このところ池田信夫先生の主張をネタにすることが多いのですが、きのうのエントリを書いていてあらためて感じたことがあります。前々から池田先生は中高年正社員に手厳しく、きのう取り上げた主張でも「社内失業している中高年社員」とか「中高年の正社員が解雇しやすくなる」とか、とりたてて「中高年」と書いていて妙な感じです。実際には、これだけ需給ギャップが拡大すれば当然「社内失業」、余剰人員はいるでしょうが、それは中高年・若年に限らず存在しますし、解雇規制を緩和すれば年齢にかかわらず解雇は容易になります。とりたてて「中高年」を強調するような状況ではありません。
にもかかわらず池田先生が中高年を強調されるのは、その実態に対していくらかバイアスのかかった見方をされているからではないでしょうか。実際、池田先生は先生のいわゆる「ノンワーキング・リッチ」に対してはとりわけ辛辣です。「ノンワーキング・リッチ」というのがなにかというと、池田先生のブログにはこうあります。
問題はワーキング・プアではなく、その裏側にいる中高年のノンワーキング・リッチである。私のNHKの同期は、今年あたり地方局の局長になったが、話を聞くと「死ぬほど退屈」だそうだ。末端の地方局なんて編成権はないから、ライオンズクラブの会合に出たり、地元企業とのゴルフコンペに参加したりするのが主な仕事で、「あと5年は消化試合だよ」という彼の年収は2000万円近い。
日本経済の生産性を引き下げて労働需要を減退させ、若年労働者をcrowd outしているのは、こういう年代だ。彼らは世間的には、それなりの地位について高給を取っているが、本人は「生ける屍」である。年功序列などという愚かな雇用慣行がなければ、まだ現場で働けるのに、こうして「座敷牢」で50代を過ごす。官僚の場合は、特殊法人に天下って税金を浪費する。
経済の生産性を決めるのは、人口の5%ぐらいの意思決定を行なう人材の質である。かつては優秀な人材が製造業に集まって世界進出を果たし、日本経済を牽引した。しかし産業の軸が製造業から外れたあとも、彼らは衰退する製造業に残り、それにぶら下がる非生産的な銀行や官僚機構でも、優秀な人材が大量に社内失業している。こんな状況は日本経済にとっても迷惑だし、彼らも幸せではない。こうしたノンワーキング・リッチを強制的に早期退職させ、その退職金を増額して起業させる政策というのはとれないものか。
(IT & Economics池田信夫 blog「ノンワーキング・リッチ」http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a987f0c09891c37d89e493a8895688a0から)
まあ、これも(愚かかどうかは別として)年功序列のなせるわざではあるのでしょう。この「私のNHKの同期」という人にしてみれば、現在の待遇は過去に比較的低い賃金でコキ使われてきたことの代償だということでしょうが、それはそれとして、こんな結構なご身分の方は世の中にいったいどのくらいおられるのやら。それこそ、お役所とNHKくらいのものじゃないか知らん。
実際、かつては「窓際族」などと言われ、ポストが足りないのでとりあえず遊軍にしておこうとか、新技術に対応できなくなってきたからとりあえず外しておこう、とかいう人はたしかにいたでしょう。で、単独で遂行できる臨時的な仕事が発生したらそれを割り当てられるわけですが、もともとポストがないとか新技術には対応できないとかいうだけのことで、能力や経験はそれなりにあるので、いざ仕事が発生するとかなり難しい仕事(新技術は不要でも難しい仕事はいくらでもあります)もこなしたわけです。
しかし、そもそも最近では「窓際族」などということばもほとんど聞かなくなったくらいで、さすがに今となってはこんな人をたくさん置いておけるような余裕のある民間企業はないでしょう。これはおそらく、1990年代の半ば以降からは民間企業では「年次の逆転」が当たり前になり、幹部クラス以上における年功序列がかなりの規模で崩壊したことが背景にあります。「敬語を使う」といった面では長幼の序にも一定の配慮をしつつ、仕事においては指揮命令系統は年齢とは関係なくして、定年までフルに戦力として働いてもらう、という人事管理が浸透していったのがこの時代ではなかったかと思われます。
