大学の有用性その2

きのうに続き、hamachan先生のブログから。きのう取り上げたエントリの続きということですので、やはり感想を少し書いてみたいと思います。まずは引用します。

 一昨日のエントリ(日本型雇用システムにおける人材養成と学校から仕事への移行)の関連で、興味深い記事を紹介しておきます。
 ジョンイルさんちじゃない方の『労働新聞』(昨日も引用しましたが)の7月20日号の「主張」という欄です。これはネット上にはアップされていないので、以下に引用しますと、


>一般紙によると、塩谷文部科学大臣がぶら下がり取材で学生(大学生)の就職活動が、長期化、早期化して学業に影響が出ているとの指摘に対して、「少なくとも平日は、企業も就活の会合をしてはいけないとか、それぐらいのルールを最低限作ってもらいたいと思っている」と答えていた。・・・・・・一見正論と見まがうが、こんなとんちんかんな指摘に主管大臣が大まじめな意見を述べたことに、文科省の病巣を見たような感じだ。
>・・・学業を優先して、平日には会合に応じるなと企業に要請するのか勝手だが、実態からずれた連中が、税金を使ってこんな珍問答を続け、それに主管大臣が大まじめに答えるというのが情けない。じゃあ平日以外の就活は、いつするのか。会社休日に玄関前で立ちんぼせよ、というのと同じである。空理空論。笑止千万である。文科省というところは、学問だけを所管し人間つくりは関係ないと考えているらしい。・・・・・・


 わざと過激な言い方をしていますが、たぶん企業人の本音を正直にぶちまければこういうことになるのでしょう。
 ここにくっきりと表されている考え方は、大学の「お勉強」は「人間つくり」とは関係のない趣味の手すさびであるという考え方でしょう。だから、そんなもの就活のために潰してたって、「人間つくり」には何の影響もない。そんなつまらないもののために、一生の選択を潰されてたまるか、というところでしょう。
 しかし、考えてみれば、そういう「人間つくり」とは何の関係もない手すさびのために、膨大な税金を注ぎ込んで大学を養っていことになるわけで、その発想の根源自体が実はまことに奇妙な、これ以上ない究極の無駄遣いを平然と認めていることになるわけです。見識疑うといえば、こんな不見識もないというべきでしょう。
 ところが、大学側の発想がこれと大して変わらない地平だから話が全然噛み合わない。なぜ平日に就活をやられることのために授業やゼミがつぶれると困るのか。大学生の「人間つくり」の観点からきちんと説明できるのか。大学教師のエゴを超えたロジックをきちんと示せるのか。それこそが問題のはずなんですが。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/by-4bb3.html

まず労働新聞の記事ですが、私も文科省には申し上げたいことが多々ありますが、それにしてもここまで悪し様に言わなくても…という感じです。まあ、私も口汚くののしるのは得意技なので、他人のことはいえませんが。
さてそれはそれとして、hamachan先生のご指摘に対して実務家として弁明させていただきますと、たぶんそこまで深くは考えていないのではないかと。「人間つくり」というのは、新卒就職は人生の一大事なんだからそれなりの優先順位で考えられてしかるべき…というくらいの意識ではないかと思います。特段、大学の「お勉強」は「人間つくり」とは関係のない趣味の手すさびである、とまでは考えていないのではないかと。
むしろ企業人の本音という意味では、採用活動のために週末の休日を軒並みつぶされるのはツライなあ、というところではないでしょうか。「少なくとも平日は、企業も就活の会合をしてはいけない」って、そりゃ学生の勉強も大事だろうけど、週末に相手をする俺たちのワークライフバランスはどうしてくれるんだ…というのはあるだろうと思うのですが。まあ、企業のほうは代休をとればいいのだ、ということで一応解決しているわけですが、やはりそれだけではすまない、という気持ちもあるわけで…。
あとは昨日のエントリの続きみたいになりますが、現実の採用・就職活動の現場では、自己紹介で大学の授業やゼミとは直接には無関係なアルバイトやサークル活動などでの活動をピーアールする学生さんというのも実に多いわけです(中には、ゼミのこととか突っ込んで質問すると、実はかなりいい勉強をしてきている人もけっこういたりするんですよこれが)。これは学生の建前からすれば大学の勉強以上に「趣味の手すさび」に近いものであるはずですが、しかし企業の側も勉強そっちのけで「趣味の手すさび」に打ち込んでいた奴なんてけしからんから採用しない、ということにはなかなかならないわけです。実際、コンビニやファーストフードとかで店長格のアルバイトをして、かなり困ったときでも知恵を出して試行錯誤して周囲にうまく協力してもらって、なんとかなるもんだ、といった経験や自信を持っている学生さんがいたら(実際いますが)、これは選考にあたって相当なプラス要素になるでしょう。まことに陳腐かつ月並みではありますが、学校でなくても勉強はできるし、勉強だけが人間つくりではないということですね。
そういう意味では、就活自体にも似たようなところがあって、実際何人もの大学教員の先生から「学生をいちばん成長させるのは就活だ」といった感想を聞いたことがあります。たしかに、人生をかけて自力で社会に立ち向かっていく「就活」は、まことに青年の成長に資するものなのでしょう。その困難に挫折する人もいますので、すべてけっこうだともいえませんが…。
いっぽうで、きのうのエントリでも書いたように、大学の教育にも、企業にとって人材確保の面で有意義なものは多々あります。まあ、それは3年生の1月から会社説明会をやってしまう程度のものかもしれないけれど、でも全く無意味というわけでは決してなく、むしろかなり意味がある。アルバイトやサークル活動も、大学の授業やゼミとは直接には無関係としても、でも大学と全く関係ないかといえばそうでもない。学生さんが大学学部の4年間をどう有意義に過ごすか、というのは企業にとっても人材確保面でかなり重要で、その場である大学もそれなりに重要といえます。
ですから、「「人間つくり」とは何の関係もない手すさびのために、膨大な税金を注ぎ込んで大学を養ってい」るかというと、そうでもないでしょう。少なくとも「究極の無駄遣い」とはいえそうにもありません。というか、企業が企業の利益にならないことに税金を使うのはすべて無駄遣いで許さないと主張するというのは、企業がすべての税を負担しているというのではない以上は無理というものでしょう。企業活動からみれば「趣味の手すさび」みたいに見えるものでも、学問や文化といった面では意味があるでしょうし、それを学んで教養を深め、人生を豊かに過ごすという点でも、それなりに税金を投入する意味があるのかもしれません(まあ、ムダ遣いもありそうな気はしますが)。
というわけで、企業は究極の無駄遣いを平然と認めている不見識なアホ揃いであり、大学は大学で企業と大して変わらない、大学教師のエゴを超えない不見識なアホ揃いで目クソ鼻クソである、厚生労働省はこんな奴等の相手はできないから撤退だ…と言われるのは、まあそのとおりなのかもしれないんでしょうけど、言われた側としてはかなり悲しいものがあるなと思うわけです。大学の人はなにも感じてないかもしれませんが、そんなことはまさかないでしょうが…。