平成24年版労働経済白書

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/12/
出た直後に一言だけ感想を書いたのですが、もう少し敷衍してみたいと思います。
今回の白書の最も主要な主張は「まとめ」にある以下のポイントでしょう。

 日本経済においては需要不足が続いているが、国内需要の大きな割合を占める家計消費を押し下げている最大の要因は所得の低下である。マクロ的には必ずしも労働生産性の上昇に見合った所得の増加がみられておらず、それは主に非正規雇用者の増加によるものであり、また、非正規雇用者の増加が低所得者層の増加につながっている。
 一方で、企業が正社員を絞り込んだ結果、労働費用調整の弾力化が損なわれている面があり、また、企業の意識面からは、非正規雇用者の増加傾向には変化の兆しがみられている。
 こうした中、企業が生み出した付加価値を国内で有効活用し、日本経済のマクロの好循環を復活させるための環境整備が重要であり、人材への投資、内需の源泉である労働への分配の度合いを増やしていくことも検討すべき課題である。
 失業者、無業者、非正規雇用者と比較して購買力が高く、現実の消費支出も多い「分厚い中間層」の復活は、消費を通じた日本経済の活性化の点からもプラスであり、また、社会の安定にもつながる。

 バブル崩壊後低成長が続く日本経済においては、企業経営を守るための人件費の削減が、結果としてマクロの所得の減少を通じた消費の伸び悩みにつながり、現在、コストを削減した結果、モノが売れなくなったといういわゆる「合成の誤謬」の状態が続いていると考えられる。
 経済は需要面、供給面の両面から捉える必要があるが、同様に、労働者についても、労働力の供給主体であるとともに、消費主体でもあり、両面から捉える必要がある。また、人件費をコストとしてのみ捉えるのではなく、人的資源、あるいは内需の源泉として捉えることも重要である。
厚生労働省(2012)『平成24年労働経済の分析−分厚い中間層の復活に向けた課題−』p.338、以下引用は同書から)

本文中ではその裏づけとなる所得、消費や雇用情勢などに関する分析がていねいに行われていて、たいへん充実した内容であると申し上げられるものと思います。
とりわけ第3章第4節「労働移動や雇用調整など労働市場の課題」の前半で雇用保護と失業・臨時雇用比率の関係を分析した部分や、労働移動の生産性や労働条件への影響を分析した部分などはきわめて興味深く読みました。
後段における非正規雇用による雇用調整の分析はさらに興味深いものがあり、

非正規雇用の活用が労働コスト弾力化に貢献するとすれば、本節の1)でみた雇用保護の相対的低さに表れるような、期間満了に伴う契約不更新が正社員の解雇等より容易なことくらいではないだろうか。(p.322)

と指摘し、さらにJILPTによる実態調査の結果をひいて

…労働コスト調整のために非正規雇用活用の重要な利点と考えられる「有期契約・派遣社員の契約不更新」のしやすさについては、マイナス7.2%ポイントと、「最近」の方が「しにくい」企業割合が「しやすい」を上回っている。「しにくい」理由としては「非正社員の雇用法制や派遣労働法制が強化されている」を73.6%と最も多くの企業があげており、この背景には本調査の調査時点(2012年2〜3月)において、日雇い派遣の原則禁止などの労働者派遣法改正の審議が行われていたことも影響していると思われる。次いで「非正社員でも常用的に不可欠な層が厚くなっている」を47.1%の企業があげており、非正社員による労働コスト調整余地を企業自らが狭めてきたことがうかがえる。
「有期契約・派遣社員の契約不更新」のしやすさについても、ある意味当然のことながら、非正社員比率が高い企業ほど調整が「やりにくい」が多くなっている。(pp.324-325)

と、規制強化の弊害を率直に認めつつ、非正規雇用比率の上昇がかえって雇用調整の容易さを低下させる実態もあることを明らかにした上で、

非正規雇用者の活用は、労働コスト節約よりも労働コスト弾力化効果を重視し、その際非正規雇用者比率を高めすぎないことが企業にとって望ましい可能性を本節の分析は示す。…常用的に不可欠な層を厚くしすぎず、その活用を「調整に有効な」仕事に重点化することで、絞り込みすぎた正規雇用者割合を是正することは労使双方にとって望ましい方向と思われる。(p.325)

