残業が減らないのは家に帰りたくないから!?

職場の回覧で「日経ビジネス」5月16日号が回ってきたのですが、その中に標題のような記事がありました。フルタイトルは「スペシャルリポート−昭和から続く「悪しき伝統」の真実 残業が減らないのは家に帰りたくないから」となっておりますな。
日経新聞のサイトでも読めるようですが、残念ながら有料のようです。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02160070R10C16A5000000/
まあ正直カネ払って読むようなものでもないとは思いますが、いろいろと味わい深いので昨日のエントリのフォローという意味も含めて以下コメントしていきたいと思います。
まずは労働時間短縮に取り組む企業事例が紹介されたあと、そうした施策に消極的・批判的な従業員の意見をいくつか並べ、さらにこう続けます。

 経営層の中には、自社の残業削減策がいかに無意味か、どこか自慢げに話す現場社員たちに、混乱する人もいるはずだ。「そもそも君たちは、残業したくないのではなかったのか」と。
 実はその疑問にこそ、日本企業が昭和の時代から残業を減らすことができない真の理由がある。働き方に詳しい専門家の意見を基に、編集部がたどり着いた新説を説明しよう。
 多くの経営者は、残業削減のメカニズムを次のような公式で捉えている。
 残業削減=仕事の絶対量の減少×効率向上
 だがこれは不完全で、正しい公式はこうなる。
 残業削減=仕事の絶対量の減少×効率向上×社員の家に帰りたい気持ち
 新たに加わった3つ目の要素は強力で、これこそが日本の残業が減らない根本的な原因だ。千葉商科大学国際教養学部常見陽平・専任講師がずばり言う。「日本人は総じて『家に帰りたい気持ち』が低いように思える。だから、会社が仕事量を減らしたり、業務効率化を進めたりしても、それだけでは残業の削減が進まない」。
(「日経ビジネス」2016年5月16日号、p.50)

このブログでも過去繰り返し書いているように、今日は合コンに行きたいとか野球を見に行きたいとかいう事情があればいつも以上に日中はがんばって早めに仕事を切り上げるわけで、「帰りたい気持ち」は「効率向上」に織り込まれているのではないかと思わなくもありませんが、まあこうして別に切り出してみるのもいいでしょう。
そこで「では、なぜ平均的日本人は家に帰りたくないのか」ということで理由を二つあげているのですが…。

日本人が帰りたくない理由(1)日本では残業すれば出世するから

 誰もが薄々感じていながら実証できなかった、この身も蓋もない事実をデータで証明したのが独立行政法人経済産業研究所だ。
 同研究所は、ある大手メーカーの人事データを用いて、労働時間の長さと、昇進確率の関係を分析した。それが下の図で、男女とも労働時間が長いほど昇進確率が高まる傾向にある。
 とりわけ女性における相関関係は鮮明で、年間総労働時間1800時間未満の人の昇進確率に対し2300時間以上の人は5倍を超える。「長時間労働が難しい女性は昇進機会の少ない働き方に振り分けられるのがその理由だろう」。同研究所の客員研究員、米シカゴ大学の山口一男教授はこうコメントする。
(同上、p.51)

