STAP細胞に関する論文が世間で大問題になっているようです。私はもちろん科学研究のことはなにもわかりませんし、それなりに何本か書いた身として論文の作法としてどうなのよという感想はあるもののあれこれコメントする立場にもないわけですが、これは各方面からの指摘もあるとおり人事管理の問題という一面もあると思うので、その観点から少しコメントしたいと思います。正直よくわかってない世界の話で、間違いや勘違い、思い込みも多々あると思いますので、ご教示願えれば幸甚です。
おそらく当事者の方々も会員だろうと思われる分子生物学会という学会があり、そこで2013年に「ガチ議論」というイベントが実施されています。これは人事管理に限らず(しかし相当に主要な論点ですが)、研究者の就労環境全般に関する問題点と要望について、ウェブサイトやツイッターなどもふんだんに利用して、「ガチ」に、つまり本音かつ真剣、まじめに議論するというもので、業界では相当に注目されたものらしく、そのとりまとめは政府の総合科学技術会議でも報告されています。その際の資料がこちらからダウンロードできます。ちなみに現在ではこの「ガチ議論」のプラットフォームを利用して研究不正の議論が行われているのだとか。
http://scienceinjapan.org/topics/20140214.html
見てみますと、課題の第1として大書してあげられているのが「研究者のポスト問題!!」で、感嘆符2個付きというところに切実さが伺われます。具体的には「ポスドク1万人計画後、ポスト競争が過熱。研究適性の高い若手でも、参入を敬遠。競争過多で研究にマイナスになってます。さらに常勤と非常勤の待遇の差が大きすぎで5年あるいは10年の雇い止め問題も現在問題になっています。」…ということのようです。
で、それに対する提案は、「安定性と競争性を担保する日本版テニュア・トラック」というものだそうでして、「身分は安定させるが競争的なアドオン給与」「余程のことがない限りテニュアが取得可能」「多様なキャリアパス」の3つが掲げられています。
具体的には「身分はJSTやJSPSなどの中央雇用で最低限保障」し、学士18万円、修士20万円、博士22万円それぞれ/月という抑制的な基本報酬を支給する。その上で、所属する機関(大学とか研究所とかかな)から、業績や評価次第でアドオン的な報酬を受ける。さらに、一コマいくらの非常勤をやってもいいし、教科書を書いて稼いでもいいし、売れればテレビに出るのも結構という話のようです。
これはありていに申し上げてかなりいい身分ではないかと思うわけで、いやさすがに学士号保有者が私研究者ですといえばこの身分にありつけるということではなかろうと思うわけですが、次には「余程のことがない限りテニュアが取得可能」という要望があります。
どういうことかというと、研究者はまず大学なりなんなりの研究機関に所属し、そこで研究職としての資質だか能力だかなんだかの審査を受け、合格すれば上記JSTまたはJSPSに中央雇用され、現実的には何歳かの定年までは雇用保障される、ということのようで、所属機関や研究分野とかいったものとの相性のようなものものもあるだろうということか、異なる機関で3回失敗した人は「余程のことがある」ということでテニュアにはしない、それ以外はテニュアを得る、という話のようです。ずいぶん甘いような感じがするかもしれませんが、そもそも研究機関に所属できた時点でそれなりの質保証はできているのだから、あとは「余程のことがなければ」ということなのだろうと思います。
もっとも「多様なキャリアパス」のところでは「テニュアはPIだけでなく、ポスドクや技術補佐員、アドミニストレーターなど多様な方々が取得できる」となっていて、まあ基本報酬が学士や修士にもセットされていたのでそうだろうなとは思うわけですが、かなり幅広な人たちが対象になるようです。つかアドミストレーターって研究者って言うのかねこらこらこら。いやもちろん専門性を要するプロフェッショナルな仕事だと思いますが。
