ドイツと日本、違うようで同じところ、本当に違うところ

さてもう一件、昨日(1/12)の日経新聞朝刊のコラム「核心」に平田育夫氏が登場しておられたわけです。お題は「ドイツとどこで差がついた?―痛みを先送りせぬ志」となっておりますな。
まずはドイツ企業が経営改革に熱心に取り組んだという話がきて、続けてこう書かれています。

…だが労働組合が強いドイツでは、社会保険負担を含む高い人件費や解雇規制が経営改革を阻んでいた。
 そんななか2003年にシュレーダー首相は構造改革に着手する。この人は左派、社会民主党の党員なのに、労働者に受けの悪い政策ばかり。失業保険の給付期間を短くし、健康保険で患者負担を求め、年金給付の伸びを抑えた。
 さらに社員10人以下の小規模企業での解雇を容易にする。社会保険の負担が減り解雇も容易になったので、企業は新規の採用を拡大。失業率は05年夏の11%台から最近では5%程度に下がっている。税収増と社会保障の改革で財政収支も改善した。
 シュレーダー政権はまた株式売却益への法人税を撤廃。これが企業の合併・買収や再編を容易にし、グローバル化や産業構造の変化への対応を助けた。
 日本でも同時期に、小泉政権が労働力の流動化策などの改革を議論し始めた。「日独の違いはこれらを着実に実行したドイツに対し日本では掛け声に終わったこと」と八代尚宏国際基督教大客員教授は言う。
 苛烈な改革を嫌われたシュレーダー氏は選挙に敗れ右派のメルケル氏と交代する。だが一連の改革は労働者を支持基盤に持つ左派政権だからできた面がある。ひるがえって日本の民主党政権は連合などの嫌う改革に関心が薄かった。
 メルケル政権は前任者の路線を引き継ぐ。日本の消費税に当たる付加価値税増税し、法人税を減税した。財政改善と競争力強化を狙ったものだ。
平成27年1月12日付日本経済新聞朝刊「核心」から)

この後は財政出動を否定してなにやら新自由主義礼賛めいた文章が続きますが、もちろんこれに同調する人も多いわけなので書いて悪いというわけではないでしょう。
そこで引用部分ですが、シュレーダー首相当時の改革(労働分野については首相顧問を務めたフォルクスワーゲン人事担当役員のペーター・ハルツ氏にちなんでハルツ改革と呼ばれる)については賛否両論あるものの、マクロ経済に関しては概ねポジティブな評価なのではないかと思われます。昨今のドイツ経済の好調についても「メルケルではなくシュレーダーの功績」という人もいるそうです。社会的な側面からは批判もあるようですが、それは主に不安定・低賃金労働が増加したことと格差が拡大したことで、新自由主義の立場からは「それが何か」という話かもしれません。
ただ労働分野についてその内容を具体的に見ていきますと、まず有期雇用契約についてはドイツでは基本的に正当事由が必要とされているところ、新規事業の立ち上げ後4年間は理由を問わず4年間までの有期契約を可能としたということで、わが国の規制もこの間緩和されていて(2003年改正で理由を問わず原則3年例外5年となり、反復継続5年の有期雇用が可能)、ドイツより緩やかなものになっているといえるでしょう。
派遣についてはドイツでは上限期間が段階的に延長されて最終的には撤廃(無制限)されている一方、原則として正社員と同額以上の賃金を支払わなければならないという均等処遇規制があるため、これまたこの間(1999年、2004年、2006年に改正)さまざまな規制緩和が行われてきた日本との比較は微妙です。
失業保険の給付期間の短縮も実施されましたが、実は日本でも2000と2003年(ハルツ改革の少し前ですが)の2段階で求職者給付の給付期間の短縮と給付率の引き下げが行われています。その後制度は紆余曲折があって第二セーフティネットの導入をはじめいろいろ変化しましたが、制度が大きく異なるので単純な比較は難しいにしても、全体的に見て日本のほうが失業者扶助においてドイツより手厚いという人は少ないのではないかと思います。
そして解雇については、記事にもありますが正確にはドイツではそれまで5人以下の企業では解雇保護法が適用されないとされていたところそれを10人以下に緩和したわけです。逆に言えば11人以上の企業には解雇保護法が適用されて合理性などが求められているわけです。もっともドイツでは解雇紛争が解決金で和解することも多いのですが、その水準は月給×勤続年数の全額ないし半額程度が相場ということです。
いっぽうでわが国はといえば、労働契約法が解雇に合理性相当性を求めているところではありますが、JILPTが2010年に発表した『労働政策研究報告書No.123 個別労働関係紛争処理事案の内容分析』(例のhamachan先生ほかによるレポート)をみると、従業員10人以下の小規模零細企業においては事実上解雇が自由に行われているというのが実情であり、さらに11人を上回って100人に近い規模の企業であってもかなり安易に解雇が行われている実態にあります。さらにそれを仮に労働審判などに持ち込んだとしてもさほど高額でない金額で解決しているケースが多く、ほとんどの場合は上記ドイツの相場を下回っているのではないかと思われます。つまりドイツではたしかに規制緩和が実施されたものの、実態としてはまだわが国のほうが個別的な解雇のハードルは低いということになります(整理解雇については別途の規制となりますがハルツ改革でここが規制緩和された形跡はなく(あるかもしれません。ご存知の方、ご教示ください)、やはり単純な比較はできませんがここでもドイツが日本より大きく緩やかであるとは言えないようです)。
もちろん、法人税や健康保険、年金などの分野ではドイツに較べると日本の実行度はかなり低いということに異論はない(健康保険・年金の絶対的な水準比較がどうなのかはちょっと自信がないのですが)のですが、とりあえず労働政策に関しては意外にも?日本が「労働者に受けの悪い政策」をやってこなかったとは言えないのではないかというのが私の結論です。例によって有識者の発言が断片的に引用されていて前後の文脈が不明なのですが、八代尚宏先生の「日独の違いはこれらを着実に実行したドイツに対し日本では掛け声に終わったこと」の「これら」はおそらく健康保険と年金を指しているのではないかと推測します(私は以前八代先生がそういう趣旨で日独を比較する発言をされたのを聞いたことがあります)。
まあ確かに民主党政権時代には労働政策のバックラッシュの動きもかなりあったので「進んでいない」という印象はありますが、実は(相当部分は小泉改革時代に)雇用分野の規制緩和は実行されているというのが事実ではないかと思います。