この「下の図」というのがないと話が進まないので、権利関係がどうなのかという気はしましたがTwitterに上げました(https://twitter.com/roumuya/status/732790051256569856)。
これの元ネタは記事に「経済産業研究所。加藤隆夫(米コルゲート大学教授)、川口大司(経済産業研究所ファカルティフェロー)、大湾秀雄(経済産業研究所ファカルティフェロー)によるディスカッションペーパー(2013年)から引用*1」と書いてあり、実物もRIETIのサイトにアップされていて全文を見ることができます(http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/13e038.pdf)。その64ページにはこの「下の図」らしきグラフも掲載されてはいるのですがおいこれ数字が全然違うじゃねえか
比較してみていただけばわかるとおりで、そもそも労働時間の区分が違いますし、女性のグラフ形状だけみれば出典上段の全従業員のグラフに似てはいますが数字がまったく違いますし男性のグラフ形状も異なります。しかも日経ビジネスの「下の図」をみると男性の昇進確率は平均10%くらいはありそうで(女性は1800時間以下の比率が大きいので平均は見た目ほど高くならないと思いますが)、やはりそれはないだろうという数字です(以下確率の話は私としてもかなりアバウトというか間違ってますが(笑)、まあ議論の大筋はこの程度の大雑把で影響ないと思いますので為念)。つまりサラリーマンの昇格というのはそれほどあるわけではなく、大卒ホワイトカラーだと役員になるような稀少なエリートを除けば係長、課長、次長、部長とまあせいぜい4回くらいであり、実際には係長どまり課長どまりという人も多々いるわけで、卒業後定年までの三十数年で2〜3回くらいしかないわけですよ。平均10%ということは三十数年で平均3回以上昇進があり、ということは平均して次長クラス以上に昇進しているということになりますがさすがにそれは実感に合わないだろうと思います。ということで出典の下のグラフ(大卒者)にあるように、まあ年平均なら6〜7%程度というのが妥当であり、日経ビジネスの数字は間違っていると考えざるを得ないわけです。ちなみに高卒ブルーカラーでも、まあ青空が見えていることは見えているわけですが現実には班長、職長、作業長とか3回昇進すればかなりいいほうではないかと思いますので事情は同じです。
また、仮に記事が全従業員のデータを使用しているとすると、少なくとも大卒者のデータも示されている以上は不適切であり、なにかというとこのデータは製造業のデータであるわけです。つまり製造業の現業部門の残業というのは生産量と要員数でほぼ自動的に決まってくるわけなので、長時間労働になるかどうかは本人の意思とはほぼ無関係です。つまり使うなら出典下の大卒のグラフを使うべきだということになります。
そこで出典の大卒者のグラフを見ると、男性は右肩上がりになってはいますがまあ6%→7%程度でごくごく緩やかなものであり、少なくとも日経ビジネスの描くような差はありません。ただし年平均1%の違いでも三十数年積み上がれば昇進回数がだいたい0.4回くらい異なってくると思われますので、その間の昇進が平均2〜3回程度であることを考えれば大きいとはいえるかもしれません。
なお女性については特に長時間労働のほうで95%信頼区間が男性に較べて極めて大きく、サンプルがかなり限られているものと思われます。大卒の2400時間超に至っては25%を上回る高率に上っており、この調査のデータセットは6年分らしいのでその間に2回以上昇進した人がいることになります。ごく単純に考えて(正しくはないが)確率25%なら4年に1回の昇進であり、三十数年では9回程度の昇進となるわけなので女性は2400時間以上働けば平均して社長まで昇進するということになります(笑)。もちろんそんなことはないのであって異常値と考えるよりなく、日経ビジネスが「5倍を超える」とか能天気に書いているのはどうかと思うなあ。
そもそも出典のデータは1企業のものであり、もちろん非常に貴重なデータであることは間違いありませんが、しかし一般化するのは無理としたものでしょう。もちろん出典の著者たちもに日本企業一般について「データで証明した」とは書いていません(当たり前)。
また山口先生の「長時間労働が難しい女性は昇進機会の少ない働き方に振り分けられるのがその理由だろう」というコメントもやや不思議な感はあり、「長時間労働が難しい女性は昇進機会の少ない働き方に振り分けられる」自体はまあ一般論としてありそうな気はするのですが、それは男性に較べて女性の昇進が少ない・遅い理由であって「5倍を超える」理由の説明にはならないように思われます。というか、山口先生に「5倍を超えているのですがどう思われますか」と聞いたらまず「いやその5倍って異常値じゃないの」という反応が返ってくるような気がするのですが。いやそうでもないかな、25%は異常としても、5倍(1%と5%とかな)であれば、全学歴ならそうかもしれないな、という数字かもしれません。労働時間が短いのは高卒や短大卒の事務補助職とか現業職とかで、長いのは博士持ちの総合職だという話であれば、まあこのデータの時期(2004年度〜2010年度の6年間)であればなくもないのかもしれません。
さて記事の続きです。

 長く働くから出世するのか、出世するから労働時間が延びるのか。ここでその因果関係を解明することに意味はない。社員にとって大事なのは、「日本企業では総じて、残業しないと、会社の中枢にいられる確率が下がる」という事実だけだ。
 「50〜60代が中核をなす、現在の経営トップはバブルを知る世代。時間をかければ成果が上がった自らの成功体験もあって、遅くまで働いている社員を評価する傾向がいまだにある」。約250社で残業削減の支援を手掛けた経験を持つ、社会保険労務士の望月建吾氏はこう分析する。
…「出世を狙う社員にとっての最適戦略は、効率など気にせずとにかく膨大な仕事をこなすこと」。たとえそれが誤解でも、多くの社員がそう思っている間は残業は減らない。
(同、p.51)

思ってねえよ。昨日も書きましたがたとえば特段なんらの目立った成果を上げるでもなく、ひたすら長時間労働して残業代はがっぽり稼ぐけどアウトプットは凡庸ですみたいな人がいると思うのですが、それで「会社の中枢にいられる確率」が上がると思っている人は、マスコミや出版業界の中にはいるのかなあ。まあ普通の民間企業にはめったにいないと思います。「会社の中枢にいられる確率」を上げるために有効なのはやはり能力を高めたり大きな貢献をなしたりすることであり、その過程で長時間労働があるかもしれない(そして長時間労働しなくてもめざましい成果を上げるスーパーパーソンというのもいる)ということでしょう。労働時間とキャリアはダイレクトに結びついているわけではなく、かつそこには一定の確率が介在するわけです。
なお引用前段の社労士さんの話は、まあこの人の経験としてそうなのでしょう。経営トップが、と言っておられますので、経営トップが「社員を評価する」くらいの規模の企業が主体と思われ、だとすればそういうこともありそうな気はします。ただ、そういう企業だと、たしかに本人頑張ってるつもりでも無駄が多いですという人もいそるでしょうが、往々にして長時間労働している人が実際に企業を支えていたりもするのではないかと思いますが…。
さて続いて理由その2が出てくるのですが、今日は鶴先生のご紹介もあったりしてかなり長くなってきましたし、時間切れでもありますので続きは明日以降に回したいと思います。

*1:どうでもいいことかもしれませんがしかし川口先生・大湾先生についても一橋大学教授、東京大学教授と書きそうなものだが。