「嫌われ成果主義の逆襲」ときたもんだ。

たまには人事管理の話題でも。このところ政策中心で、あまり勉強できていないので若干心許ないのではありますが…。
日経ビジネスのウェブサイト「日経ビジネスONLINE」で、この5月11日から「嫌われ成果主義の逆襲」という特集がスタートし、矢継ぎ早にコンテンツが投入されています。いやはや「嫌われ成果主義」の「逆襲」ときたもんだ。
その最初のコンテンツが「それでも成果主義は止められない 「成果主義に関する読者アンケート」が示す真実」というもので、日経ビジネス記者の中野目純一さんの署名があります。

 「日経ビジネス」が日経ビジネスオンライン会員を対象に今年4月に実施したアンケートの結果…勤務先の成果主義の成否を聞いたところ、「失敗だった」とする回答は68.5%に達し、「成功だった」という回答(31.0%)を大きく引き離した。…「成果主義に基づく自身の評価に満足しているかどうか」についても聞いたところ、「不満である」という回答は43.3%に上る一方、「満足している」という回答は16.2%にとどまった。
 さらに、「成果主義型の制度の導入後、仕事に対する意欲が向上したか」という質問に対しては、「向上していない」という回答が36.3%。「向上した」という回答(16.1%)の2倍を上回った。

 アンケートでは、勤務先の成果主義が「失敗だった」と回答した646人を対象に、その要因についても尋ねた。結果は、「制度そのものより運用上の問題が大きい」という回答が66.0%に達し、「制度そのものの問題が大きい」(32.5%)という回答の2倍に上っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090507/193988/、以下同じ)

ということで、世間にありがちな「成果主義そのものは正しい。問題は、その運用だ」という議論のようです。そろそろ、そういう議論で売り込もうというのもやめたほうが賢明なのではないかと思うのですが…。
実際、続きを読むと

 実際、成果主義の導入に伴って様々な弊害が生じたことから、成果主義を改善する動きが出てきている。ただし、その内容は運用を変更して評価の納得性を高めようとするものが多いようだ。
 今回のアンケートでも、具体的な改善内容として最も多かったのは、「結果に至るプロセスを評価するウエートを高めた」(44.3%)という回答だった。
 さらに、「部下指導やほかのメンバーへの協力なども評価するようになった」(33.4%)、「評価基準にチームの成果を加えた」(22.0%)、「評価者の数を増やした」(16.4%)と続く。

まあそうだろうなと思うわけですが、「結果に至るプロセスを評価するウエートを高め」てもなお「成果主義」だ、というのはやはり詭弁ではないかとも思うわけです。成果主義というのは、基本的な考え方として「能力があるからとか、努力している、がんばっているからとかいう評価ではなく、成果で評価する」という考え方でしょう。まあ、ウェートを高めた程度にもよりますが、プロセスを評価すると言った時点でまず半分は成果主義の旗は降ろしているわけです。「部下指導やほかのメンバーへの協力なども評価」というのも同じことですね。「評価基準にチームの成果を加えた」という集団成果給も、成果主義のようでいて少し異質なものがあります。たとえば、評価対象期間の全部を休業した人であっても、それ以前にその人が組織の財産として蓄積したものがその期間の成果に貢献していると考えられますから、チームの成果に応じた評価を受けることになるわけです。まあ、だからこそ成果主義だ、という考え方もできるかもしれませんので、このあたりは定義の問題かもしれませんが。
この2月に邦訳が出たフェファー/サットン『事実に基づいた経営』では、「危険な『半分だけ正しい』常識(Dangerous Half-Truth)」という概念が提示されていて、金銭インセンティブについても1章があてられています。一見疑問の余地なく正しく見えて、現にある部分、ある局面においては正しいが、しかしそれを一般化してすべてに当てはめると悲惨な結果をまねく「危険な『半分だけ正しい』常識」は、「全くのウソ」よりもたちが悪いわけですが、ある意味で「成果主義」はその典型かもしれません。もちろん、それが正しい部分、局面においては大いに使えばいいわけで、実際問題外勤の営業職などには古い昔から活用されています。
このアンケートの自由記入欄にも、こんな意見があったとか。

 「頑張って結果を出した人が評価され、より多くの報酬をもらうことは問題ないと思う。同じように頑張って成果を出しておきながら評価されないとすれば、それは評価の仕方に問題があるのであって、成果主義そのものが悪いわけではない」(一般社員 30〜34歳)

しょせんどこまで行っても自分の評価に不満は残るわけで、100%の納得などは無理な話ですが、「結果を出した人を評価する」という考え方に「問題ない」と肯定的な意見を表明した人が納得いかない評価を得た場合には、当然ながら「評価の仕方に問題があるのであって、成果主義そのものが悪いわけではない」という回答になるでしょう。しかしこれは成果主義が「半分だけ正しい」という、成果主義に内包された問題ではないでしょうか。
というか、そもそも「成果主義」というのが、やはり自由記入欄にありますが、

 「…ビジネスがグローバル化する中で成果主義は不可避だ。社員が多様化(多国籍化)していく中、年功制といった日本だけでしか通用しない制度を続けることはできない。成果主義を定着させるために必要な仕組みを整備して実行することが必要だ」(社長・会長 55〜59歳)

というように、成果主義とは「非年功制」であればいい、という理解にとどまっている経営者も多いのではないでしょうか。年功制をやめる、弱めるために「成果で評価」と言ってはみたものの、どうもうまくいかないから「それでは、みなさん納得いくようにプロセスも評価しましょう」となる。それでも年功制は弱まりますから目的には近づくわけで、まあそれも成果主義というならそれでもかまわないよ、というのが多くの実態のような気がします。
まあ、成果主義の旗を振った人たちの中には、今でも「自分のやったことは間違っていない」と言いたい人も多いでしょうから、「成果主義は悪くない、悪いのは運用だ」という言説にもまだまだニーズはあるでしょうが、それにしてもあまり成長しそうなマーケットではなく、売り込み方としてはどんなもんなのかな、というのが私の感想です。