池田信夫先生

池田信夫上武大学教授のブログは論争的なテーマを提起することで著名ですが、今日のエントリでは雇用問題が取り上げられています。短いものですので、まずは全文引用しましょう。

 派遣村をめぐる論争は、ますます過熱しているが、その争点が「失業は自己責任か」という点に集中しているのは困ったものだ。これは湯浅誠氏が強調する点だが、問題の的をはずしている。有効求人倍率0.76という状態では、どんなに努力しても4人に1人は職につけない。つまりマクロ的な経済現象としての失業は、労働の超過供給という市場のゆがみの結果であり、労働者の責任でも企業の責任でもない。
 失業をもたらした最大の原因はもちろん不況だが、長期的な自然失業率を高めているのは正社員の過剰保護である。だから「ノンワーキング・リッチ」に責任があるのではなく、OECDも指摘するように、彼らを飼い殺しにするしかない労働法制と解雇を事実上禁止する判例に問題があるのだ。
 民主党のように選挙めあてで派遣規制の強化を求める政治家の卑しさはいうまでもないが、厄介なのは派遣村の名誉村長、宇都宮健児氏のように善意で運動している人々が多いことだ。彼に代表される近視眼的な法律家の正義が、価格の機能を阻害し、官製不況をもたらしていることを彼らは理解できない。「貧しい債務者を助ける」という宇都宮氏の建て前は美しいが、上限金利の引き下げで数百万人が金融市場から締め出された。同じように、日雇い派遣の禁止によって数十万人が職を失うだろう。
 実は、霞ヶ関にも「善意の官僚」は多い。産経新聞によれば、広島労働局の落合淳一局長が製造業への労働者派遣の解禁を「止められず申し訳なかった。市場原理主義が前面に出ていたあの時期に、誰かが職を辞してでも止められなかったことを謝りたい」とのべたそうだ。厚労省のような三流官庁では、公務員試験以上のレベルの経済学を知らないので、派遣村のような情緒的なキャンペーンに弱い。仕事の遅い彼らが、派遣村に対して異例に迅速な対応をとったのは、「いらない役所」の代表とされている旧労働省が存在意義をアピールできる数少ないチャンスだからである。
 現在の悲惨な雇用状況をもたらした最大の責任は、規制によって労組の既得権を守る厚労省にある。だから厚労省や連合に救いを求める派遣村の人々は、敵を見誤っている。昨年を「ここ数年の偽りの好況が終わり、真実の不況に至る一年であった」と総括し、派遣労働者を犠牲にして春闘でベースアップを求める連合のエゴイズムを批判する赤木智弘氏のほうが、はるかに鋭く問題の本質を見ている。低金利と円安によってつくられた「上げ底」の景気回復が終わり、これから日本経済の実力どおりのマイナス成長が始まるのだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/86bbb9b7b1ca81421eda8882379b96c0

