小説『13歳のハローワーク』改訂新版出来

ベストセラー作家村上龍氏主宰「JMM」、きのうは『新13歳のハローワーク』特別号というのが配信されていました。改訂新版は出たてホヤホヤだったようです。
で、前回同様に「はじめに」の一節が紹介されているのですが…。

 旧版の刊行から、7年が経ち、新しい職業が増え、仕事をとりまく社会状況も大きく変わっていることから、改訂版を出すことにしました。しかし、13歳という年齢を中心とした、子どものための職業図鑑であることに変わりはありません。また、旧版の「はじめに」で書いた雇用・職業に関するわたしの考え方も変わっていません。改訂版で大きく変わったのは、「好き」という入り口を、教科別にしたことです。何が好きなのかよくわからないという子どもでも、好きな教科なら気づきやすいかも知れないと考えました。授業ではなく、「休み時間が好き」「放課後が好き」という項目もあります。

ふむふむ。「旧版の「はじめに」で書いた雇用・職業に関するわたしの考え方も変わっていません」ということですね。
このあと、「旧版のおさらいもかねて、職業と仕事、働くことについて、基本的なことを考えてみます。」ということで、あれこれ書かれているのですが省略して、途中から。

2:仕事と好奇心

 大人になるためには仕事をしてお金を得ることが必要だとしたら、いやでいやでしょうがないこと、つまり自分に向いていない仕事よりも、自分に向いている仕事をしたほうがいい、というのが『13歳のハローワーク』旧版の基本姿勢でした。この改訂版でも、その基本姿勢は変わりません。

3:仕事と「好き」

 それでも、自分に「向いている仕事」をしている人は、世の中にそう多くはないようです。わたしは、実は小説を書くことがそれほど好きではありません。辛いとか苦しいと感じるわけではないのですが、決して好きではないのです。小説を書くときは普段よりも脳をたくさん使わないといけないので面倒くさいし、大変だし、疲れます。ただし、確かに「向いている」と思います。それは、絶対に、飽きないからです。また、小説を書いたあとに感じる充実感や達成感は、他では決して味わうことができない特別なものです。

13歳のみなさんは、「好き」ということを「入り口」として考えてください。「国語が好き」「理科が好き」「休み時間が好き」というそれぞれの入り口から入って、その向こう側にある職業の図鑑を眺めてみるといいと思います。

・・・・・おいちょっと待てよ。
改訂前の『13歳のハローワーク』は、「好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?」というキャッチコピーで127万部だか売ったんじゃないのかよ。amazonの「内容紹介」では太字でそう書いてあるぞ。
http://www.amazon.co.jp/13%E6%AD%B3%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E9%BE%8D/dp/4344004299
上の写真の「オビ」にも、同じようなことが書いてありますな。

この「好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?」がいかにヤバいかは私も過去に書いています(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090205)し、専門の研究者にも類似の感想を示す例は少なくありません(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090129)。ですから、村上氏が考えを変え、悔い改めたのであればそれは大いに歓迎したいのですが、実際には「わたしの考え方も変わっていません」と言っているばかりか、「つまり自分に向いていない仕事よりも、自分に向いている仕事をしたほうがいい、というのが『13歳のハローワーク』旧版の基本姿勢でした。」と、旧版の惹区には知らん顔しちゃってるんだもんなぁ。これは明らかなウソツキで、しかも127万部も証拠が残っているウソツキではないかと思うのですが、どんなもんなんでしょう。まあ、世の中には何か言っておいて、都合が悪くなると自分はそんなこと言ってない、本当に言いたいことはこういうことだったんだ、と開き直る輩も多いですから、別にいいじゃないかということかもしれませんが、しかしウソツキはドロボウの始まりですよ。
さてこの後も延々とあれこれ書かれていて、いいこともけっこう書かれているし妙なこともあれこれ書かれているのですが、結局のところ「これは13歳の少年少女向けの本なんだから、あまり暗いことを書いても仕方がないし、わかりやすくおもしろく書いたほうがいいし」と開き直られると(いや村上氏が開き直っているというわけではないのだが)批判してもすれ違いみたいな話なので特にコメントしません。
ただ、現状の雇用情勢に関する記述については、たとえば

1:雇用環境の悪化

 だから、職業を選ぶということに関しては、自分に「向いているか」どうかだけではなくて、現在の社会に対してどういう考えを持っているのか、社会とどういう風にかかわっていくのか、ということも大切です。社会はつねに変化していて、とくにこの数年、つまりこの本の旧版が出版されてから現在にいたるまでの変化はきわだっています。もっとも大きな変化は、雇用です。つまり仕事を得て働く側と、仕事を与える経営側の関係が、基本的に悪化しています。