さらに、バブル崩壊後の90年代後半から始まった成果主義ブームがこれに追い討ちをかけました。窓際族とまではいかないまでも、仕事での貢献に較べれば賃金がたしかに少し高すぎるかな、という中高年はそれまでは当たり前にいて、それは長期雇用慣行下では若壮年期に賃金を上回る貢献を行って、それを中高年気に取り戻す、その取り戻す時期に来ている人たちだったわけです。ところが、バブル崩壊後の不況の中で人件費の削減に迫られた企業は、「雇用を守るために」ということで、機会主義的にも中高年の賃金の抑制を行いました。そのときの理屈が「年齢や勤続年数ではなく、成果に応じた賃金を支払う」というものです。中高年も労使協議を通じ、雇用が削減されるよりはましだ、ということでこれを受け入れました。実際、成果主義をめぐる調査や研究をみると、中高年期の賃金プロファイルがフラットになると同時に、ばらつきは大きくなっていることがたびたび観察されています。これはすなわち、貢献度に較べて高かった中高年の賃金が、貢献度に近い水準に引き下げられたことを意味するでしょう。
というわけで、独占や規制によるレントのない民間企業においては、池田先生が想定しておられる「たいした仕事もしないのに、昔の名前で高給をとっているノンワーキング・リッチ」はほぼ殲滅されているのではないでしょうか。
想像するに、池田先生が得意とされるIT分野では、まだ比較的そうしたケースが目に付きやすいのかもしれません。旧来技術しか使えない中高年がけっこうなカネをとっていて、最新技術を使える若いITエンジニアが派遣でコキ使われている、だったら中高年のクビを飛ばして若いエンジニアの処遇を上げてやったほうがイノベーションも進むだろうし、クビになった中高年は当面はコンビニででも働いて起業のチャンスをうかがえばいいのだし…という感じではないかと。まあ、そういう世界もあるのかもしれません。しかし、おそらくは多くの分野では、知識と経験を蓄積した中高年のほうが未熟練の若年に較べて生産性が高いことが多く、賃金水準もかなりそれを反映したものになっているのではないかと思われます。
「賃金の高い中高年を1人解雇すれば、賃金のそれほど高くない若年を2人雇用できる」といった言説は往々にして見かけるものですが、これが成り立つためには、採用した若年2人が中高年1人と同等の仕事ができる、あるいは若年2人でできる程度の仕事しかしていない中高年がいる、という前提が必要で、もちろんそういうこともあることはあるでしょうが、おそらくはかなり希ではないかと思われます。ネット上(に限らないかもしれませんが)の若年には、「自分は老害中高年よりはるかに仕事ができるはずだ」と根拠もなく思い込んでいる人が多いようで、池田先生の主張からしてそういう若年が池田先生のシンパになる確率も高そうな気がします。しかし、彼らが「うちの会社の中高年は全然働いてない、仕事してるのは俺一人だ」とか「ホント俺の職場の上司は使えない、邪魔なだけ」と嘆くのをそのまま真に受けるのは危険が大きいでしょう(もちろん、現実には本当にダメな中高年も使えない上司もいるでしょうし、それに悩まされている若年もたしかにいるでしょうが)。
そう考えると、仮に池田先生が主張されるように解雇規制を撤廃したとしても、池田先生が想定されるような「企業が中高年をバンバン首切りして、若年をジャンジャン採用する」といったことはおそらく起こりそうもありません。そもそも池田先生が考えておられるほどには「中高年の社内失業者」はいませんし、仮に企業が余剰人員を解雇するとしても、それはおそらく適正水準に近づくところまでで、それ以上に解雇して新規に採用をするとは思えません。現に戦力として定着していて、賃金もほどほどに調整されている中高年を解雇して、一定期間は仕事を教えなければ戦力にならず、その間は低いとはいえ貢献度以上の賃金を払わねばならず、しかも戦力になるかならないかの段階で退職してしまうリスクも大きい若年に置き換えるということは、必ずしも合理的でないことのほうが多いのではないでしょうか。
もちろん、NHKやお役所に本当に池田先生の言われるようなノンワーキング・リッチがいるのなら(NHKには少なくとも一人いるようですが)、これはたしかに人材の浪費ですから有効活用の手段を考える必要がありそうです(もっとも、池田先生はどこかで「キャリア官僚はプライドが高いばかりで使えない」といったことを書いておられたと思いますが)。起業支援は半分ご冗談とのことですが、それにしても閑職で年収2,000万円近くもらっている人があまりリスクを取るとは思えず、いかに有能だとしても、若い頃の低賃金を取り返す高さの水準の賃金を他の企業が提供できるとも思えません。ということは、やはり人事管理を見直して、あまりに強い後払い的賃金は改め、年次の逆転を認めて、定年までフルに戦力化できるしくみを作り、しっかり運用していくことが重要でしょう。それは結局、自発的な転職がしやすくなることにもつながるでしょう。池田先生はやはりどこかで「悪いのはノンワーキング・リッチではなく、ノンワーキング・リッチを作り出す解雇規制や裁判所」といったことを書いておられたと思いますが、規制より人事管理のほうが悪いのではないかと思います。解雇規制を緩和したから必ず解雇が行われるわけでもなく、また、首切りで人材活用をはかるよりは人事管理の改善ではかるほうが好ましいのではないかと思うわけで。