田中堅一郎『荒廃する職場/反逆する従業員

「キャリアデザインマガジン」第88号に掲載した書評を転載します。

荒廃する職場/反逆する従業員―職場における従業員の反社会的行動についての心理学的研究

荒廃する職場/反逆する従業員―職場における従業員の反社会的行動についての心理学的研究

 企業や組織は、勤勉でまじめで誠実な構成員だけで構成されているとは限らない。むしろ、会社の備品を私的に流用したり、職場の規律を乱したり、部下に無理難題を強要したり、同僚や上司を中傷したりといった行動をとる人が往々にしてみられるのが残念な現実だろう。ときには、職場内での殺人や放火、恐喝などがマスコミで報じられてわれわれを驚かせることすらある。
 当然ながら、企業は勤勉でまじめで誠実な人材を採用しようとしているはずだろう。それにもかかわらず、こうした事態は現実に起こる。もちろん、これら反社会的行為は決して正当化されるものではなく、まずは本人の責任が問われるべきではある。本人の倫理観や道徳観に問題があり、そのような人を採用してしまったこと自体が失敗だったという考え方もあろう。外的要因の影響もあろう。しかし、組織内の人事管理が引き金となって、報復的に反社会的行動を誘発しているケースもかなりの割合で存在するのではないか。
 本書はその刺激的な書名にもかかわらず、職場の反社会的行動を心理学的に分析した本格的で重厚な研究書である。第I部は概説編とされ、主として先行研究の紹介にあてられている。第II部は著者が参加した調査結果とその分析である。3種類のアンケート調査と9人に対するヒヤリング調査が行われている。
 その結果で目をひくものを紹介すると、第4章では、組織における意思決定や評価の手続き、処遇が公正でないと評価されるほど、それに対する報復として反社会的行動がおきやすいことが見出されている。第6章では、職階の高い者のほうが反社会的行動を起こしやすく、また組織や職場の仕組みや手続きに不公正感を持っている人が反社会的行動を起こしやすいことが示されている。第7章では逆に、組織や職場の仕組みが公正であると評価されているほど反社会的行動が起こりにくいことが示される。また、成果主義的人事施策が反社会的行動に直接つながっているとはいえないことも示されている。ただし、成果主義人事による組織特性の流動化(組織の課題、必要な知識やスキル、メンバー構成の変化が大きくなる)は反社会的行動に結びつくという。第8章は逆に「迫害を受けた」という経験について、目標管理制度がある組織ではない組織より多く、また職務の量的負荷が多く役割が曖昧だと感じている人ほど多いことが示されている。もちろん、この他にも個人の性格属性や環境などとの関係も分析されており、興味深い結論が得られている。さらには、たとえば成果主義人事との関連のように、成立しそうな仮説が成立しなかったという結果にも有意義なものが多そうだ。メンバーにストレスを与えたり、不公正と感じるような取扱いをすることが報復的な反社会的行動を招くこと、いっぽうでそれらのすべてが即座に反社会的行動につながるというわけでもないということ、これは職場で日々の人事管理にあたっているマネージャーにとってはごく当然なことかもしれないが、しかしこれが学術的に検証されたことの意義は大きいといえるだろう。
 著者自身も、あとがきで「本書で扱われた話題は意外とありふれたもの」ではあるが「正面切って取り上げられにくい話題」であり、「それが学術研究の対象となれば特にそう」であって、「思えば、本書で取り上げた調査研究の実施には苦労した」と率直な感想を述べている。たしかに、そのとおりであろう。著者はさらに「多くの「職場の現実の生々しさ」を知っている組織人が少なくないのならば、彼らがもう少し調査に協力的であってほしかった」とも述べている。これまた偽らざる実感であろう。しかし、そのためには研究者と企業との強い信頼関係がなければなるまい。もちろん多くの研究者はまじめに誠意をもって研究にあたっているのだろうが、残念ながらこの手の話題を予断をもってセンセーショナルに「告発」するかのような研究者も決して少なくない。著者はこの本を読む限り信頼に値する誠実な研究者と思われるので、今後さらに誠意ある研究を通じて信頼を高めてほしいものだ。それはたしかに、企業にとっても有益なはずだから。