企業を支える「働かないオジサン」

昨日、一昨日と東京ドームでアメフトのXリーグを観戦してまいりました。アメフトに限らずスポーツは全般にライブ観戦のほうがテレビ観戦の数倍は楽しめるわけですが、アメフトはライブ観戦するとなるほど米人が興奮するのもよくわかるなあ(技術的レベルも日本より相当に高いわけですし)と思います。アメフトに限らず、ラグビーにしてもバスケットボールにしてもボールのないところでなにが起きているかが面白いわけで、テレビだとそれは見えにくくなるわけですね。試合のほうは2日ともやや力量差があったようで大差になってしまいましたが、まあそれでも個別のプレーは十分楽しめました。入場料も前売りだと1,100円と手頃ですし、ドームなので雨の心配はないし、19:00試合開始で21:30には終わるというのも仕事帰りに観戦するには好都合ですし、プレーの合間にハドルなどがあって間合いがあるというのもビール飲みながら観戦するにははなはだ好都合*1ですし、スポーツ好きの方にはアメフトおすすめです。ちなみに観客動員もまずまずという感じでご同慶でしたが見る限りはチーム保有企業の従業員および関係先、あとはハーフタイムに大挙出演したキッズチアの親御さんなどに限られているようで自分でカネ払って入場する観客というのはどのくらいいるんだろうなどと余計な心配をする私。
さて前振りが長くなりましたがこの月曜日の産経新聞にhamachan先生ほかによる日本的雇用に関するインタビュー記事が掲載されていましたので備忘的に。個別取材を議論風につなぎあわせた編集だと思いますがよくできていると思います。

 「“働かないオジサン”が生まれるのは、日本企業の構造的なものが大きい」
 日本企業の人事メカニズムを解説した新書『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』(新潮新書)を4月に刊行したサラリーマン兼著述家の楠木新氏(60)は、大手生命保険で人事畑を歩んだ自らの経験をもとに、そう語る。
 書名は、多くの若手会社員が一度は不条理に思う事態。だが、これは長期雇用を前提にした新卒一括採用制度を取る以上、必然的に出てくる問題だという。「新卒者は能力や技能よりも、まず会社のメンバーとして一緒に気持ちよく仕事ができるかを基準に採用される」。白紙状態で入った後は社内で教育され、同期入社組と横並びの年功昇給を重ねながら全員が管理職ポストを目指して進んでいくモデルだが、「問題は管理職登用という選抜によるピラミッド構造が始まる40歳前後。ポストを得られなかった人が意欲を失ってしまうために“働かないオジサン”が発生してしまう」。
 こうした日本型雇用システムは、世界的にみれば特殊だ。
 「日本の雇用は、まず会社の一員となる人を集め、そこから仕事を割り振っていく『メンバーシップ型』。対して欧米やアジア諸国は、最初に仕事があり、それができる人を採用する『ジョブ型』」。そう雇用モデルを2分類し、労働問題で論壇をリードするのが、『若者と労働』(中公新書ラクレ)などの著書で知られる労働政策研究・研修機構濱口桂一郎・主席統括研究員(55)。
 濱口氏は、日本型雇用システムの本質は、「職務の定めのないメンバーシップ型雇用契約にある」と指摘する。集団の一員として、無制限の残業など時に労働法に反する「滅私奉公」をしなければならない代わりに、長期にわたる雇用保障が受けられる。「このシステムは、かつてはうまく回っていた。経済は拡大し、女性は結婚退職するので、男性正社員は多くが管理職になれた。しかしバブル崩壊後の経済低迷で、管理職になれない中高年が大量に出てくることになった」
 こうした日本型雇用の行き詰まりは、劣悪な労働環境で社員を使い捨てるブラック企業の増加にもつながっている。若者の労働相談に取り組むNPO法人「POSSE」の今野晴貴代表(31)は、近年大きな社会問題と化したブラック企業は「日本型雇用が変質したもの」だとみる。
 今野代表は、諸外国と比べた日本企業の特徴は、企業の命令権の強さだと指摘する。「命令権の強さはそのままで、手厚い福祉や雇用保障を切り捨てたのがブラック企業
 この分析に対し、濱口氏は「たしかに日本型雇用にはブラック企業になりうるDNAがある。ただ、(定年までの雇用保障や年功賃金といった)それを発現させないためのメカニズムがかつては働いていた」と語る。「無制限に働かせはしたが、決して使い捨てにはしなかった。社員を安心してフルに働けるようにするという点で、欧米よりも社会の競争力を高める効果があったのも事実。単純に日本型雇用が悪いという話ではない」
 濱口氏は、維持困難になっている日本型雇用の改善案として職務や勤務地、労働時間などを限定した無期雇用契約である「ジョブ型正社員」の推進を提唱する。一方、楠木氏は文化的な面からもジョブ型への転換には懐疑的だ。「やはり、日本人は自分が組織の中に位置づけられることで安心する。そうした人と人との結びつき方を、簡単に経営という視点で変えられるとは思わない。意欲を失った中高年の問題など改善点はあるが、日本型雇用システムは今後も主流として存続していくだろう」
平成26年9月15日付産経新聞朝刊から)

