循環要因の軽視

やまださんという方から、昨年11月18日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#p1)と、この1月13日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#p1)にコメントをいただいています(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#c1290111335http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#c1295057517)。

 大卒の就職率が60%というのは大学や学部の新設を認めすぎ、ニーズもないのに大量の大学生を世に大量生産してきた文部行政の責任です。
 でもここで冷静に考えて欲しいのは、Aさんという大学生が株式会社Bという会社の採用試験に落ちたり通ったりするのはそもそもAさんの責任だということです。マクロの問題とミクロの問題は異なります。ダメな学生ほど自分のことを棚に上げてマクロの問題にすり替えます。
 そもそも企業は生き残りに必死です。民間企業はボランティアでもケア施設でもありません。本当に欲しい人材しか採用しませんし、できないのです。実社会、とりわけ大都会で生きるということは競争です。今、企業は生き残り競争に必死です。企業は今?正社員?その他(派遣、AR)を明確に使い分けています。?は給料が高く、生活が安定しています。?は薄給で使い捨てです。時間的な無理が頼めて、成績がついてまわる成果主義的な仕事のみ?社員に、そういうことが無理な仕事は?非正規雇用にさせています。まず、?を選ぶか?を選ぶか、が今の就活の入り口部分なんです。そこをわかって無い学生が漫然とやりたい仕事で正社員...といって就活するとまず落ちます。馬鹿な学生がやりたい仕事で正社員にしろといいますがそもそもありえないのです。
 今の大学生の選択肢は以下の3つのいずれかです。
 (1)都会で正社員になって死に物狂いで働き、安定した生活をする、(2)都会で非正規雇用で年収200万以下の貧乏生活をしながら時間にゆとりのある生活をする。ただし老後はまともに年金も医療も受けられない (3)地方で若手後継者の足りない農林水産業に従事する。
 やりたい仕事で正社員で休みもあって給料もよくて都会生活をおくれて…などということはありえないのです。(1)〜(3)のいずれかだということを親、大学の就職指導担当教員などが厳しく教えないから結果的にみんな自動的に(2)になっていくのです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#c1290111335

 極論をいうと就活をするということは 私に毎月お金を払ってください と会社に申し込むことだとおもいます。当然払う側はきびしく選考するし、若い方がいいし、仕事できそうな子がいいのです。例は悪いのですが、極論をいうとあの市橋容疑者ですらしらない土地で住み込み・常勤で仕事をしていました。保証人なし、自動車免許なし、偽名の犯罪逃亡人ですら、死に物狂いの人間ならちゃんと職にありつけて食っていけるという証明です。40代以下なら仕事はあります。40代以下は仕事のえり好みなどせず、とにかく働くことが大事です。新聞配達、パチンコ従業員、農林水産業など慢性人不足の業界で、知らない土地で心機一転働くつもりなら実は働けます。40代以下で就職できない人は強気すぎるのです。「自分らしくいられ、今のライフスタイルを維持でき、やりたい仕事でかつ正社員にしろ。できれば大企業、人気業界で」と要求するので結果的に就職できないのです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#c1295057517

一部文字化けしてしまっているようなのですが、意は通ると思いますのでそのままにしました。
論点が多岐にわたっているのですべてていねいにお答えできないことはご容赦ください。以下簡単にコメントさせていただきます。
全体を通じて循環要因を軽視しすぎかと思います。まず前者、「大卒の就職率が60%というのは大学や学部の新設を認めすぎ、ニーズもないのに大量の大学生を世に大量生産してきた文部行政の責任です」というのは実は「アゴラ」で池田信夫先生も類似の主張をしておられ(「大学生が多すぎる」http://agora-web.jp/archives/1139854.html)、まあこれだけ進学率が上がったら大卒の学歴が大企業ホワイトカラー切符というわけにはいかないよねというのは直観的にはわからないではありません。とはいえ、高卒の内定率も同じく低いことを思えば、やはり不況の影響が大きいのではないかとも思います。実際、もし今の大学4年生が進学せずに4〜5年前に就職活動をしていれば、現在に較べればかなり恵まれた状況で就職できただろうと思います(高卒就職になるので大卒就職と同様ではないわけですが)。
「でもここで」以降の自己責任論も同様、たしかに就職できている人もいるわけですが、割合、確率の問題ではないでしょうか。もちろん私としてもすべて経済環境や社会の問題だとする論者にも与するものではありませんが、大半を自己責任とするのもどうかと思います。
「そもそも」以降の二極化についてのご指摘も、まあ実態はそれに近いのかもしれませんし、いま現在の就活はそれを前提とせざるを得ないこともまあ致し方ないわけですが、しかし今後もずっとそのままだという議論には賛同できません。教員が学生に実態を厳しく教えることも大事でしょうが、二極化という好ましくない(と私は思います)実態を改善する努力も必要ではないでしょうか。
次に後者、たしかに元気な若者にとって食い扶持を稼げばいいというのであれば選ばなければ仕事はあるのかもしれません。あれこれすべてを求めるのが(程度問題ですが)無理な高望みだというのもそうかもしれません。ただ、就活に臨む若者が全員、どうしても「自分らしくいられ、今のライフスタイルを維持でき、やりたい仕事でかつ正社員にしろ。できれば大企業、人気業界で」と考えているのかというとそうでもないでしょう。なるほどどんな仕事でもそれなりに経験や能力が身につくといえるでしょうが、しかし若い人ほどできるだけ経験の蓄積や能力の向上に資する仕事に就くことが本人だけでなく国家経済のためにも望ましいことも間違いないのではないでしょうか。企業がそうした仕事をたくさん提供できないことは残念なことであり、奮起が望まれるところですが、もちろん経済活性化に向けた需要サイドの政策とか、マッチングの改善に向けた政策なども、学生の能力向上といった供給サイド政策と同様に(あるいはそれ以上に)必要ではないかと思います。