城繁幸氏の「超がつくほど基本的なこと」

もう1か月近く前のエントリなのですが、今回はだれかのリクエストというわけではなく自分で発見してしまったのですが感想を書いておきます。例によって城繁幸なんですが、氏のブログの11月7日のエントリです。お題は「専業主婦も終身雇用も割と最近の流行りもの」で、「政治とか雇用とか全然興味なかったけどなりゆきで最近議員になっちゃいました的なセンセイ方へのレクチャーを書いておこう。超がつくほど基本的なことなので普通の人は読み飛ばしてもらってOKだ」ということなのですが、あまりにツッコミどころが多すぎて…。
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/7626188.html
城氏のいわゆる「超がつくほど基本的なこと」がどんなシロモノかと申しますと、いきなり

 もともと日本は雇用の流動性の高い社会だった。それは明治に制定された民法で「解雇は2週間前の通告だけでいつでも可能」となっていることからも明らかだし、戦争中は国家総動員法で労働者の勝手な転職を禁止しなければならなかったほどだ(従業員移動防止令等)。

いや明治民法が制定当時の日本社会の実情どおりのわけがないだろう。当時の日本の商工業では、もちろん一部には近代的な雇用関係も見られた*1もののまだ広く一般化はしておらず、たとえば呉服屋の丁稚奉公や鍛冶屋の親方弟子関係のような徒弟制や、仕掛人・藤枝梅安に出てくる彦さん(の表の仕事である楊枝職人)のような出来高払の請負(まあ裏の仕事も請負だが*2)みたいな江戸時代の就労形態が存続していたわけで雇用の流動化云々以前の旧態であり、そういった前近代的なものを近代化していこうということもあってヨーロッパから民法を事実上輸入したという経緯ではなかったかと思うわけで。
続けて

ついでに言うと、本来、日本は実力主義の色濃い社会でもあった。戦前の緒方竹虎は38歳で朝日新聞社の取締役になっているし、戦後も田中角栄郵政大臣として初入閣したのは39歳だ。
ところが、高度成長期に新しい流れが起こる。日本が実質成長で毎年10%近くも成長し続けていた時代。裁判所は「(どうせ業績が悪くても一時的なものなのだから)企業はよほどのことが無い限りは解雇しちゃダメ」という判例をどかどか量産し始めた。こうして、後付けで終身雇用というシステムが生み出された。ついでに言うと、人為的に超長期雇用が生み出されたことへのバーターとして“定年制度”も生み出された。この年齢になったら辞めさせてもOKですよ、という救済措置なわけだ。

まず簡単に調べたところ緒方竹虎朝日新聞の取締役になったのは昭和3年=1928年のことであるらしく(http://kotobank.jp/word/%E7%B7%92%E6%96%B9+%E7%AB%B9%E8%99%8E-1641060)、1888年生まれなので39歳ないし(1月30日生まれなのでかなりの高確率で)40歳ということになります。それはそれとして当時の世相を考えれば大卒者はまだかなり稀少な存在であり、40歳で相当の地位に上ることはそれほど珍しくありませんでした。でまあ当時は実力云々以前に大学進学できるのは相当の特権階級に限られていた*3わけで、それを実力主義と言ってしまっていいものやら。まあそれも実力主義だという政治的立場もあるのかもしれません。
田中角栄についても立志伝中の人であることはもちろんですが彼が初入閣したのは1957年なので高度成長まっただ中であり、続けて「高度成長期に新しい流れが」とか書くのはどうかと思うなあ。
「人為的に超長期雇用が生み出されたことへのバーターとして“定年制度”も生み出された」というのも目を疑ったところで、定年制自体は戦前からあり(1902年の日本郵船が最先行事例として有名)、広く普及したのは戦後の企業再建にともなう人員整理の要請によるもの(1948年頃)と考えられていますので、高度成長に入る前に一般化していました。

 さて、人員整理をしてはいけないと言われた企業だが、繁忙期と閑散期がある以上はどこかで雇用調整しないといけない。というわけで、日本企業は残業時間を使って雇用調整をするようになった。忙しい時にはいっぱい残業させ、暇になったら残業時間を減らす方式だ。このためにいろいろな抜け穴が設けられ、雇用を守るため、労使は青天井で従業員に残業させることが可能となった。 結果、過労死が日本名物となった。
 もちろん他の先進国でも高額年俸を受け取るホワイトカラーの中には過労死するほどの勢いで働く猛者も多いけれど、年収500万円くらいの普通のサラリーマンがバタバタ死ぬ国は日本だけだ。

まあこのあたり正確には「人員整理をしてはいけない」ではなく「人員整理には一定の条件が必要」なのですが、ここは城氏としては以前から確信的に誤用しているらしいところなので、ああまたかという感じです。続く記述についても、雇用調整のための計画残業は平常時で日当たり1時間程度、多い時でもせいぜい日当たり3時間くらいまででこれが長期にわたることはまずなく、「雇用を守るため…青天井で残業」というのもかなり雑な議論ではあると思います。時間外労働規制の緩さが過労死の一因というのはそのとおりとしても。