なかなかわかりやすく要領のよいまとめになっていると思いますが、それゆえ補足が必要な部分が相当にあるように見受けられるので以下書いていきます。
まずhamachan先生先生の言葉として書かれている(おそらくは先生の発言そのままではなく執筆した記者の方がその後のブラック企業につなげるためにこう書かれたのではないかと推測しますが)「バブル崩壊後の経済低迷で、管理職になれない中高年が大量に出てくることになった」というのはかなり問題のある記述だと思います。いやバブル崩壊に始まった話じゃないでしょうということなのですが。
実際、私の手元にある、今をさること40年前の「日経ビジネス」1974年7月22日号では、「”企業内浪人”をどう処遇する ポスト不足時代の落とし子、一つ間違えば”火薬庫”に」という特集記事に5ページをさいています。一部引用しましょう。

…よほどの急成長企業は例外として、社内のポストの絶対数が不足しているのは、いまや各企業、共通の悩みだ。…だからといって、余った人材を格下げにしたり、首にすることもままらない。一方、定年延長の要求は、一段と高まること請け合いだ。子会社にはけ口を求めるのも思うようにまかせない。生え抜きの人材にポストを与えないで済ますことはできまい。…
…大多数の企業は「将来の幹部候補生」として大卒者を大量に採用してきている。…もともと、日本の経営者は、ポストにつける、昇進させるという条件と引き替えに、部下からの忠誠心を買い、それで自らの地位を保持してきたという面を否定できない。
 幹部候補生として採用しておきながら、役職につけるのが一握りの人間ということがわかってしまえば、もはや従来のように経営者に中世を誓う人間はぐんと減る…日本的な集団主義の美徳がおおいに後退すると考えられる…
…ポストから外れた人材のモラールが下がり、…昇進は初めから諦め、適当に与えられた仕事だけやるが、絶対に自ら能率を上げようとはしない…そこまで、ひどい状況にならなくても、企業全体の活力、行動力にガタがくる。…
 こんなことにならないためにはどうするべきか。…
 このごろ流行っているものに社内資格制度がある。ポストに限りがあるので、資格制度と2本建てで処遇する。…この資格制度を企業内浪人時代の対策として本命視するケースも増えている。…丸紅の場合はかなり徹底していて、ポストを序列や処遇体系から完全に切り離すことを狙っている。…
(「日経ビジネス」114号(1974年7月22日号)、pp.57-60)

