週刊ダイヤモンド「働き方格差」

金曜日のエントリですが、これまで書いてきた内容からそれほど目新しいことを書いたわけでもないと思うのですが、このブログとしては異例に多数の反応があり、正直驚いております。そうか、ワタミというのはそういうネタだったのか。
さて、ワタミネタの掲載されていた週刊ダイヤモンドの特集「働き方格差」ですが、気を取り直して(笑)あらためて最初からみていきたいと思います。全体的な印象としては、最近ご紹介した東洋経済「賃金はなぜ上がらない!」に較べるとかなり感情的な「格差けしからん」論で、細かく見ていくとおかしげなところもたくさんあるのですが、とりあえず「正社員の処遇を引き下げて非正規の処遇を改善せよ」との主張はほぼ一貫しているようです。労働組合からみればいささか異論がありそうですが、識者のインタビュー記事が多数掲載されているにもかかわらず、労組関係者の発言は本文中でちょっと紹介されているだけにとどまり、この手の特集としてはやや労組には不公平な感があります(企業経営者は金曜日にご紹介した渡辺氏、草刈氏の2人のほかにもう1人、計3人もインタビューに登場しているのに!)。労組首脳よりは評論家やジャーナリストのほうが「面白い」というのはわからないでもないわけで、労組としても反省のしかたは難しいでしょうが、まあ余計なお世話でしょうが…。
さて、本文を読んでいくと、基本スタンスはこう述べられています。

 そもそも、格差問題の本質はどこにあるのか。
 慶應義塾大学樋口美雄教授は、「今までも格差はあった。でも、それが顕在化しなかった」と指摘する。高度経済成長期には、日本の一般家庭では、夫が正社員として働き、妻は家事をしながら副次的にパートで働いてきた。妻のパート勤めは家計の補助であり、夫と自分の給料を比べることもなかったし、格差が問題視されることもなかった。
 ところが、今はどうか。非正規社員として生計を立てる人が増えた。家族を持っている人もいる。正社員と非正規社員の収入格差は、仕事の中身だけでついているわけではないのでは、と不公平感を感じるようになっている。
 客観的に見れば、格差があること自体が問題なのではない。格差を決定づける根拠に納得性がないことが問題なのだ。
 その最たる例が、正規・非正規の処遇格差である

 本筋の、正規・非正規の格差是正の方法については、正社員であろうと非正規社員であろうと、働きの中身によって、均衡処遇を目指すべきだ。この考え方を「同一価値労働、同一賃金」という。
 この考え方自体には異論は少ないのだが、制度の運用面になると話は別だ。正社員と非正規社員とでは、「まったく同じ仕事に見えても、責任の重さが違ったり、長期的な安定感が違う」(電機メーカー幹部)と財界で反対する声は強い。
 まったく同一賃金でなくても、なるべく均衡に近づけるだけでも、正社員と非正規社員とのあいだにある不公平感は薄まるだろう。おのずから人件費の分配は変わる。正規雇用の人件費が下がり、非正規雇用の人件費は上がる。
(「週刊ダイヤモンド」第4219号(2008年3月8日号)から、以下同じ)

まあ大筋はそういうことなのですが、「非正規社員として生計を立てる人が増えた。家族を持っている人もいる」から格差があるのが問題だ、というのはやや筋が違う感があり、これはやはり「今の仕事で生計が立つように賃金を引き上げる」ことではなく、「生計を立てることができる職につけるようにする」方向で対処するのが正しい政策のあり方というものではないでしょうか。
また、「制度の運用面になると話は別」かというとそうでもなくて、「まったく同じ仕事に見えても、責任の重さが違ったり、長期的な安定感が違う」というのは、企業は企業なりに一生懸命「同一価値労働、同一賃金」に近づけようと努力していて、その結果が現状なのだから、基本的にはそれが適当なのだ、という意味なのでしょう。
格差がある場合に、特に低いほうの人たちが、心から「格差を決定づける根拠に納得」するというのは現実にはなかなか考えにくいことです。あれこれ説明されてなんとか「まだ気には入らないが、まあしょうがねェか」と不承不承納得している、というのが大方の現実ではないでしょうか。なんとなく不公平感があるから正社員を下げて非正規を上げる、というのでは、こんどは下げられるほうが納得するわけもありません。とりわけ企業経営においては、賃金を引き下げることは甚大なモラルダウンをもたらすことが経験的に知られていますから、「なんとなく格差が大きすぎるような感じがするから」といった安易な考え方で踏み切れるものではありません。
高い処遇を受けている人にしてみれば、それは自分の能力と努力と貢献が企業に認められたからだ、という思いは当然あるでしょう。「もっと高くてもいいはずなのに」という強欲な人もけっこういるかもしれません。とはいえ、「努力って言っても、実はたまたま恵まれた環境のもとに生まれたり、たまたま才能豊かに生まれついたりしただけっていうところが大きいでしょ、それのどこが努力なんですか」という主張にもまことにもっともなところがあります(佐藤俊樹『不平等社会日本』とか、社会学者や教育学者が好む傾向がある議論で、往々にして視野狭窄のきらいはあるものの)。ただ、それはやはり民間企業の賃金制度に手をつっこんで対応するというのは無茶なのであって、「運も実力のうち」は100%は認めないぞ、ということであれば、認めない分は重課税して巻き上げて「不運な」人に再分配すればいいわけで、やはりそれは政府の役割ではないでしょうか。
さて、これに続けて、注目すべき記述が続きます。

