川喜多喬『中小製造業の経営行動と人的資源』

中小製造業の経営行動と人的資源―事業展開を支える優れた人材群像

中小製造業の経営行動と人的資源―事業展開を支える優れた人材群像

「キャリアデザインマガジン」第82号に載せた書評です。実はこの本については、「日本労働研究雑誌」580号(2008年11月号)に小池和男先生によるまことに格調高い書評が掲載されています。比較されるのはまったくもってお恥ずかしい限りなのですが、ぜひご一読ください。実は、そこで小池先生も「読み手にいささかの忍耐を要請する」と書いておられるので、私も安心して?率直に「読むのに骨が折れた」ことを白状できたのでした。


 本書のA5版422頁というボリュームは、本格的な研究書であれば標準的なサイズかもしれない。レイアウトも一般的な研究書と変わるところはない。しかし、著者自身、「序」の中でこの本について「現状記述型」だと述べているが、たしかに非常に多くの「事実」が記載された、密度の高い本だといえそうだ。それはすなわち、著者の並々ならぬ熱意と勤勉さのなせるものであろうが、それゆえに読み進めるのになかなか骨の折れる、時間のかかる本である。
 第1章から第4章は、東京都立労働研究所が1997年に都内中小製造業を対象に実施したアンケート調査によっている。調査票そのものは収録されていないが、結果の分析をみるこれは相当詳細かつ大部のものと推測される。事前に相当の準備があっただろうことは想像に難くない(本文中には2社にヒヤリングを実施したとあるが、その背後には既に行われた膨大な事例調査があろう)。そしてその分析は、多数のシンプルなクロス集計を中心としている。それゆえ、決して読みやすいとはいえないが、経営戦略と人材の関係を中心にまことに多くの事実を明らかにしていて、その中には著者のいわゆる「俗説」を覆すものも多い。要約は困難なので、興味深い発見の具体例を紹介しよう。たとえば「…技術開発モデル企業は不況をチャンスに切り替えている。不況下でかえって良質な人材が確保できたとする企業が、技術開発モデル企業には34.4%ある(その他の企業では22.7%)。」「人材の基本的特徴を複数回答で示してもらったところ、技術開発モデル企業は、熟練技能者集団40.6%、研究技術者集団34.4%…優れた技術開発型企業をとってみると、その経営者は自社は技能熟練者集団であるとこたえているのである。…筆者の暫定的な結論はこうである:優れた製品(モノ)作りは技術者のみではできず、優れた熟練技能者を必要とする。そこで一本調子のホワイトカラー化をば歓迎してはいけないのである。」
 第5章からの4章は、本書が副題としている「事業展開を支える優れた人材群像」にもっともよくあてはまる。第5章と第6章は、1992年にやはり東京都立労働研究所が実施した別のアンケート調査によっている。これは中小製造業の、さらにベテラン技能工・中高年技術職にピンポイントでフォーカスしている。第5章後半では、中小製造業にとってかなり重要な、しかし注目されることの少ない女性技能工の実態が詳しく述べられていて興味深い。第7章・第8章はさらに別の調査、1993年と2001年にやはり東京都立労働研究所が実施したアンケート調査による。第7章は中小・中堅製造業の工場管理者などのマネジメント層、第8章は中小製造業の優れた中高年営業職と営業系部課長が対象とされる。もとより大企業とは異なる側面が多いのだが、「「年功主義」にきわめて近いものや、…「実力主義」にきわめて近いものよりも、…一定年齢・勤続までは「年功主義」で昇進させ、ある一定の年齢・勤続に達したあと「実力主義」で選抜するという折衷型が多い(これは大企業とほぼ共通しているであろう)。中小企業は実力主義をしばしば標榜し、またそう俗論で語られるが、純粋型は例外である。」という興味深い指摘もある。
 第9章はこれまでと異なり、東京都中小企業団体中央会による調査にもとづいている。金型製造業に特化し、東京都内の金型事業所に対するアンケート調査に加え、訪問調査を30社実施している。たいへんな勤勉さというべきだろう。1993年の調査だが、得意先の海外移転、現地調達に対する危機感が強く、「7年後を予想すると、その時には「金型はやめているだろう」とする企業が22.4%もあった(実際、工業統計などをみると、東京の工業事業所はこの調査時点から2000年までにほぼ同じほど減ったのである)。」という。もっとも、必ずしも予想どおりにならなかったものもあるという。調査時点で「在来設備の企業では57.9%もが50歳以上の労働力であるが、高度システム型の企業では39歳以下の労働力の比率がまだしも37.6%ある。…実は、最近、私が金型製造業を再調査に歩いたところ、中高年齢層の多い汎用機型が滅びていったのでは必ずしもなかった。中高年の持つ熟練で作られた製品は確実に需要をつかみ、汎用機を使える中高年熟練者が少なくなったがゆえに、彼らを抱えている企業で成長をとげているものがあった。他方で新鋭機器と若年者に特化した企業の中にも、同じ機器を同じ熟練度でより低賃金の海外企業との競争に負けたものがあった。」という。まことに興味深い現実の一段面と思われる。
 最終の第10章は「優れた中小・中堅製造業の人的資源管理−「モデル」の想定」と題されており、2003年から2004年にかけて東京商工会議所が実施した調査によっている。アンケート調査をもとに「モデル企業たるにふさわしい企業26社」を選び出し、訪問調査で詳細な情報を収集したうえで、その特質と教訓を抽出している。人材・組織マネジメントに間接・直接に関わる23の特質と教訓が示される。さらに、人的資源管理に関わる20の教訓が示される。かなりの多数だが、これらがもとよりすべての企業にあてはまるわけでも、ある企業にすべてがあてはまるわけでもない。まさに事実の羅列といえ、それゆえやはりある程度の読みにくさはある。しかし、これは本書全体についていえるのではないかと思うが、これらに関心のある人、典型的にはまさに中小製造業の経営者ということになろうが、そうした人にはこうした読みにくさは苦になるまい。そして、この膨大な事実の積み上げの中から、おそらくは多くの有益なヒントを得ることができるのではないかと推測される。
 一般向けにはなかなかすすめにくい本ではあるが、人的資源管理に関心を持つ人には、まずは第4章〜第8章の関心のある章から読み始めると比較的(あくまで比較的、だが)読みやすいかもしれない。図書館などでみかけたら、ぜひ一度手にとってもらいたい本ではある。次々と現れるクロス集計票のかもし出す独特の雰囲気だけでも味わってみてほしい。