連合総研「イニシアチブ2009研究委員会」ディスカッションペーパー(3

一日飛びましたが、一昨日からの続きで、連合総研の研究会のディスカッションペーパーを転載します。

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(5)雇用差別禁止法制

 最大の問題点は、雇用差別禁止法制だ。もちろん、いわれのない差別はあってはならないものだし、それゆえ人権擁護に係る差別を禁止することについては、基本的になんら異論はない。水町氏のいわゆる第1の類型、人種、社会的身分、宗教・信条、性別、性的指向を理由とする差別は禁止されるのが当然だろう(ただし、差別禁止の範囲、とりわけ「採用」を含むか否かは理由によって一部異なろう)。
 いっぽうで、水町氏のいわゆる第2・第3の類型、年齢、障害、雇用形態までも含めて「現行法制を抜本的に見直し、包括的な雇用差別禁止法制を制定する」ことには疑問が大きい。

(a)年齢を理由とする差別
 個別に検討しよう。まず第2の類型については、水町氏は「高齢者に対する雇用保障の要請、障害者に対する雇用促進の要請など、他の政策的要請との調整的判断が必要となる」という。政策的要請との関係において「良い差別」と「悪い差別」とを区別しようということだろうが、これは妥当なのだろうか。
 年齢については、そもそも年齢を理由とした格差が不当な差別にあたるのかどうかという根本的な疑問がある。なるほど、年齢はいかに努力しても変更することのできない不可変の属性であるには違いない。30歳の人が29歳に戻ることはできないし、生き続ける限りいずれ31歳になることも免れようがない。
 しかし、それは逆にいえば、性別・年齢や国籍を問わず、あらゆる人が等しく1年に1歳加齢するということでもある。いかに豊かな人であっても、年齢をカネで買うことはできない。理想的な平等さである。また、いかなる恣意も入り込む余地がなく、まことに客観的である。さらに、生き続ける限り誰しも20歳のときがあり、30歳、40歳のときを迎える。その期間は必ず1年間であって、その意味できわめて機会均等でもある。
 こうした利点ゆえに、年齢は人事管理に深く組み込まれてきた。代表的なのは定年制だろうが、それ以外にも、定着や習熟、生計費などに配慮して賃金の一部を年齢別のテーブルとしている例は少なくない。昇進・昇格などに最低年齢を設定している例や、逆に役職定年制を設けている例も珍しくはあるまい。にもかかわらず年齢を理由とした差別を包括的に禁止し、これらの実態を「合理的な理由」の名のもとに例外扱いすることは、少なくとも明らかに実態をかけ離れている。
 しかも、水町氏は定年制等について「労働者代表との協議・合意などの手続を要件に、当面は「合理的な理由」にあたるとすることが考えられる」と書いているように、これらを漸進的に禁止することを考えていると思われる。なるほど、高齢者雇用促進という政策的要請のために定年制を禁止すべきとの意見も一部にはある。しかし、そもそも高齢者雇用促進のために定年制を禁止したいなら、それを理由に直接(かつ必要であれば段階的)に禁止すればよいのであり、年齢差別などというロジックを担ぎ出す必要はないし、「当面は「合理的な理由」にあたるとすることが考えられる」といった持って回った理屈を持ち出す必要もない。定年制を設けるのはもとより企業の自由だが、しかし政策的要請により下限規制を行うとか、定年後の継続雇用を義務づける、といった直接的施策をとったほうがよほどすっきりしていて合目的的だろう(これは現実に行われていることに近い)。定年制に限らない。募集時における年齢制限はすでに原則として禁止されているが、これも高齢者や年長フリーターなどの応募の機会を拡大することを直接的動機とするものであって、年齢差別だから禁止するという理屈が介在している形跡はない(結果的にそうだといえばいえるのかもしれないが、それはまた別問題だ)。
 以下はやや脱線するが、年齢による人事管理の有用性と、それを禁止した場合の弊害について具体的に示すために、定年制についてさらに敷衍しよう。定年制を批判する人はとかく定年後ばかりに着目するが、定年前に目を転じれば、50代後半期を中心とした時期の雇用の安定に対する定年制の貢献は大きい。現状、わが国では60歳定年制が支配的だが、現実には50歳を過ぎる頃から能力のさまざまな側面で相当の個人差が出はじめる。典型的には体力や視力であり、あるいは新技術・新技能への対応力なども含まれよう。もちろん、さまざまな能力が良好な状態のまま定年を迎える人もいる。こうした人は再雇用制度などで定年後も引き続き雇用されることも珍しくないに違いない。いっぽうで、残念ながら50代なかばで能力の衰えが覆いがたくなる人もいよう。現状では、多くの企業で「定年までは、60歳まではがんばろう」という目標を労使が共有し、企業も本人の実情に合った仕事につけ、労働条件もそれほど落とすこともせず、本人もなるべく能力を維持したり、あるいは新しい仕事に適応したりすることに努力する。これは定年制なくしては不可能だろう。
 もし、ここで定年制を禁止したらどうなるか。もちろん、あわせて年齢以外の理由による雇用の終了も厳しく制限してしまえば、これは死ぬまで雇用するという文字通りの終身雇用となろうが、さすがにそれは現実的ではあるまい。となると、企業はなんらかの別の基準、具体的には能力の減退などによって解雇などを行わざるを得なくなる。65歳、70歳まで雇用される人がいる一方で、「定年まで」を目標とした企業の努力は行われなくなり、55歳、50歳で解雇されざるを得なくなる人も多く出てこよう。こうした人たちの再就職は容易ではないだろうし、労働条件もおそらく良好なものとはならないだろう。これらの得失を考えれば、わが国では今後とも定年制を維持することが望まれる。年齢による差別の包括的禁止を行うべきでないひとつのゆえんである。

 (b)障害を理由とする差別
 障害についてはどうだろうか。わが国では周知のとおり「法定雇用率を上回る身体障害者雇用」を事業主の義務とし、法定雇用率の水準は「身体障害者に健常者と同水準の雇用を保障するため、事業主が常用労働者数に応じて平等に負担すべき割合」として設定されている。これは「事業主は、社会連帯の理念に基づき身体障害者に適当な雇用の場を与えるべき共同の責務を有する」という、差別禁止とはかなり異なる社会福祉的理念にもとづく。そのため、差別禁止といった観点からは「障害者を特殊な環境のもとにおくものでノーマライゼーションの理念上好ましくない」との批判もある特例子会社制度についても「障害者雇用推進にかなりの効果が期待され、また、障害者自身にとつても能力を最大限に発揮する機会が増大する」として奨励されている。
 水町氏は一応、これら政策もreasonable accommodationの解釈の問題として解決しようとの考えのようだが、わが国の現状をふまえて常識的に考えれば、これにはかなり無理があろう。reasonable accommodationを前提とした差別禁止と、「社会連帯の理念に基づき」「平等に負担すべき割合」の法定雇用率制度とはかなりの部分で相容れ難いはずだ。とりわけ特例子会社制度については、水町氏も懸念するとおり合理的理由を認めない意見も有力だろう。となると、結果的には差別禁止はかえって障害者雇用を減らす危険性もあり、これは十分考慮にいれる必要がある。年齢とは異なり、障害を理由とする差別の禁止を将来のあるべき姿と考えることは全否定するものではないし、中長期的かつ漸進的にこれに取り組もうとの考え方も有力ではあろう。しかし、今現在のわが国において障害を理由とする差別まで包括的に禁止することはかなりの冒険であり、時期尚早と考えざるを得ない。