ダイヤモンドの辻広氏が残念な件

ダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏の手になる「「雇用第一」を叫ぶ菅総理は“二種類の失業率”を理解しているか」というエッセイが「ダイヤモンド・オンライン」で公開されていますので、ご紹介したいと思います。
http://diamond.jp/articles/-/9462
まずは嫌味たっぷりな前振りがありまして、続いてタイトルにある“二種類の失業率”についての説明がきます。

 …失業率は質の異なる2種類に分けて考えることができる。「需要不足失業率」と「自然失業率」である。
「需要不足失業率」は、経済の悪化によって労働需要が減少し、労働供給を下回ることで上昇する。…だから、リーマンショックのような大きなショックが経済に加われば、いっぺんに需要不足失業率は上昇してしまう。
「自然失業率」は、景気循環には左右されない。労働市場においては、好不況にかかわらず、求人側と求職側の間において求める技能や待遇など条件面でミスマッチが常に生じる。…例えば、求人側がIT技術者を求めているのに、求職側にITスキルが欠如しているのでは雇用は成立せず、未充足の求人と失業者が同数存在することになる。これが、自然失業率である。
 ちなみに、自然失業率は総供給と総需要が均衡した状態なので、その均衡を打ち破って、財政政策や金融政策で無理やり失業率を自然失業率以下に低下させようとすると、賃金や物価の上昇を招き、インフレを起こしてしまう。
 以上は、経済学者のミルトン・フリードマンが唱えた説で、世界において浸透した標準的な考え方である。
http://diamond.jp/articles/-/9462

ここまでは教科書的な説明というところでしょうか。ただ、辻広氏は財政政策や金融政策に否定的なようですが、デフレで困っている現状においてはまさに「財政政策や金融政策で無理やり失業率を自然失業率以下に低下させようと」して「賃金や物価の上昇を招き、インフレを起こ」せばいいじゃないか、というのも有力な意見だろうと思いますし、私は確たることはわかりませんがやってみる値打ちはあると思っています。まあこれは両論あるところなのでしょう。

 2009年時点の日本の自然失業率は、経済財政白書によれば3.5%程度、OECDによると4.1%程度と見られている。したがって、失業率を5.2%だとすれば、経済財政白書では需要不足失業率は1.7%くらい、OECDの試算では1.1%程度ということになる。
 需要不足失業率が1%以上に達している状態は、当然好ましくない。…需給ギャップを埋めるべく、政府が対策を打つのは当然だ。菅首相が失業率を3%台まで落とすと強調しているのは、理のあることだし、雇用対策が及ぶ範囲である。
 ただし、経済と雇用は、前者が主で後者が従の関係であり、菅首相が行おうとしている財政支援を打ちければ雇用効果も消滅するような政策では意味がない。…

「財政支援を打ちければ(打ち切れば?)雇用効果も消滅するような政策」であっても、それなりに景気を刺激して上向かせる効果があるのではないかと私は思いますが、「経済と雇用は、前者が主で後者が従の関係」というのはまったくそのとおりと思います。昨日も書きましたが、「雇用がよくなれば経済もよくなる」のではなく「経済がよくなれば雇用がよくなる」ですよね。

 より問題なのは、自然失業率が3.5%から4.1%までに達していることである。仮に効果的な雇用対策が打たれ、労働の需給ギャップが解消されたとしても、常態として日本は3.5%から4.1%の失業者が存在する、ということである。
 しかも、日本の自然失業率はじわじわと上昇している。1980年代末に2%を超え、1990年代後半から右肩上がりの度合いを増し、2000年代に入って3%を突破した。その後低下したものの、再び上昇基調を向かえている。
 一体、なぜだろうか。
 繰り返しになるが、さきほど、「労働市場においては、好不況にかかわらず、求人側と求職側の間において求める技能や待遇など条件面でミスマッチが常に生じる。それは、適性や能力は、労働者個々によって違うからだ」と書いた。これを言い換えれば、自然失業率の水準は、労働市場の求人と求職をマッチさせる機能の高低で決まる、ということである。
 一方で、技術革新の進展、産業構造の変化、さらに就業形態の多様化などが進むことによって雇用のミスマッチは拡大する。前述したIT技術者を巡る求人側と求職側のミスマッチ事例は、その典型である。
 つまり、1990年代半ばから加速した日本社会の構造に変化に対して、労働市場が硬直的なままであり、求人と求職をマッチさせる機能を高めることができなかったことが自然失業率の上昇を招いている、といえるだろう。