と結論付けています。白書は第2章第1節でも実態調査のデータをひいて「企業が正規雇用者を絞り込み非正規雇用者を増加させてきた今までの傾向に変化の兆しがみられる。」と指摘しており(p.139)、各企業はそれぞれに自社にとって適切な非正規雇用比率を模索しつつあると見ていいのではないかと思います。これは旧日経連の『新時代の「日本的経営」』(1995)に記載のある自社型雇用ポートフォリオそのものであることは声を大にして指摘したいところです。残念なのはこの前後で「非正規雇用者の労働条件を正規雇用者と均衡の取れたものへと近づけながら」とか「正規雇用の増加と、正規・非正規間の格差是正は、「分厚い中間層」の復活につながり」とか余計なことを書いて値打ちを落としてしまっているところで、政策的に書きたい/書かなければならない事情はよく理解できるのですが、しかし正規雇用の増加によって中間層を増やそうという話(これ自体はたいへんに正しい考え方と思います)と非正規の処遇改善(これ自体の必要性を否定するものではない)とは直接の関係はないはずでしょう。
さて本白書の目玉と思われる第2章第2節「分厚い中間層の復活に向けた課題」ですが…うーん、たいへん入念な分析と目配りの行き届いた記述にもかかわらず、やはり「ダメ」と申し上げざるを得ないように思います。
なるほど、企業部門が貯蓄超過であること、結果邦銀の貸出が低迷していることは事実だろうと思います。賃金の上昇が生産性の上昇を下回っていることも間違いなかろうと思います。所得が消費に大きく影響するというのもそのとおりでしょう。率直に申し上げて、幸いにもそれまで企業が手元資金を積み上げていなかったらリーマン・ショック東日本大震災を乗り切れたかどうか、という気はするわけですが、まあ企業労使が「経営の安定を通じて雇用の維持確保をはかるため」ということで労働条件の引き上げより財務体質の強化を優先してきたことの結果を「合成の誤謬」と呼ぶこともできると思います(これは当初見落としていたのですがp.186の脚注に「個別企業における分配については、労使による判断によるものである。」との言及があり、周到なものだと感心しました)。
しかし、したがって企業部門の貯蓄超過を労働者の所得に分配すべしとの結論に短絡することにはいくつもの問題がありそうです。
まず第一に、白書自身も上で紹介したように「企業が生み出した付加価値を国内で有効活用し」と書いているわけで、まずは企業の手元資金(や邦銀の資金)を国内投資に振り向けることを考えるべきではないかという点があります。企業の利益が国内に再投資されれば雇用も増加することは自明なわけで、それにより労働需給がタイトになれば放っておいても賃金は上がります。実際この点、白書はこの節でもこう書いているわけです。

…企業は生み出した付加価値を海外投資に振り向ける傾向が強くなっている。これは、…企業が収益性の高い海外の需要を取り込むための行動であると考えられる。(p.186)

で、白書はこれに続けて労働者の所得増による内需拡大を訴えるわけですが、もちろん内需拡大も重要と思いますし、賃上げ→内需拡大→設備投資増・生産増→雇用増というシナリオを否定するつもりもありません、しかし、理屈はともかく現実のボリュームとしてそれだけで需給ギャップの解消にどれほど効くかというと、その効果には疑問を感じざるを得ません。「収益性の高い海外の需要」を(海外投資ではなく)国内投資で国内に取り込むことが雇用創出のためには最も効果的であり、そのための立地競争力・輸出競争力の強化こそが雇用対策として最重要と申せましょう。わが国経済の輸出依存度は米国を除けば先進諸国では最も低い部類に入り、その米国が輸出の増加による雇用増をはかっていることを考えても、これが最も急がれる雇用対策であることは明らかと思われます。具体的には円高対策やTPPをはじめとする自由貿易政策であり、あるいは法人税の引き下げや電力の安定供給といった課題になるわけで、厚生労働省としてみれはそれは俺たちの縄張りじゃないよということになろうかとは思いますが、しかし経済産業省なんかは雇用政策にもバンバン口出ししてくるわけですから遠慮することもないと思います。まあ、この円高の中で最低賃金を1,000円に引き上げるとか言っている逆噴射政権の白書なので、致し方ないところはあろうかとも思いますが…。
第二に、これが連合白書みたいでダメだねえと思った点ですが、企業はその気になれば貯蓄超過を労働者の所得増に振り向けることが容易にできると思っているフシがある点です。いや実際には白書もちゃんとこう書いていて、