内容の当否は別としていったいいつの記事だという感をお持ちの方も多いのではないかと思います。現実には、もともと一つだった課を2つに分割することで課長ポストを増やし、それもままならなくなれば課長の下に副課長を置くとかいった形で対応し…という流れも並行してあり、それが行き詰まったことで先行企業にならって社内資格制度を導入する企業も多かったと思います。
たとえば、総務部経理課に資金係、管理係、主計係、税務係があったとしましょう。このうち資金係長を課長に昇進させたいとなると、経理課を第1経理課(管理係・主計係)と第2経理課(資金係・税務係)に分割し、従来の経理課長を第1経理課長、昇進した前資金係長を第2経理係長とする。さらに翌年主計係長も課長に昇進させたいとなれば、これを第1経理課副課長として引き続き主計係を主に担当させ、従来の第1経理課長(その前は経理課長だったわけですが)は第1経理課の正課長として管理係を主に第1経理課全体を統括するといった形にする。そうこうすると第1経理課長が総務部次長に昇進するので第1経理課の副課長がめでたく正課長に昇進?するわけですがこんどは税務係長を課長に昇進させなければならないのでこんどは第2経理課に副課長をおく。当然ながら組織を無限に細分化することは不可能なのでこんなことばサステナブルではありません。そこで、面倒だから組織のほうを変更して細分化される前の課くらいの組織をユニット、係をグループとして組織再編し、部次長とか課長とか係長とかは社内資格(クラス)にしてしまって、賃金などは社内資格で決まるけれどユニットマネージャーとかグループチーフとかいったポジションにだれがつくかは社内資格とは無関係、部次長クラスでも課長クラスでも係長クラスでもユニットマネージャーになりうるしグループチーフになりうる、というのがまあ上記引用記事の丸紅などが意図したものだったわけです(まあ係長クラスがユニットマネージャーというのは現実には難しかったでしょうが)。
さてこの記事でもその効用を疑う向きが多いとか書かれているわけですが、現実にはまあ相当の試行錯誤はあっただろうと思います。一部で悪名高い1995年の日経連『新時代の「日本的経営」』も、賃金制度や組織改革などに関する部分はその中間総括的な意味合いが濃いのではないでしょうか。
したがって、楠木新氏の言葉とされる「「問題は管理職登用という選抜によるピラミッド構造が始まる40歳前後。ポストを得られなかった人が意欲を失ってしまうために“働かないオジサン”が発生してしまう」というのも、40年以上にわたる運用改善を通じて、今日ではかなり中身が違ってきているのではないかと思います。
つまり、「40歳前後」に「管理職登用という選抜」などのかなり最終的な関門があり、そこでさらにふたつみっつあるいはさらに上を望める人(もちろん結果的にそこで止まる人もいる)とうまくいけば定年までの間にもうひとつ上くらいまでなら望める人との選別がある、というのは、まあ楠木氏のご指摘のように多くの大企業での現実かもしれません(もちろん実際にはそこに向かってもっと早期から明示的・黙示的により緩やかな選抜は行われているわけでしょうが)。それは結局その時点以降のキャリアがファスト・トラックとスロー・トラックに分かれるということであり、逆にいえば組織的にそれだけのスロー・トラック人材が必要とされていることでもありましょう。冒頭のアメフトの例をひけば、ファスト・トラックの人はボールのある場所で目立つ活躍をするのに対して、スロー・トラックの人はボールのない場所でテレビに映らないプレーに徹するということになるのではないかと思います。もちろん前者は当然ながら注目されるし批判も受けるしプレッシャーも強いしで仕事はきつい一方、後者についてはそこまできつくはないわけです。とはいえ後者の仕事も必要であり往々にして重要でもあるので引き続きそれなりの意欲をもって働いてもらう必要があり、したがって降格や減給などはしないし、場合によってはさらに昇格も期待できるという動機づけがされているのでしょう*2
ということで、たしかに”働かないオジサン”はファスト・トラックに残った”働くオジサン”に較べると「働いていない」ように経験の浅い若い人には見えるのでしょうが、しかし現実には働いていないというわけではないし、「多くの若手会社員が一度は不条理に思う事態」ではあるとしても、ファスト・トラックに乗った”働くオジサン”たちが”働かないオジサン”に対してその賃金が高すぎるなどと苦情を申し立てることも、まあないこともないでしょうがそれほど多くもないのではないかと思うわけです。
なぜそうした苦情が出ないかといえば、端的にいえばじゃあ交替しますかという話だろうと思います。これも繰り返し書いていますが労働条件というのはパッケージであり、仕事はきついけれどキャリアの可能性が大きい仕事と、そこまできつくはないけれどキャリアの可能性は乏しい仕事と、賃金が同じならどちらを選びますかという話で、前者を選ぶ人はそれ以上に苦情を申し立てる必要を感じないのではないでしょうか(加えて、私としては前者を選ぶ人が後者の仕事の必要性を理解しているから、という美談も付け加えたいとも思います)。もちろん健康上の理由とか老親介護の必要性とかいった事情で後者を選択したいという人も一定数いる*3はずであり、そのような事情に迫られた場合にも雇用や収入が不安定にならないようにという互助的な保険機能としての意味もある、ということも繰り返し書いていると思います*4