違いますって。まず、辻広氏が強調している「適性や能力」のミスマッチによる失業は構造的・摩擦的失業のうち「構造的失業」にあたるもので、自然失業率にはこのほかに情報不足や地理的ミスマッチによる「摩擦的失業」があります*1。もちろん、現実にはこの二つを分離して推計するのは至難の業で、「構造的・摩擦的失業」といっしょくたにされることがほとんどですが*2、しかし摩擦的失業があるだろうことも確からしく思えるわけで、実際にこれまでも有料求人情報の提供や広域労働移動支援などが失業者の就労につながってきました。あたかも「自然失業率」のすべてが構造的失業であるかのように断じてその対策を主張する辻広氏の論はやや偏ったものと申し上げざるを得ません。
さらに、辻広氏が「「自然失業率」は、景気循環には左右されない。」というのは定義としてそうだとしても、自然失業率の推定は景気循環に左右されるという問題もあります。実際、UV分析による構造的・摩擦的失業率の推計には相当程度景気循環のバイアスが入りこむことは労働経済業界ではたぶん常識でしょう。実際、平成17年版労働経済白書では、この推計を示したグラフにわざわざ「構造的・摩擦的失業率については経済状況の影響も受けるなど、推計上の限界があり留意が必要」と注をつけているくらいです(http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa200501/img/fb1.27.gif)。辻広氏も述べるように推定自然失業率は「1990年代後半から右肩上がりの度合いを増し、2000年代に入って3%を突破した。その後低下したものの、再び上昇基調を向かえている。」わけですが、これは景気循環と平仄が合っているようにもみえます(本当にそういえるのかどうかはわかりませんが)。結局のところ需要不足失業と構造的・摩擦的失業すら「この人は需要不足」「この人は構造的・摩擦的」と切り分けられるものでもおそらくなく、むしろ大半の失業者はその双方が混合した状態にあるのでしょう。
まあ、たしかに構造的・摩擦的失業率は上昇トレンドにはあるのだろうという気はしますが(こちらも根拠なし)、財政政策や金融政策で効果があるのは推定需要不足失業率の範囲までだとか、財政政策や金融政策では推定構造的・摩擦的失業は下がらないという辻広氏の議論は前提がかなり怪しいものだとはいえそうです。

 自然失業率の上昇は、今後の日本の人口動態を考えれば、より深刻さが増す。小峰隆夫・法政大学教授は、「労働人口が減少局面に入った今、日本は長期的には労働供給が需要に対して不足してしまう事態に備えるべきだ。求人側から見れば『雇いたいけれど、雇うべき人がいない』、求職側にすれば『働きたいけど働けない』という実にもったいない状態の拡大を放置してはいけない」と指摘する。
 とすれば、今取り掛かるべきは、労働市場の硬直性を打ち破って、求人と求職をマッチさせる機能を高める改革である。リーマンショック以後、労働需要低下に対応することばかり奪われていた政策の方向を、労働市場の構造問題の解決に向けることである。
 その解決のために不可欠なのは、雇用の流動化である。さまざまな制度や慣習によって形成された、経営者は正社員のみを抱え込む、正社員は定年まで会社にしがみつく、といった日本の雇用労働慣行を打ち破らなければ、流動性豊かな労働市場は生まれない。その改革の核にあるのが、先進国でも異例なほど厳格な解雇規制の緩和である。

なんでそうなるの。いや、仮に辻広氏の想定するように「求人側から見れば『IT技術者を雇いたいけれど、雇うべき人がいない』、求職側にすれば『働きたいけどIT技術がないから働けない』という実にもったいない状態」があるとして、その解決策として最も自然なのは「失業者にIT技術の訓練を施す」ということでしょう。これはこれまでも行われてきたことで、それがはかばかしい成果に結びつかないのは、本当かどうかはわかりませんが、訓練が公的機関で行われていて企業の本当のニーズにマッチしていないからだとか、IT技術者の求人があると思っていたけど実はそんなになかったんだねえとか(構造的ではなく需要不足だった)、IT企業がほしいのは実はIT技術者じゃなくて時給750円で働くIT技術者で、でもそれは無理な注文だよねえとか(能力ミスマッチではなく賃金ミスマッチだった)、まあいろいろ言われていて、たぶんどれにも一理あって混合して現状があるのだろうと思うわけです。これに対し、辻広氏がいうように「解雇規制の緩和」で構造的失業が減るとしたら、それは「IT技術を持った技術者が余剰になっている企業がIT技術者を解雇したら、その人たちがIT技術者が不足している企業の求人に応募して採用された」ということが起きた場合に限られる(あれ、でもこれって失業率は下がってないか?)わけで、これはあまり現実的な状況とは思えません。というか、IT技術者が不足しているなら労働条件もそれなりに高いものが提示されているはずで、他社で余剰になっているIT技術者がいたとしたら、多少は賃金が下がっても余剰人員として多職種への転換を求められるくらいなら転職したほうがマシだ、ということになって、解雇規制を緩和して解雇させるまでもなく移動はそれなりに起こるはずなんですが。