…企業の増加した利益は、配当金や内部留保の増加につながっていることがわかる。
 こうした企業行動に影響を与えた要因としては、バブル崩壊後の日本経済の成長鈍化やグローバル化の進展などに加え、2000年代に入り、2001年に導入された金融商品時価評価や退職給付会計をはじめとして、企業会計基準が変更されたことも大きいと考えられる。こうした背景の中、今後の企業の行動としては、量的拡大経営から収益性重視経営へ、利益分配は株主を重視し人件費を抑制する方向にあると指摘されている。(p.181)

賃上げが生産性向上を下回るにも相応の理由があるわけです。その上で白書は株主を重視せずに人件費を拡大する経営をしろと言っているわけですから、当然ながらそれを阻害している要因を指摘して排除することを主張していただきたかったと思います。「人件費をコストとしてのみ捉えるのではなく、人的資源、あるいは内需の源泉として捉えることも重要」という白書の主張には大方の経営者は同意するはずで、白書が経営者に説教を垂れてもなんの解決にもなりません。2〜3期連続で赤字で無配でも「配当に回すカネはありませんが人材投資のために賃金は引き上げます」とか「人材はわが社の重要な資産だから赤字続きでも雇用調整はしません」(こう言るようになれば他になにもしなくても正規雇用比率は相当に引き上げられるはず)とか、経営者が堂々と言えるようにすべきだ、くらいの主張はしてほしかったと思います。難しいことは承知の上ですが。
為念申し上げますと、このブログでも繰り返し書いているとおり、私自身も企業が使い道のない資金を遊ばせておくことはムダだと思いますし、有望な投資先を見つけられないのであれば株主や従業員に還元すべきと思いますし、株主に配分すると相当部分が国外に流出してしまうことを考えると従業員への賞与にあてたほうがいいとも思います。しかし、現状はというと政府の無策ゆえに国内の良好な投資機会が失われ、産業空洞化が加速しかねない状況にあるわけで、それは私たちにはどうしようもないからせめて労働者への分配を増やして内需だけでも拡大しましょうよそのための障害を取り除く努力もできないけどさあと言われてしまうとまあダメだよねという感想しか出てこないかなと。いや要するに八つ当たりです
もうひとつ、第一第二とも関連しますが第三に申し上げたいのは、上で引用したように「経済は需要面、供給面の両面から捉える必要があるが、同様に、労働者についても、労働力の供給主体であるとともに、消費主体でもあり、両面から捉える必要がある。」と言っておられるわりには、労働市場政策については相変わらず供給サイドの改善に極度に偏っていて需要サイドの改善についてはほとんど言及がないという点です。まったくないわけではないですが、供給サイドについては2節92ページをあてて力説されているのに較べると、まことに均衡を欠いていると思います。いやもちろんグローバル人材がヘチマとかイノベーション人材が滑った転んだとか、ミスマッチもあろうとは思いますが、しかし(これもこのブログで繰り返し書いてきましたが)圧倒的に問題なのは量的な需要不足だというのは明々白々ではないかとも思います。
そのための雇用創出をどうするのか、という話は、しかしそこまで分析し議論しろという話になると白書が何冊あっても足りませんということになるのかなあ。しょせんはないものねだりなのかもしれません。ただ、連合白書ならともかく(失礼)、労働経済白書ともなるとその影響力はたいへんに大きいわけで、これをそのまま真に受けてそうだよ企業がその気になって正規雇用を増やせばそれでいいんだよなんだったら強制しようかとかいうバカなことを本気で言い出す人が出てきたりすると困ったことになるわけで、難癖に近いなとも思いながらあえて辛口に申し上げさせていただきました。