 おもに自動車や精密機械、機械部品、電気製品などの輸出によって、日本の経済は成長してきましたが、働く人たちの賃金が上がらず、派遣社員に代表される非正規社員と呼ばれる、立場の弱い労働者が増えました。正規社員の中にも、きびしいノルマや長い残業を強いられる人が大勢います。ワーキングプア、つまり働く貧困層という言葉が定着するほど、生きていくためのギリギリの賃金で働く若い人が増え続けています。

 しかも、そういった悪い状況にもかかわらず、日本政府は、若者の職業教育や職業訓練に熱心ではなく、ほとんど対策もとられていません。また医療や介護などの現場と、農業、漁業、林業など、一次産業と呼ばれる分野が、深刻な問題を抱えています。医療と介護、一次産業の現状については、本文中に説明がありますので、参照してください。

最初の部分については、途中飛ばした部分でも何度か「自分より社会を知ろう」みたいな論調が強調されていて、それはとても大事なことだと私も思います。いっぽうで、この数年の変化について「仕事を得て働く側と、仕事を与える経営側の関係」の悪化、ととらえることはどうなのか。たしかに非正規雇用や低賃金労働が増えて、雇用情勢が悪化している面はあると思います。しかし、その多くは不況、労働需給の悪化という循環要因であって、労使関係が本当にそれほど悪化しているでしょうか。労働分配率の低下もほぼ循環要因ですし、経済状況を考慮に入れれば解雇や労働条件の切り下げがどんどん行われているということでもないでしょう。「もっとも大きな変化」が労使関係の悪化だといわれると違和感があります。
さらに、「日本政府は、若者の職業教育や職業訓練に熱心ではなく、ほとんど対策もとられていません。」と言われると、さすがにこれには異論のある人が多数おられるものと思います。まあ、村上氏の思うような職業教育や職業訓練が行われていないということは、なにも行われていないに等しいということなのでしょうか。こうした独善的な議論は連合などもときどき戦略的に採用するところですし、そもそも作家なのですから独善的であって悪いというわけでもないのでしょうが。
そういえば、思い出してみれば元の『13歳のハローワーク』も、実質的には作家の書いた小説だったわけで、であれば改訂新版も小説であって何の不思議もないというか、むしろそれが当然でしょう。もう1箇所だけ紹介しますと、

 社会に対しどういう考えを持つのか、社会とどうかかわっていくのか、ということが職業を選ぶ上で重要になる、と書きました。フェアトレードということを例にあげて、もう少し詳しく説明します。

 現在多くの企業が、途上国の工場で製品を作っています。それは途上国の人のほうが、先進国よりも安く雇えるからです。たとえば日本だと、人を雇うときには、最低でも1時間で600円強のお金を払わなければなりませんが、バングラデシュでは、政府が、最低の賃金を月に約3000円と決めたというニュースがありました。月に3000円ですから、20日間毎日8時間働くとすると、1時間あたりの賃金は約19円です。同じ労働なら、賃金が安いところで作るほうが、企業にとって有利になります。

 バングラデシュのような貧しい国の人々は、安い賃金でも働きます。それを利用して、ギリギリ最低限のお金しか払わず、いつでも好きなときにクビにしたり工場を閉めたりして、できるだけ利益を上げようとする企業が多いのです。それに対して、フェアトレードというのは、利益だけを求めるのではなく、途上国の人々に仕事の機会を与え、公正な賃金を払い、性別で差別せず、安全で健康的な労働条件を守り、環境に配慮し、公正な値段で取引をして公正な賃金を支払い、子どもの権利を守り、信頼と敬意にもとづいた貿易を行う、というような基準を持つ、良心的な運動です。

 サフィア・ミニーさんという女性がいます。インド系のイギリス人で、日本とロンドンを拠点にして、ピープル・ツリーという名前の、フェアトレードのファッションブランドを経営しています。

村上氏はこのミニーさんという人にいたく感激されたようで、もちろんそれはそれで大いに結構だと思いますし、フェアトレードの意義については私も認識するところではありますが、それにしても民間ビジネスに携わっている方々の大半は、こうしたロマンティックでセンチメンタルな論調には違和感を覚えざるを得ないでしょう。ただ、これも「作家の書いた小説」だと考えれば理解の余地はあります。
JMMでの紹介の最後は、あたかも今日の子どもや若者が戦時中に戦地に赴いて特攻に動員されかねない若者たちのように「どうにかして、死なないで、生きのびていく必要があ」ると書いて結ばれています。こうやって抜き出せば甚だしい誇張だとすぐにわかるのですが、まあ「小説」ならそれもありでしょう。ただ、村上氏の練達の話術は、さらっと読めば読み手にそれが現実・事実と思い込ませるほどの強力なもので、さすがベストセラー作家と感服するほかないのですが、小説を現実と思い込んで不幸になる人が出ないことを祈るばかりです。