ということで、hamachan先生の意図はともかく、私としては先生の推奨される「職務や勤務地、労働時間などを限定した無期雇用契約である「ジョブ型正社員」」については、当初からスロー・トラックを想定した働き方だと理解したいと思います。企業としては最初からスロー・トラックという割り切りで入社してくれた人のほうが動機づけもしやすいというメリットがあるかもしれませんし、働く人にしてみれば、社長の可能性もある幹部候補生ですと言われて入社してその気になって頑張ったところ40歳前後で「これからはスローで」と言われて話が違うじゃないか、ということにはならないという、こればメリットなのかなあ。そうなれば最初からファスト・トラックで入社するという人も出てくるわけでしょうから、そうなれば競争条件が楽になって無理をしなくてすむということになる、これはメリットかな。うーん、企業とすれば最初からファスト・トラックを約束せず、やはり40歳前後での振り分けは残しますという態度に出るかもしれません。このあたりは、それでどのくらい良好な人材が確保できるかとか、高い意欲を維持できるかといった問題が絡んできて難しい問題になりそうです。
それに対して楠木氏は「やはり、日本人は自分が組織の中に位置づけられることで安心する。そうした人と人との結びつき方を、簡単に経営という視点で変えられるとは思わない。意欲を失った中高年の問題など改善点はあるが、日本型雇用システムは今後も主流として存続していくだろう」と述べられたとのことで、これはどうなんでしょうか。hamachan先生はジョブ型といえども解雇されやすいわけではないとのご主張ですから、ジョブ型であっても組織の中に位置づけられることで安心できるには違いないと思うのですが…。楠木氏が言わんとしていたのは、おそらくは「文化的な面からも」ほとんどの人は最初からスロー・トラックのジョブ型ではなく、ファスト・トラックの(可能性の)あるメンバーシップ型を選択したいのではないか、ということではないかと思います。これはhamachan先生もご著書のどれかの中で「いまの日本社会では特に男性のほとんどはメンバーシップを選ぶだろう」と書かれていたように思います。
となると、やはり40歳前後で多くの人は多分に非自発的にスロー・トラックに進むわけで、そこでそれなりの意欲を維持させようとすればファスト・トラックとの比較上そこそこの処遇はやはり必要なのでしょう。未読ですが楠木氏のご著書にもそんなことが書いてあるのかもしれません。ちなみに上記1974年の日経ビジネス誌にも「「ポストはないが、仕事もやり甲斐があり、ハッピーだ」という気持ちにさせるには、経済的な裏付けを十分にすることも重要だ」と書かれているのですね(前掲誌p.61)。案外変わらないもののようです。
なお今野氏の指摘については、長期にわたってきわめて厳しい雇用失業情勢が続いたことで、今野氏がいうような悪条件の求人でも採用ができたという特殊事情だったのではないかと思います。雇用失業情勢の改善によってそうした求人は確実に、というか激減しているわけですし、なによりそういう仕事を選ばざるを得なかった人たちの多くは雇用の安定とキャリアの伸長が期待できる日本的雇用を希望しているわけですので、だから日本的雇用が悪いとかそれを解体すべきとかいう議論にはならないだろうと思います(今野氏もここでそんな議論はしておられませんし)。
最後にもう一度アメフトの話ですが書いたとおり2試合とも大差だったわけですが、クォーターバックランニングバック、ワイドレシーバー、タイトエンドといったボールのあるところでプレーするポジションにはどのチームもタレントを配置しているわけです(まあ差はありますが)。強いチームはやはりディフェンスはじめボールのないところでのプレーが優れていて、特にルール上ボールに触れない無資格レシーバーのクォリティが大差だなあと素人目にも思いました。お前に何がわかるかというレベルの話なのですが。

*1:ただまあ大差になるとリードしている側はハドルを組まずにどんどん進めるのであわただしくなるのですが。

*2:過去繰り返し書いているようにこれを「いつまでも鼻先にニンジンをぶら下げることで労働者のやる気を搾取する資本家の狡猾な企み」と評価することも可能だろうと思います。まあ働く人がどちらを選ぶかという選択の問題であり、現実にも「いや私これ以上ニンジン要りませんから適当に走ります」という選択は可能です。これは古典的な”働かないオジサン”かもしれませんが悪いわけでもないでしょう。

*3:こうした意図せぬ事情のほかにも、企業外で社会的に承認されていて仕事以外にやりたいことやるべきことがある人、というのもまあ少数ですがいることはいて、そういう人も後者で不満はないでしょう。

*4:なお業績不振が続いてリストラが必要になったときにどちらが対象になりやすいかという議論はあり、そのあたりにファスト・トラックの優位性があるかもしれません。もっともそうなればファスト・トラックの人から逃げ出してしまうという話もあるわけですが。