 企業経営者は、激化するグローバル競争に耐えるための人件費構造を保つために、新卒採用を抑制し、非正規社員を雇用の調整弁に使う。なぜなら、正社員の長期雇用負担に制約されているからだ。厳格な解雇規制は、硬直化した雇用システムの象徴である。
 池尾和人・慶應大学教授は、週刊ダイヤモンド9月25日号「デフレ日本 長期低迷の検証」と題したインタビューの冒頭、「1990年代半ばから始まった経済の長期停滞のダメージは、全国民に広く薄くしわが寄るのではなく、特定層に集中している。例えば、雇用システムの硬直性ゆえに、非正規社員や若年層が追い詰められ、それが日本社会の不満、閉塞感を高めている」と述べている。
 解雇規制の緩和は、非正規社員や女性、若年層たちに就労の機会均等を与え、会社の壁を乗り越えて、求職と求人のマッチング機能を高めた、流動性に富む労働市場の実現の第一歩となる。

こういうのを読むと、ああまた例によって長期雇用の人事管理の側面からの理解がまったく欠如しているなあとか、長期停滞のダメージを回復するには長期成長が一番じゃないのかなあとか、機会均等はいいけれど若者の就労機会はもっと厳しくなっちゃうよとか思うわけですが、まあ過去のエントリでもさんざん書いてきたので繰り返しません。

 だが、民主党の雇用政策はまるで逆行している。雇用調整助成金の拡充、製造業への直接派遣の禁止(つまり、非正規社員の正規化要請)などを見れば、雇用の流動性を阻み、雇用の責任や保障を従来にも増して企業に押し付けようとしているとしか思えない。彼らには、労働市場という概念がそもそも欠如しているのだろうか。
 実は、解雇規制の緩和による日本の労働慣行の崩壊を最も望まないのは、労働組合である。正社員の既得権集団である労組は、労働市場の流動化によって得られる果実はない。そして、いうまでもなく、労働組合の母集団である連合は、民主党の最大支持母体の一つである。

「製造業への直接派遣の禁止」というのはなんでしょう。まあ、たしかに派遣会社は製造業者に派遣労働者を「直接派遣」しているわけなので、現在審議中の派遣法改正法案ではこれが原則禁止されるわけではありますが。でも、「直接派遣の禁止」という耳慣れない言葉を使われると、「じゃあ間接派遣は禁止されないのかよ」と揚げ足を取りたくなるのは私だけ?「つまり、非正規社員の正規化要請」ってのも、とりあえず派遣法改正のことなら「間接雇用の直接化要請」のはずなんだけどなあとも思いますしねえ。
あと、これは私が知らないだけなのかもしれませんが、非正規雇用の労組というのもいくつもできているわけですが、そうした労組は「解雇規制の緩和」を求めているんでしょうか?少なくとも多数ではないように思えるのですが…。

「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と叫んで、民主党代表選を突破した菅首相は、“二種類の失業率“を理解しているだろうか。
 長期的に失業率を低下させるには、自然失業率を低下させる必要があり、そのためには、解雇規制緩和をはじめとする労働市場改革を進め、求人と求職のマッチ機能を高めなければならない。ところが、この構造改革の最大の抵抗勢力は、民主党の支持母体の労組である――この大いなる矛盾を自覚しているだろうか。
 労働者保護規制が強く、さらに労働組合の組織率の高い国ほど失業率が高いのは、経済学で確立した定型的事実である。
http://diamond.jp/articles/-/9462

うーん、「経済学で確立した定型的事実」と言っても個別にみれば例外はいくらでもあるわけで、日本より労働者保護規制が弱く、さらに労働組合の組織率も低い米国の失業率は日本より高いですね。組織率が高いけれど失業率の低い国もありますし…。
結局のところ、辻広氏の脳内はまず「解雇規制の緩和」という結論ありきで凝り固まっていて、それを正当化すべく「二種類の失業率」を担ぎ出してきて「菅首相は、“二種類の失業率“を理解しているだろうか。」などと嫌味を言ってみたものの、実は辻広氏ご自身が「二種類の失業率」をあまりよく理解しておられなかったという残念な結果になったようです。

*1:経済学的に正確な表現ではないかもしれませんが、推計方法などをふまえればこれで大きな間違いではないはずです。

*2:この二つをまとめて「摩擦的失業」ということもあります。