さて次に指摘されている課題は人事管理とは直接関係しませんが研究費の問題で、現状の競争的研究費について「様々な問題があります。ハイリスク研究に打ち込めません。当たるか、外れるかのオールオアナンなので、ギャンブル性が高すぎます。ですので、たくさん申請せねばならずそれだけで疲弊してしまいます。」とされています。そこで「安定した基盤研究費」つまり「研究者の過去の実績の評価に主に基づいて、額がゆるやかに変動するようなもので」、「突然ゼロになったり極端に増えることは」ないものにする、というわけです。具体的には現行の科研費のように研究者を何段階かにランク付けし、ランク別、研究分野別に研究費の幅を決める、ランクは5年に1回程度見直す、というもののようで、まあランク付けを誰がどう判定するのかにもよりますがスピードの差はあれ年功的な運用になりそうな予感はひしひしとしますし、そうなると科研費とあまり違わないのではないかという疑問も出てくるわけでまあ端的にいえば競争しなくていいようにしてくれということでしょうか。
その次はまた人事管理とも親和性のある課題で、なにかというと「自分の研究・教育に関係の薄い雑用が多すぎる!!」。「研究と無関係な学内マネジメント。駐車場委員会とか電力消費削減タスクフォースなど」「各種の膨大な申請書・報告書作成、これに対応して当然各種の膨大な審査・評価業務」「そしてこういう雑用は概して優秀な研究者に集中しがち」ということのようです。
でまあこれについての提案は「研究者の雑用の戦略的な軽減をお願いします!」で、具体策はほとんどなく「大学・研究機関の努力で減らせる、あるいは行政の協力もあれば減らせる」と述べるにとどまり、要するに大学・研究機関、行政がなんとかしてね僕たち知らないよというふうに見えてしまうというのは私の心がけがれているからでしょうか。まあ意地悪はともかくとして結局のところこれはある部分資金の問題と言えなくもなく、要するにそういう「雑用」を外注化できるだけの間接経費を含む資金が獲得できればいいわけです(もちろん研究者自身でなければできない「雑用」もあるでしょうが)。
あとは単年度予算が諸悪の根源であって預り金のような不正をやらざるをえないという話や、研究者が安心して海外留学できるようなネットワークづくりに公的な支援がほしいといった話が続いています。
さてそこで冒頭の理研の話との関係でいえば、理研で取り組まれるような分野においてポストと研究費の苛酷な競争を乗り切りつつ研究に生涯を捧げたいと思うのであれば相当に若い時期からかなりの業績をあげ続けることが求められるだろうということは容易に想像できるわけで、そうしたポストや資金を手にしたい・維持したいというプレッシャーがかかればかかるほどに不正な手段に頼りたいという誘因も強く働くだろうということではないかと思います(なお今回の理研の件が不正かどうかは私には判断できないのであくまで一般論です)。
いっぽうでこれらポストを支える人件費や研究費といったおカネがどこから出てきているかというと、民間企業のようにご商売で儲けたカネを再投資しているということはないとは言わないまでも微々たるもののはずで、まあ学生さんが払った学費というのもあるとしてもそれほど大きなものとも思えずかつそれは教育に費やすのが正論であり(違うのかな)、もちろん自力で企業から寄付講座なり共同研究なりをもぎとってくる研究者というのも多数いるでしょうがそういう先生方には上記のような問題は少なくとも現時点ではほぼないはずで、あとは大学の渉外本部とかの人たちが一生懸命集めてきた寄付金があり、そして残りの大半はあれこれ名前は変われど要するに税金ということになりましょう。したがって研究者のみなさまが安心して快適に研究できるだけのポストや資金その他の環境を準備することが税金の使いみちとして適切かという問題からは逃れられないでしょう。
結局のところポスト競争も競争的資金も限られた原資をいかに効率的に配分するかという方法論なのであって、原資が限られるほどに・参加者が多くなるほどに競争が熾烈になるのは当然と申せましょう。したがって競争が嫌いならマクロ的には原資を増やすか参加者を減らすかしかないわけで、「研究適性の高い若手でも、参入を敬遠」というのは参加者を減らす(増やさない)ことに貢献しているという部分もあるでしょう(ミクロ的には不正を働くという方法もありますがそれはそれとして)。