 ただし、非正規社員全体の人件費は上がるにせよ、実質的には、非正規社員に対しても、能力主義を導入することにほかならない。正規・非正規を問わず、キャリアアップを目指さない選択肢を残しておくことも必要だろう。
 正規・非正規の賃金体系だけではなく、「処遇」まで同等にするならば、正社員の「解雇法制」にまで踏み込むべきとの意見がある。ただし、前述の「解雇の金銭解決」への風当たりの強さが、労働法制大改正を“失敗”に導いてしまったように、そうとうに敏感な問題である。当面は、正規・非正規の賃金格差の是正を第一義的に考えるべきだろう。

前段はずいぶんあっさりと書いていますが、かなり重要なポイントです。今回のパート労働法改正でも「正社員との均衡を考慮し、職務の内容、成果、意欲、能力、経験等を勘案する」ことが努力義務になったわけですが、これは要するに「パートだから一律時給1,000円」というのはやめてくれ、ということで、すなわち「能力主義を導入することにほかならない」わけです(まあ、必ずしも能力主義ではなく、職務主義や成果主義かもしれないわけですが)。
ただ、その一方で、能力だの成果だのをうるさく言われたくはない、都合のいい時間にほどほどに働いて、少しなりとも稼ぎになればそれでいい、という人もたしかにいるわけで、「キャリアアップを目指さない選択肢を残しておくことも必要」というのは、そういう人まで能力や成果でガシガシやることはないだろう、という意味も含んでいるのでしょう。これは逆にいえば、企業サイドとしても格段の能力や意欲を要しない仕事というのも一定量あるわけで、そういう仕事に従事してもらう非正規社員については、能力や成果を評価して時給に差をつけるなどという煩雑な手間をかけるよりは、多少高めの時給を一律に提示したほうがコスト的に有利だ、というケースもあるわけです。そうしたものは少ないに越したことはないわけですが、しかし現実問題としてゼロにはならないわけですから、これが全否定されるわけではない、ということは重要なポイントでしょう。
後段もきわめて重要なポイントで、この記事は「同一価値労働、同一賃金」と書いていますが、たとえば連合などは「同一価値労働、同一労働条件」と言っているわけです。実際、今年の春季労使交渉でば「パート共闘」が通勤手当や慶弔休暇の獲得に取り組んでいるわけで、処遇というのは賃金や労働時間、福利厚生、教育訓練や雇用保障などのパッケージであり、賃金だけ同じならそれでいいとはいかないのはむしろ当然のことです。
したがって、八代尚宏国際基督教大学教授・経済財政諮問会議間議員がインタビュー記事で次のように指摘しているのは一つの正論といえましょう。

…企業の雇用保障にもっぱら依存するのではなく、働き手個人の多様な働き方を認める「雇用ルール」が必要になるだろう。その基本精神は、正社員と非正社員の違いを問わず、働く内容に応じた均衡処遇を目指すことだ。
 それは、現行の働き方ごとに縦割りの労働法制から、「同一労働、同一賃金」の職種別労働市場に対応した法制への転換を目指せばよい。そうなれば、労働市場の流動化を促進し、産業構造の円滑な転換に対応できるだろう。
 最後に、正社員と非正社員の“賃金格差”の是正だけでなく、処遇格差の是正に踏み込むならば、当然、解雇も含めた雇用ルールを明確化する法改正にも着手するべきだ。(談)

つまり、福利厚生や雇用保障などまで含めると、正規と非正規の格差は賃金格差以上に大きいということになります。もちろんその背景には、正規社員には高度な能力を求められるとか責任が重くてストレスが多いといったことに加えて、時間外労働や、転勤や職種変更、さらには海外駐在といったものにも対応しなければならないという拘束度の強さもあり、こうしたことへの対価として高い処遇が与えられているという事情があります。そうしたものの格段に少ない非正規にはやはり処遇もそれなり、ということになるわけで、これも一応は各企業が企業なりに「同一価値労働同一労働条件」(経団連などは「同一生産性同一労働条件」ということもあるらしい)を追及した結果といえます。
ということは、問題は賃金だけを較べて高いとか低すぎるとか格差が大きいとかいうこともさることながら、働き方と処遇が正規・非正規に(はやりの言葉を使えば)「二極化」していることにあるのではないでしょうか。で、二極化が問題なのだとすれば、解決策はそれを真ん中に集中させる(八代氏の主張する職種別賃金・解雇規制緩和はこれに近い)「正社員の非正社員化」ではなく、二極の間にも多様な選択肢を準備する「多様化」の方向なのではないかというのが私の意見です。