吾妻橋氏の保育所不足対策

山籠もり中の14日のことですがNHKラジオで参議院予算委員会を中継していたので移動の車中で運転のかたわら聞いておりました。国会会議録検索システムは現時点で3月11日までしか掲載されていないのでうろ覚えなのですが、櫻井充先生が奨学金の話のあと国際医療福祉大の医学部新設について突っ込んでいてああこの人お医者さんだったなあとか、東電労組出身の小林正夫先生が太陽光パネルの水没時の安全確保について指摘されたり労働災害の防止を主張されたりしてふむふむとか(いやもちろん両先生がご専門の分野を取り上げられることは自然であって悪いというつもりは毛頭ありませんが)、福島瑞穂先生が私には「放送法憲法違反」という意味にしか理解できないことを延々と繰り返されていて時間の無駄こらこらこら、いやもちろん大切な事だとは思いますがしかし相変わらず面白い人だなあとか、なにかと興味深く聞いていたのですが中でもこりゃすげえなと思ったのが荒井広幸先生で、たぶん例の日本死ねブログ騒ぎを受けた話だろうと思いますが政治家が毎回何百人も叙勲を受けているのに介護士や保育士が数十人というのは少なすぎるのではないかと質問されていていやそれはそういう話なのか。でまあ首相はご指摘も踏まえて検討してまいりたいといったような回答をしていてそりゃそうとでも言うしかないよなあとその時は思ったのですが、その後の展開をみるとどうやらこれを首相が主体的に提起したかのような報道があったらしくあちこちで例によって安倍けしからんの火の手が上がっていて驚いたわけですがいやそれ新党改革ですから。ところで民主と維新が合流するそうですが新党改革はどうするのかな。まあ独自路線でしょうか。
ただまあ火の手の向かう先は別として中身は「名誉よりカネ」という非常にごもっともなもので、まあそういう話だよなと私も思います(いやまあ叙勲もやって悪いたあ言いませんが)。ということで本論に入りますが、昨日の日経新聞朝刊、マーケット面の名物コラム「大機小機」に吾妻橋氏が登場され、保育所不足問題についていつもながら的確かつ鋭く論じておられますのでご紹介したいと思います。しかし長い前振りだな(笑)。

 保育所不足を訴えたブログが政権を揺るがしている。保育所の拡充を政府が約束したのは1994年のエンゼルプランであり、20年以上も前である。なぜそれがいまだ実現できないのかといえば基本的な戦略に誤りがあるからだ。
 まず待機児童の解消という政策目標自体が間違っている。待機児童とは、認可保育所に入所を希望する子どもの数で、保育所が増えれば諦めていた人が登録する「逃げ水」に等しい。全国で2万〜3万人程度の待機児童なら対症療法で済む。しかし、5歳以下の630万人を潜在的な保育需要と見なせば、制度の抜本的な改革が不可欠となる。
 保育所が需要に見合った数に増えないのは、公立や社会福祉法人主体の児童福祉の枠組みのままだからだ。限られた数の低所得家庭にコストを度外視した料金でサービスを提供する仕組みでは需要超過になるのは当然だ。一般の共働き世帯には、コストに見合ったサービスの対価を支払ってもらう必要がある。
 数百万人の潜在需要に応えるには企業が主体とならなければ成り立たない。明確な根拠もなしに企業を排除する自治体に対しては、競争政策の視点からの是正策も考えられる。
 保育所を政府が責任を持って提供する福祉と考えるから財源問題が深刻になる。しかし、これを潜在需要の大きな市場と考えれば、企業にとってはビジネスチャンスだ。子どもの数は減っても1人当たりの支出は増えている。企業が創意と工夫で多様な保育サービスを生み出し、消費者保護の観点から政府が監視するという分担であるべきだ。
 保育サービスの不足を解消するには乏しい一般財源依存ではなく、独自の財源確保も必要である。2006年の「日本経済研究」で紹介された「育児保険」は、40歳以上が被保険者となっている介護保険の仕組みを応用し、20〜39歳層に育児保険の被保険者として保険料を求めるものだ。
 保育所の充実は安倍晋三政権の掲げる女性の活躍促進のための手段にとどまらない。それ自体が新たな生産活動と雇用を生み出す成長産業となる可能性を秘めている。子育てを社会で支えるという理念を実現するには、児童福祉法を改正し、保育を介護と同じサービスとして位置づける必要性がある。
平成28年3月17日付日本経済新聞朝刊「大機小機」)

叙勲がどうこうとかいう話じゃなくてこういう議論を国会でやってほしいものだと思うわけですよいや本当に。吾妻橋氏のこのご所論は私には非常にもっともなものだと思われるのですが、どうなのでしょうか。利用者からきちんとサービスに見合った料金を受け取るというのが、サービスの内容や保育士の賃金や生産性(笑)を上げるためには最も有効なのではないかと私は思います。もちろん支払能力のない人というのはいるのであり、さらにそういう人ほど保育サービスへの需要が高いというのも容易に想像できるところなので、そこは育児保険のような仕組みを使って一定の支払能力を確保すればいいわけですね。
具体的な制度をどうするかは難しい議論だろうとは思いますが、私としてはなんとなく民主党政権時代の子ども手当のように一人あたりいくらの定額で所得制限なども設けずにユニバーサルに給付するのがいいような気がしています(子どもの年齢によって金額を変えるのはあってもいいと思う。民主党子ども手当もそうだったと記憶)。親がさらに費用を追加して高価な保育サービスを購入してもいいでしょうし、保育サービスを利用せずに給付は他の用途に充当するのも自由ということでいいんじゃないかと思います。
育児保険はたしか(今ウラ取りしてないので間違いの可能性あり)負担増を嫌う経済界と民間企業や株式会社が嫌いな人たちの双方から反対論が出て頓挫してしまったと記憶していますが、あらためて考えなおされてもいいのではないかと思います。
どうなんでしょうか。