門知識・技能・作法・人脈等の二つに分け、アプリがより重要でOSはそこそこの企業をType A、アプリはそこそこでOSがものを言う企業をType Bとして(どちらもそこそこの企業はType C)、Type Aは日本型雇用の長期的な人材育成が有効なのに対してType Bは早期選抜・抜擢が有効だ、という整理をしているところです。Type AがType Bと、Type BがTypeAと同じやり方をしようとしてもうまくいかないというわけですね。
 その上でType Aの「脱日本型の解」になりますが、これはごくおおざっぱにまとめるとキャリアの前半は従来型の人材育成重視でいく。そしてある段階でエグゼクティブ候補とそれ以外を明らかに分け、前者にはさらに「階段を上る」人事管理を、後者には「階段を上らない」人事管理を適用するというもので、さきほどの「成果主義と同じ轍」の後半部分に通じるものです。
 でまあ終章のさらに終わりのところで自分の名前を発見して思わずギャッと叫んだわけですがそれはそれとして(いやこれ事実と違うし)、わが国では現状ジョブ型にしても同一労働同一賃金にしても本来の意味をかけはなれたところでさまざまな主張が手前勝手になされて議論が混迷を極めている中にあって、多くの人の頭の整理におおいに役立つ本だと思います。人事管理をする人される人、その企画や評価をする人、関係者に幅広く読まれてほしいと思います。おかしな報道おかしな「指導」をしているメディアやコンサルは読めと言ってもこらこらこら。
 残りは私としては意見が異なるかなという部分を2つほど書いておきたいと思います。ひとつは非正規雇用の評価で、まあ良く考えれば同じことを別の表現で言っているだけなのですが、私は企業が非正規雇用常時必要とする理由として「人員規模適正化のための調整しろ」と「昇進昇格させなくてもいい従業員」の2つに整理することにしています。後者は実は著者のいう「ジョブ型+解雇ルール」とほぼ同じことなのですが。
 もう一つは前々からどうしても意見の合わない点ですが、本書169ページでエグゼクティブ候補になれなかった人について「十数年思いっ切り頑張った結果だから、入り口で将来が決まってしまうよりも納得感は高いでしょう」と書かれているところです。企業が人事権を握り、それに服する中での「十数年思いっ切り頑張った結果」なので、往々にして「思いっ切り頑張った」けれど「配置されたプロジェクトがたまたま縮小になった」「担当した商品でたまたまライバル企業が大ヒット商品を出してしまった」とか、さらに下世話な話だと「たまたま上司と合わなかった」「たまたま同期のエースと同じ部署だった」とかいう事情でふるい落とされてしまう人というのが結構出てきて、敗者復活のチャンスもないとなると、果たして「入り口で将来が決まる」より納得性が高いのかどうかは微妙なような気がするわけです。
 あと余計なことながら、いい本であるだけに惜しいと思ったのが同一価値労働同一賃金が同一労働価値同一賃金になっていたり縁辺労働力が縁辺労働者になっていたりフランスの中間職が中間工になっていたり欠員補充の図の職層と仕事内容がずれていたりとイージーミスが目立つところで、まあこれは出るタイミングが重要な本をニッチモ解散のご多忙中に上梓されたわけで校正に遺漏があるのは致し方ないとしたものでしょう。重版時に修正されることと思います。