 他にも、終身雇用はいろいろな副産物を生み出した。雇用を維持するためには、従業員は辞令一枚でいつでも全国転勤しないといけない。東京で余っている人を、空きの出た仙台に移すことで雇用を守れるようにするためだ。となると、共働きは難しい。夫婦のうちどちらか一方は家庭に入るか、稼ぎ頭の都合に合わせていつでも退職→移動の可能なパート程度で我慢する以外にない。こうして、夫は会社で滅私奉公、嫁は家庭で専業主婦というロールモデルが一般化することとなった。

城氏の「雇用を維持しようとするから弊害が出るのだ」と言いたい気持ちはよくわかるのですが、歴史の現実としては、東京から仙台への転勤にしても、高度成長期においてはその大半は業容拡大のため新たに仙台支店を設置するのでついては東京から何人か、という要請によるものであり、それが専業主婦モデルの形成に一役買ったというのが事実ではないかと思います。雇用維持のための広域配転が一般化するのは石油危機以降であり、その時点ではすでに専業主婦モデルは一定の確立をみていましたので、「雇用を維持するために…ロールモデルが一般化」との論旨は成り立たないように思います。

 要するに、終身雇用や過労死や専業主婦といった現象は日本本来の伝統でもなんでもなくて、割と最近の流行りものに過ぎないわけだ。そういうものを「本来日本は、男女の役割分担をきちんとした上で、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国」とかいうのはあまりにも見ていて恥ずかしいので辞めませう。

ということでオチは次世代の党の水田議員の国会質疑のひどさということで、これがあまりにも見ていて恥ずかしいということには私も全力で同意します。日本本来の伝統でもなんでもない、ということも基本的に同意で、一部上記のような歴史的経緯の中でそれなりに合理的なものとして出来上がってきたものであり、いまでも一定の合理性があるから生き延びているだけのものでしょう(ただしそれなりの長期存続しているので国民のメンタリティに一定の影響はあると思いますが)。ただ「流行りもの」というのは、城氏はまあ「そんな立派なものじゃないからいずれすたれるぜ」くらいの意味で言っているのでしょうが、現実をみると先日ご紹介した経済同友会の提言が大意「雇用者の7割を占めるサービス産業従事者の大半は典型的な長期雇用ではない」と主張しているくらいで、城氏が目の敵にする典型的な長期雇用の労働者は、現在ではそれほど多数ではなく、歴史的にも多数派であったことはなかったのではないかと思います。でまあ「流行りもの」というにはそれなりに多数の同調があってしかるべきではないかとは思うかなあ*4

ついでに言うと、
長期雇用を前提にじっくり育てるから若くてポテンシャルのある人材をまとめて採る方が合理的 →新卒一括採用
ポテンシャルと学校名しか見ないから勉強しない →大学レジャーランド
実際には旦那一人の稼ぎでは子供二人育てるのは困難 →完結出生率の低下

ポテンシャルと学校名「しか」見ないかというとそうでもないんじゃないかとは思いますが、それはそれとして典型的な長期雇用においてはポテンシャルが重視されることは間違いないと思います。それを判断する重要な情報が大学生の期間をどう過ごしたかということで、そこで大いに問題意識をもって勉強しましたというのはそれなりに企業もアプリシエイトすると思います。もちろん体育会でもいいですしボランティア活動でもいいでしょうし海外経験でもいいでしょうし、いろいろあるでしょうから、勉強に限る必要はないだろうと思いますが、しかしまあ本当に大学をレジャーランドにした人は就活も苦戦するのではないかと思うのですが…。
あと最後に「実際には旦那一人の稼ぎでは子供二人育てるのは困難」とわざわざ言っているのも理解に苦しむところで、城氏がここまで口をきわめて非難している長期雇用は、しかし「旦那一人の稼ぎで」「子供二人育てる」ことが可能となるような生計費賃金や福利厚生制度を提供してきたわけですよ?だから専業主婦モデルも可能になってきたわけであってですね…。
もちろん前述したようにそうした典型的な長期雇用の枠内に入っている労働者というのはおそらく相当の少数と考えられるので、長期雇用の枠外においてはそういった事態が発生していて、それが少子化につながっているということは否定はしませんが…。
ということで「超がつくほど基本的なこと」という割には事実関係の誤りが多く、また結果的にか意図してかはわかりませんが雇用維持を否定する方向にミスリーディングする内容となっていて、まあ相変わらずですねえという結論となりました。毎回書いてますがそういうご商売であり、需要もそれなりにあるのでしょうから経済活動としては立派なものであると思うと付け加えて終わります。なお今回もしっかりウラ取りしているわけではないので誤りがあれば率直に自己批判して訂正しますのでお気付きの方はご教示いただければ幸甚です。

*1:もっとも雇用関係であっても繊維工場における女工のようにその労働条件の劣悪さにおいて前近代的という実態もありました。

*2:ちなみに仲介者が半額をピンハネするという設定も前近代的ですね。

*3:ちなみに緒方の父は公務員から福岡農工銀行頭取に転じた人物であり、緒方自身は東京高商→早稲田大学で朝日入社後には英国留学もしています。

*4:なお「流行りもの」には短期で移ろうとの含意もあり、高度成長期以降の期間が短期かという議論もありますが、まあ日本本来の伝統といったタイムスケールに較べれば短期=「割と最近」だということで、ありうるレトリックだろうと思います。