セーフティネット(2)

「キャリアデザインマガジン」第99号に掲載したエッセイを転載します。


セーフティネット(2)


 「セーフティネット」という用語が普及する大きなきっかけとなったのは、小泉政権発足後の2001年6月に閣議決定された経済財政諮問会議の「経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」、いわゆる「骨太の方針」であろう。これには随所で「セーフティーネット」が登場する。
 その背景には、当時大きな問題となっていた不良債権の最終処理があった。バブル崩壊後、日本企業の過剰債務と、それと裏腹の金融機関の不良債権とが日本経済の大きな重石となっていた。2001年に発足した小泉政権はそれを除去すべく不良債権の最終処理を意図したが、それにともなって相当数の企業倒産や失業が発生するものと危惧されており、失業者については数万人から百万人を超えるとの試算も提示されていた。
 これに対して「骨太の方針」では、具体的なセーフティネットとして金融面では「連鎖倒産等の防止のため、信用保証協会の保証や政府系金融機関の貸付を活用するなど、金融面で適切に対応」、雇用面では「雇用への影響を最小限に抑えるため、雇用対策法雇用保険法、離転職者向け教育訓練、緊急雇用創出特別奨励金等の制度・施策を活用する。また、離職後失業期間中の住宅ローン負担・教育費負担に対する支援、起業者に対する支援など、制度横断的な施策の拡充を行う。さらに、雇用情勢によっては、モラルハザードに留意しつつセーフティーネットの一層の充実を図る」とされている。雇用に関していえば、セーフティネットを整備することで失業防止より不良債権処理を優先したいとの考えを示したとみられる。
 その後、りそな銀行の国有化や東京三菱とUFJの合併などを経て不良債権処理は進展したが、ちょうど景気が回復していたこともあって懸念されたほどの大規模な失業の発生をみることはなかった。実際、「”バブル後”を抜け出した」と述べた2005年の「骨太の方針」ではセーフティネットは姿を消す。
 2001年の「骨太の方針」では、社会保障に関しても「セーフティーネット」との表現を用いている。たとえば「社会保障制度は国民にとって最も大切な生活インフラ(基礎)である。年金、医療、介護、雇用、生活扶助等で構成される社会保障制度は、国民の生涯設計における重要なセーフティーネットであり、これに対する信頼なしには国民の「安心」と生活の「安定」はありえない」といった具合だ。これはもちろん、社会保障支出の膨張が続く中でその改革が急務であったことが背景にあるが、こちらのほうがむしろ「セーフティネット」本来の意味に近いといえるだろう。とはいえ、それまでも社会保障改革の議論はあったわけだが、「セーフティネット」が頻用されていた気配は乏しく、この意味でも「骨太の方針」が事実上のメジャーデビューとなったようだ。いずれにしても、その後に続いたさまざまな社会保険制度に関する議論の中では、2006年には「ワーキングプア」が世間の注目を集めたことともあいまって、そのセーフティネットとしての役割は常に意識されてきた。いっぽう、雇用のセーフティネットがあらためて注目を集めるのは2008年、サブプライム問題からリーマン・ショックで急激に雇用失業情勢が悪化した時期になる。