経営資源としての労使関係と従業員代表制

昨日、NPO法人人材派遣・請負会社のためのサポートセンター2016年第2回派遣・請負問題勉強会が開催されましたので聴講してきました。今年度はhamachan先生が全体プロデュースをされているらしく、先生のブログでもさっそく紹介されていますね(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-f573.html)。
今回はメイン講師のおひとりとしてJILPTの呉学殊先生が登壇されるということでこれは聞き逃せないぞというのが主目的ですが、良品計画の松井元社長のお話も一度聞いてみたいと思っておりましたのでたいへんありがたい企画であり、またhamachan先生の解題も有益なものでした。
中でもやはり呉先生の熱意あふれるお話はたいへん感銘深いものであり、その志には私もおおいに敬服するところです。アンケート調査や事例のご紹介はすでに先生のご著書(呉学殊(2011)『労使関係のフロンティア−労働組合羅針盤』)で勉強させていただいていたので実は私には目新しいものではなかったのですが、しかし資生堂労組の事例など、聴講者の中には目頭を押さえておられる方もいらっしゃいました。
そこで呉先生が力説されたのは「労使関係・労使コミュニケーションは企業の重要な経営資源であり、その発揮のために従業員代表制を法制化すべき」ということで、これについてはしばらく書いていませんでしたのであらためて少し書きたいと思います。
呉先生はまず、わが国における労組組織率の低下、特に中堅・中小企業における過半数労組が減少している(1000人以下企業の過半数組合組織率は10%程度)ことを紹介されました。さらに、時間外・休日労働協定などの当事者となる過半数代表の実態について、その代表の適格性(非管理職であることなど)や選出プロセス(目的明示のうえ民主的手続をとることなど)などが法の想定を厳格に満足するものはほぼゼロであることなどを紹介され、わが国集団的労使関係が形骸化・希薄化して労使コミュニケーションが重大な危機にあり、企業経営、ひいては国家経済を脅かしかねない状況にあることを指摘されました。
この状況を打破するためには、まずは企業、ひいては社会が労使関係、労働組合経営資源性を認識する、具体的には労組などを要求やストライキの主体と捉えてそのエネルギーを抑え込もうとするのではなく、会社が把握できない情報収集や経営の健全性の監視や提言などにそのエネルギーを活用することが必要だと指摘されました(資生堂労組の事例はここで出てきたわけです)。さらに、個別労使、特に経営者の努力で良好な労使コミュニケーションを樹立して経営発展につなげている例も紹介されつつも、しかしながら上記のような集団的労使関係の形骸化・希薄化の実情をみれば労使の努力で実現することは現実的でないとの判断から、従業員代表制の法制化が必要だとの結論を述べられました。
労使コミュニケーションの重要性や、とりわけその経営資源としての重要性については私もまったく同感であり、事実多くの企業労使ではそうした考え方を重視して安定した労使関係を構築しています。それは今後とも有効な方策であり、むしろそれを中心に取り組むべきだということは、私も以前JILPTのBusiness Labor Trend誌に寄稿したことがあります(http://www.roumuya.net/bltunion.pdf)。ちなみに呉先生は労使コミュニケーション最大化要件として経営者の半労働者化(情報公開や従業員によるチェックの受容など)と労働者の半経営者化(短期的処遇より長期的な企業経営の重視)を上げられていてこれまた非常に共感できるものですが、しかし昨今の一般労働者は職務給にして同一労働同一賃金とかいう議論とは真逆の方向性ではありますな。
ただ私はそこから一足飛びに従業員代表制の法制化・必置規制化に進むことには懐疑的で、やるにしても相当の準備期間をおいて実態がある程度ついてきてからではないかと思っています。
まっさきに実務的にいちばん気になるのはすべての企業で従業員代表の適任者を確保できるかという問題で、これは従業員代表にどこまでの役割を負わせるかに依存しますが、多くのものを負わせるほどに従業員代表に求められる資質も高いものとなるでしょう。経営の健全性をチェックし、それなりの提言をするとなると、企業経営そのものについての知識があり、さらに自社の経営方針、経営状態や経営課題についての情報開示を受けてその内容を正しく把握できなければならないわけで、あまり規模の大きくない企業、とりわけそういったことに従来取り組んでこなかった企業だと、適任な人材は少ないうえにそういう人はすでにマネージャーポストについており、かつ非常に多忙であって別のことに資源を割きにくいことが多いのではないでしょうか。まあこのあたりは、とにかくそのポジションにつけてしまえばそれなりに格好がついてくるものだ、という話かもしれませんし、連合や産別が自分たちが指導しますという話もあるでしょうが、しかしなんらかの手違いなどでコミュニケーションの成立しにくい人が選ばれてしまった場合は、かえって経営を悪化させかねない危険性があるだろうと思います。
また、労働組合との関係がやはり悩ましいところで、とりわけ呉先生は従業員代表については経理上の援助を可能にすることをお考えのようですので、労使ともに「従業員代表制があれば労組は不要」ということになってしまうことが大いに心配されます。従業員代表が定着した後に、会社の経費援助を返上して(さらに組合費を負担して)まで労組を作ろうということになるだろうか、という話です。それでかまわない、という考え方もあるのかもしれませんが、しかし労組がこれを推進するのは自殺行為じゃないかと思わなくもない。
それと関連しますが、私としては「やはり従業員代表より労働組合が望ましい」という考えがあり、これにはもちろん労組には一定の地位と権利・手段が与えられていて緊張関係を持って経営と対峙しうるというのもありますが、それ以上に労働者の主体的な参加の程度が労組と従業員代表では大差だろうと思うからです。労使関係の成熟した企業において経営者がなぜ労組の意見を重視するかというと、組合員が労組の方針にしたがってそれに参画しており、その協力なくして企業活動が成り立たないという事情があるからではないでしょうか。繁忙時に時間外労働に対応するとか、自動機導入にともなう配置転換に協力するとか、生産性向上活動に取り組むとかいったことに、労組の方針に沿って組合員が参画するからこそ、労組が交渉力を持ちうるのでしょう。このあたりは、法律で設置が求められたので選びましたという労働者代表とはかなりの違いが出てくるように思います。まあそれでもないよりはマシだという考え方もあるかもしれませんが…。
ということで私としてはいつも書いているとおりで、従業員代表はいいとしても一気に必置規制にするのではなく、一定の要件を満足した従業員代表に対しては法制度の運用にあたって広めの自己決定・裁量を認めるといった一種の優遇措置を講じるなどの施策を通じて経営者にとってもメリットのあるものとしてその理解を得つつ従業員代表の拡大をはかっていくというのが望ましいのではないかと思います。それが労働組合結成に向けた橋頭堡づくりにつながればさらに望ましいと思いますし、過半数労組や、それ以上の多数を組織した労組にはさらに幅広い自己決定・裁量を認めることで、やはり使用者の理解・協力を得ながら組織化を進めるという考え方も十分ありうるように思います。