まず「有効求人倍率0.76という状態では、どんなに努力しても4人に1人は職につけない。」というのは誤解を招きやすいのでコメントしておきますと、一般的に考えれば「どんなに努力しても4人に1人は職につけない」というのは「完全失業率25%」という世界に近いものです。現実にはもちろんそこまで悪化していないわけで、これは「求職者の4人に1人にあたる分だけ求人が足りない」ということになるでしょう。ただ、さらにいえば、有効求人倍率というのは公共職業安定所の業務統計であって、現実には求人も求職も職安以外の場所で幅広く行われています(たとえば新聞の求人広告とか、求人情報誌とか)。過去の推移をみても、有効求人倍率が1倍を超えるのは相当の好況期に限られていて、有効求人倍率=1を均衡と考えるとやや雇用情勢を厳しく見すぎることになりそうです。これはおそらく、求職者の相当割合には「失業給付を受けるため」職安で求職する動機があるのに対し、求人企業は職安への依存度がそれほど高くなく、多様な媒体を活用する傾向があることによるのではないでしょうか(まったくの憶測なので自信なし)。いずれにしても、昨今の雇用失業情勢の悪化、失業増をもたらしているのが需要不足・供給過剰であることには私もまったく同感ですので、これは本筋にはそれほど影響のない技術論にすぎません。
したがって、「失業をもたらした最大の原因はもちろん不況」というのにはまったく異論はありません。いっぽう、「長期的な自然失業率を高めているのは正社員の過剰保護である。」というのは検証が必要ではないかという気がします。普通に考えて、雇用保護が強いことは直接的には自然失業率を低下させると思われるからです。もちろん、正社員に対する雇用保護が企業の採用行動を慎重なものとし、結果として非正規雇用を増加させて自然失業率を高めるという効果も考えられます(ただし、非正規雇用の増加にはほかにも産業構造の変化などの影響もあることには注意が必要ですが)ので、その効果も確認してそれと差し引きして考慮する必要があるでしょう。
続いて「だから「ノンワーキング・リッチ」に責任があるのではなく、OECDも指摘するように、彼らを飼い殺しにするしかない労働法制と解雇を事実上禁止する判例に問題があるのだ。」という指摘がきます。「ノンワーキング・リッチ」という言葉からは私は「資産家の家に生まれ、相続した資産からの収入で豊かに暮らしている人」という印象を受けたのですが、池田先生のブログの過去ログをみるとそういう意味ではありませんでした。具体例として、「私のNHKの同期は、今年あたり地方局の局長になったが、話を聞くと「死ぬほど退屈」だそうだ。末端の地方局なんて編成権はないから、ライオンズクラブの会合に出たり、地元企業とのゴルフコンペに参加したりするのが主な仕事で、「あと5年は消化試合だよ」という彼の年収は2000万円近い」という人があげられています(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a987f0c09891c37d89e493a8895688a0)。うーん、NHKならそういう人もありうるでしょうかね?まあ、これは極端な例としても、たとえばキャリア官僚などにみられるように、若壮年期に業務・数労実態に見合わぬ賃金でこき使われた分をキャリア終盤で取り返す、という例は程度は様々ですが往々にしてみられます。これはキャリア全体を通じて「ワーク」と「リッチ」がバランスしているわけで、「取り返す」部分だけを取り出して「ノンワーキング・リッチ」と断罪するのは若干気の毒な感はあります。で、池田先生が紹介されているNHKの人のような存在がどれほど労働市場全体に影響しているかどうかはわかりませんが、いずれにしてもこれは労働法制よりは組織の人事管理のポリシーの問題といえそうです。「組織」と言ったのは必ずしも企業に限らず、官庁やNHKのような中間的存在も含むという含意で、現実をみると民間企業は「成果主義」などの手法によって池田先生のいわゆる「ノンワーキング・リッチ」の賃金を引き下げないし抑制している例が多いのではないかと思われます。
宇都宮健児氏や金融政策のことは私は門外漢なのでわかりませんが、とりあえず「民主党のように選挙めあてで派遣規制の強化を求める政治家の卑しさはいうまでもないが」「日雇い派遣の禁止によって数十万人が職を失うだろう」という指摘については、議論の筋としてはそのとおりと思います。ただ、日雇派遣の人数については「1日5万人」などと言われており、「数十万人が職を失う」はやや誇張された表現という感はあります。なお、選挙目当ては民主党に限らず与党もそうでしょう(「卑しい」というのは刺激的すぎる印象がありますが)。脱線しますが、きのうのエントリでも書きましたが参院与野党逆転、否応なく任期満了での総選挙が迫る中、与野党が選挙目当てで大衆迎合的な政策を競い合うという現状ははなはだ困ったもので、どのような政権ができるにせよ早期に総選挙を実施してほしいものです。
さて、続いて池田先生は2パラグラフにわたって厚生労働省を手厳しく断罪しておられますが、はじめのパラグラフについていえば、本当に広島労働局の落合淳一局長が報道のような発言を本気でしていたのだとすれば、とりあえず官僚が自らの政策の誤り(本当に誤っていたかどうかは別問題として)を認めたという点ではなかなか珍しいといえるかもしれません。新聞記事だけで詳細はわかりませんのでなんともいえないのではありますが、それほど責任を感じておられるのであれば落合局長には潔く職を辞していただきたいものです。まあそれはそれとして、仮に製造派遣を解禁していなかったとしても、おそらくは派遣の雇い止めの代わりに請負契約の期間満了終了や契約社員の雇い止めなどが同程度の規模で行われたに過ぎなかったはずで、広島労働局の局長が真剣に「製造派遣を禁止しなければ雇い止めされた製造派遣が今でも正社員として就労できていただろう」と考えていたとすれば、これはかなり困った状況だと私も思います(池田先生はそういう意味でこのエントリを書いておられるわけではないかもしれませんが)。
あとのほうの「現在の悲惨な雇用状況をもたらした最大の責任は、規制によって労組の既得権を守る厚労省にある」というのはちょっと悩ましいところで、池田先生も前段で述べておられるように、「現在の悲惨な雇用状況をもたらした」「最大の原因はもちろん不況」ではないでしょうか。もちろん、池田先生もわざわざ繰り返されなかったのだろうとは思いますが。で、厚労省がどんな規制によって労組のどんな既得権を守ろうとしているのかが不明なのでなんとも言えないのではありますが、とりあえず労組の既得権を現状以上に取り上げたとしたら、現在の悲惨な雇用状況はさらに悲惨になったのではないでしょうか。もちろん、個別にみれば現状より悲惨になる人がいる一方で現状よりマシになる人もいるでしょうが、企業にこれほど過剰雇用がある現実をみれば、マクロでみれば労組の既得権を奪う規制緩和の多くは足元ではおそらく雇用失業情勢をさらに悪化させるでしょう(もちろん、それは今の規制などに問題がないということを意味することは決してありませんが)。
それ以降に関しては、赤木氏がなにを言っているのか私は知りませんし、私にはあまり意味のあるコメントはできそうにありません。ただ、池田先生がかねてから主張されているような解雇規制の撤廃、首切り自在のアメリカ的労働市場への移行は、おそらくは「派遣村」に集まっていた失業者の多数にとってはあまりメリットをもたらさないのではないかという気がします。もちろん、池田先生が批判しておられるような、先生のいわゆる「ノンワーキング・リッチ」が生まれるような人事管理は難しくなるでしょうが、いっぽうでおそらくはそれほど高度な技能も持たない失業者にとっては、現行であればなんとか正社員になれればその先の能力向上、キャリア形成も見えてくるわけですが、これが「解雇自由」となれば、低技能の失業者は仮に就職できても現状以上にますます解雇されやすくなり、技能を高める機会が縮小し、結果として高技能を持つ人との格差が拡大する可能性が高いように思われるからです。もちろん、先生のいわゆる「ノンワーキング・リッチ」から「(ワーキング・)プア」へ分配がシフトする分もあるわけですから、これもトータルでの比較衡量になるわけですが。