政府と企業の責任分担

上のエントリとも関連して、週末の日経から。土曜日の投資欄のコラム「大機小機」に、「吾妻橋」氏が「政府と企業の責任分担を見失うな」という一文を寄せておられます。氏は時折この欄に寄稿され、主に社会保障、労働の分野でたびたび鋭い指摘を提示しておられます。今回もまことに正論なので備忘的に転載しておきます。

 最近の派遣労働者の雇用打ち切りに対するテレビ報道の過熱ぶりや、それに影響されたかのような国会での政府首脳の応答ぶりをみると、市場主義の精神や政府と企業との役割分担の論理が、全く失われてしまったかのように見える。
 特に企業の内部留保が大幅に増えた中での大量解雇を批判した野党議員に対し、政府首脳が「何兆円もの内部留保を持つ大企業が時給千円足らずの人の職を奪うのは正しいか」と答弁したのには驚いた。国民経済計算ベースの営業余剰は2002年から07年までの5年間で5兆3,000億円増えたが、その前の5年間は過剰雇用のため7兆4,000億円も減った。その結果、投資が抑制され、不況が長引いて雇用機会が減少したとなぜ答弁できないか。
 これまでも政府の要人は「内需拡大のために賃上げを」と、労働組合と同様の発言を繰り返してきた。しかし不況時において、非正規雇用の維持や内需拡大まで企業の責任とされるなら、政府は一体何に責任を持つのか。
(平成21年1月17日付日本経済新聞朝刊「大機小機」から)

まあ、営業余剰が減ったのは過剰雇用だけのせいなのかとか、企業は内部留保を雇用増に有効な投資に本当に振り向けられているのかとかいった議論はあるかもしれませんが、基本的には正論ではないかと思います。上のエントリで取り上げたJMMの「金融経済の専門家」たちも、当然ながらこれについては一致しています。
もちろん、(省略してしまいましたが)「金融経済の専門家」も指摘するとおり、従業員の雇用を維持するために内部留保を活用することが投資としても適切だというケースはありえます。付加価値の高い技術、技能を持つ労働者であれば、来るべき増産に備えて、いまは仕事がなくても賃金を支払ってつなぎとめておくことは有意義な投資になるでしょう。とはいえ、やはり企業本来の役割は、内部留保を研究開発投資や設備投資などにも適切に振り向け、企業の成長を通じて雇用を創出し、労働条件を向上させていくことにあるのではないでしょうか。
企業の売上が減少し、利益が出ず、仕事のない労働者が増えているときに、「それでも企業は内部留保がゼロになるまで赤字を出してでも非正規労働者を雇用し続けろ」というのは、技術的な実現可能性はさておくとすれば、政府にとっては財源不要のセーフティネット整備であり、たしかに魅力的かもしれません。それに加えて「賃上げもしろ、内部留保があるじゃないか」というのは、これまた政府としてみればこたえられない財源不要のバラマキ内需振興策にみえるでしょう。しかし、いくら不況がいつまでも続くわけではないとはいっても、これはおよそ持続不可能でしょうし、仮に持続できたとしても企業を相当に痛めつけることは明々白々です。まあ、政府は2兆円の定額給付金(がいいかどうかは別問題として)をふくむ第2次補正予算案を編成し、政府なりに景気対策に乗り出そうとしていますので、政府がまったく責任を果たしていないとまでは申し上げません。しかし、企業にそこまで責任を負わせようというのは、あるべき責任分担の範囲を大幅に逸脱するだけにとどまらず、将来に向けた投資を阻害し、ひいては雇用の縮小をまねきかねないといった禍根を残すおそれがあります。
さてここからは床屋政談(「床屋」はPolitically Incorrectなんでしょうが、「床屋政談」は広く定着した用語で言い換えるのも変なのでご容赦ください)になりますので適当に読み飛ばしていただきたいのですが、このような愚論、小手先の刹那的な議論を、野党議員ばかりか政府首脳まで大まじめに語るというのは、衆参ねじれ国会の中で、遅くともこの9月には総選挙が必ず行われるという状況下にあって、各政党・政治家とも「背に腹は代えられない」状況にあるからでしょうか。「何兆円もの内部留保を持つ大企業が時給千円足らずの人の職を奪うのは正しいか」という言説は、たしかに情緒的には訴えるものがありそうですが、しかしその程度の情に訴えておけば国民の支持が得られると政治家が考えているのだとすれば、国民もなめられたものです。
吾妻橋」氏は続けて、「貴重な財源が無意味な定額給付金に浪費され、それを閣僚が受け取るか否かという低次元の論争が続いている。無駄な農業や道路予算の削減など公共事業費の改革も進まない」と嘆いておられますが、これまた選挙(それも自らの当落だけではなく、政権交代のかかった選挙)を控えた中では、「結局それ(閣僚が受け取るか否かとかいう低次元の論争)がいちばん支持率に影響し、票になるのだから」とか、「無駄な農業予算でも、削れば私が落選しかねないじゃないか」とか「とにかく地元に公共事業をつけなければ地盤がもたない」とかいった切実な事情があるのでしょう。本当にそのとおりだとすれば、これは選挙民も反省しなければなりませんが…。で、そのせいで「非正規社員へのセーフティネットの整備や教育・訓練、内需拡大のための投資を生み出す規制改革など政府がなすべき課題は放置されたままである」と「吾妻橋」氏の嘆きは続きます。まあ、政府としてみれば「非正規社員へのセーフティネットの整備や教育・訓練」は企業に押し付けておけばよい、ということかもしれませんし、「内需拡大のための投資を生み出す規制改革」に至っては、「規制改革」ということばを使うたびにで何百票か減ってしまう、というくらいの精神構造に追い込まれているのかもしれません(さすがにそんなことはないか)。これはこれで同情すべき点もあるかもしれませんが、本当に同情されるべきはそのせいで被害を受ける国民のほうなのですが…。
与野党双方が選挙目当てに大衆迎合策を競い合うこの状況は、不毛であるにとどまらず、有害の領域に入っているように思われます。その原因は「ねじれ」と「選挙」にありそうなので、とりあえず「選挙」だけでも早いところやってほしいものです。現状の成り行きでは、政府・与党は負け戦をズルズルと先送りしそう(定額給付金をバラまいてそれなりの手ごたえがあれば打って出るかもしれませんが)ですが、9月10日には任期満了ですから、遅くともその前の日曜日、9月6日には総選挙が行われるでしょう。で、おそらく先送りは結局は傷口を広げるだけに終わるでしょうから、総選挙後には民主党(中心の連立)政権ができるか、あるいは「政界再編」が起きるか、いずれにしても「ねじれ」が解消されることを期待したいものです。正直言って、民主党が組織・人材・政策において自民党に較べてさほど優れているとは私は思いません(単なる感想なのでさしたる根拠はありませんが)が、それで政権が安定するなら今よりはおそらくはるかにマシでしょう。とはいえ、どのような結果になるにせよ、新政権・与党は(成り行きからみて、選挙公約はかなり大衆迎合的なものになるでしょうから)、公約の現実的修正という困難な作業に取り組まざるを得ないでしょう。とはいえ、来年(たぶん)7月にはまた参議院選挙も控えていますから、それまで1年を切った状況下ではそのための時間はなく、引き続き大衆迎合競争が続く恐れもあります。それを考えても、もっと早く解散・総選挙に踏み切ってほしかったのですが…。