でまあこの「ガチ議論」は研究者の先生方の「ガチ議論」なので原資を増やす話に大いに傾くことは当然ではあるわけで、もちろん研究大事だからもっと予算つけるべきとの気持ちはよくわかりますし、特に先端・最先端分野ではどこからどう画期的な成果が出てくるかわからない(STAP細胞なんてのはまさにそうですね)幅広かつ柔軟かつ大規模におカネをつけるべきだとの意見もわかります。とはいえ設計・建設に一声1兆円、さらに毎年のランニングコストが1,000億円超という国際リニアコライダーを研究大事だから作りますと言われたら研究者でも大半の方はおいちょっと待てよと立ち止まるのではないかと思うわけで、まあ自分たちのポストやカネが減らなければかまわないということかもしれませんがそうなるとも思えず、したがって他に回るカネが減るのは困るからILCは慎重にというのがJSPSの立場だったのではないかと思います。
これは「雑用」についても似た事情で、やはり税金を使うのであれば、それなりに使い道や使い方などを明確にして正当性を説明できるようにしておかなければならないわけですし、それをチェックすることも必要になるわけです。この説明もチェックもそれなりの専門家、すなわち研究者がやらなければならない部分は大きいわけで、もちろん効率的なやり方を追求する必要はありますが、しかし税金を使う以上はやむを得ない部分はあるでしょう。
ということで、結局のところ参加者がわが国財政の実力を超えて多すぎるのではないかということを考える必要があるのではないかと私は思います。というか「ガチ議論」の資料でも冒頭いきなり「ポスドク1万人計画後」と書いているように、基本的には研究職への従事が念頭に置かれる博士を増やしたいっぽうでテニュアはそれほど増えなかったというところに問題を求めることができるのではないでしょうか。もちろん、テニュアのポスト数にあわせて博士の人数を調整せよというのは少なくとも私の好みではないのですが、テニュアが限られているにもかかわらずテニュアを期待した博士をそれ以上に政策的に増やしてしまったことの正当性は疑わざるを得ませんし、テニュアになれますよと言われてその気になって博士号を取ったもののテニュアになれませんという研究者にしてみればどうしてくれるんだと思うのも当然でしょう。早急に反省して軌道修正したほうがよさそうに私のような素人には思われるのですが、まあもう修正がはかられつつあるのかもしれませんが…。
なお人事管理的には「ガチ議論」の資料の後の方で出てくる、企業研究者の方がアンケート自由記入欄に書かれたという「日本国内の他の経済やら行政のあれやこれやすら見る事もできず、盲目的に「研究するから金くれ」ではやっていられない状況を、科学者も理解しながら自身の研究を行うべきだと思う。」という手厳しい意見が目につくところです。企業研究者というのは、それこそテニュアにありつけずに日々ポストと資金の確保に汲々としている研究者の方からみれば、雇用は安定しているし大企業なら労働条件も悪くないし研究資金も企業が確保してくれる(まあ予算が十分かどうかはともかく)しでかなりうらやましい存在だということになるのでしょうが、いっぽうで企業研究者からすれば研究機関などの研究者は「好きなことができていいよね」という気持ちがおそらくはあり、それがこういう手厳しい指摘になって現れるのでしょう。要するに企業研究者は当然ながら企業の求める研究開発に従事するわけで、研究者自身の技術的・科学的関心事とはあまり縁のない仕事というのも相当にあるだろうと思われますし、場合によっては試作とか設備保全とか、狭義の研究者の範囲に入らない仕事もカバーすることが多いでしょう。そういう立場からみれば、「好きなことやってるんだから、多少不安定でも資金が不足でも仕方ないでしょ」という見方もあるのかもしれません。
もともと博士を増やした背景には「企業が採用するだろう」との期待もあったのかもしれませんが、研究者や研究機関、行政などがこのあたりの整理をうまくつけなければ、なかなか企業としても採用拡大には踏み切れないのかもしれません。