ここがおかしい日本の雇用制度(4)

引っ張りますが、今週も先週に続いて週刊エコノミストの特集「ここがおかしい日本の雇用制度」を取り上げます。hamachan先生こと濱口桂一郎政策研究大学院大学教授が「日本の解雇規制は「二重構造」 これが正規・非正規の差別を生む」という論考を寄せられています。ちなみに、hamachan先生はその後政策研究大学院大学教授の職を退いて厚生労働省に戻られ、「天下り教授」(笑)もめでたく卒業されたようですので、いまやhamachan氏と呼ばなければならないのでしょうが、今日のエントリでは当時の役職・呼称でいきたいと思います。

 日本の厳しい解雇規制への、経営者側からの風当たりは強い。経済協力開発機構OECD)の対日経済審査報告書2008年版でも、「労働市場改革のための提言」として、「正規労働者への雇用保護を緩和することで非正規労働者を採用して雇用の柔軟性を確保しようとするインセンティブを弱める」ことが求められている。
 一見したところ、このOECDの提言は内閣府の規制改革会議労働タスクフォースが昨年5月に公表した意見書と同様、あらゆる労働者保護はことごとく労働者の利益に反するという急進的な規制撤廃論に立っているように見えるかもしれない。
 しかし報告書をよく読めば、OECDが懸念しているのは解雇規制の絶対水準ではなく、正規と非正規の間の雇用保護水準の格差であることが分かる。提言の文言はいささか誤解を招きかねないものだが、誤解に基づいて「解雇規制はことごとく撤廃せよ」と叫ぶのも「解雇規制には一切手をつけるな」と叫ぶのも適切な反応とはいえない。
 OECD自身、その雇用見通し(06年)のなかで、解雇規制が失業を生み出すという証拠は見出せないと述べるとともに、常用労働者に対する厳格な解雇規制を維持しつつ臨時・派遣労働ばかりを規制緩和することは悪影響を及ぼすと指摘している(『世界の労働市場改革 OECD新雇用戦略』戎居皆和訳、明石書店)。

うーん、「日本の厳しい解雇規制への、経営者側からの風当たりは強い。」と言われますが、本当にそうでしょうか。解雇規制緩和論が目立ってきたのは1990年に入ってからではないかと思うのですが、その当時、旧日経連などの経営サイドはこれに対してかなりリラクタントな姿勢をとっていました。その背後には、長年教育訓練投資を投下した熟練工は企業としても手放したくないため解雇規制があってもそれほど困らないこと、その裏返しとして、定年まで雇用するから安心しろという約束のもとに、企業ニーズ優先で、転職すると剥落してしまいかねない企業特殊的な熟練を形成させてきたのだから、途中で解雇するのは約束違反だという経営者の意識があったように思います。その後、1990年代後半の経営不振の時期にも、多くの企業は正社員の雇用確保を優先課題と位置づけており、解雇規制に対する経営サイドからの「風当たりが強い」というほどではなかったのではないでしょうか。もちろん、規制緩和委員会とか、あれこれ名称が変わった後継組織の構成員からの風当たりは強かったでしょうが、そこに含まれる経営者は宮内義彦氏とか奥谷禮子氏とか、いささかエキセントリックなメンバーだったわけで。

 今回の報告書が日本の労働市場の最大の問題点として指摘しているのも、賃金、職業訓練社会保障、雇用保護などあらゆる領域にわたる正規と非正規の関係である。
 そもそも、日本の解雇規制は、(1)「解雇権濫用法理」、(2)「整理解雇法理」の二重構造になっている。第1段の「解雇権濫用法理」は解雇に正当な理由を求めるもので、ほとんどすべての先進国と共通する。これがなければ、労働者は使用者に何を言われても我慢するか辞める以外に道はない。労働者に「退出」だけでなく「発言」という選択肢を与えるのであれば、最低限第1段の解雇規制は必要である。
 ただし、現在の判例では解雇無効の場合金銭補償の道がなく復職しかない。一方で、有期契約の雇い止めに解雇権濫用法理を類推適用することは判例法理上は可能だが現実には難しい。このため、復職が認められる正規労働者と金銭補償すら認められない非正規労働者の格差が極端に拡大してしまう。不当な解雇を規制する必要はあるが、その解決方法は原則として金銭補償とすることによって、非正規労働者の不当な雇い止めに対しても正規労働者の解雇と同様の保護を与えることができるのではなかろうか。

ここはたしかに整理が必要なところだと思います。現行法制だと、訴訟をやって解雇無効となれば原告が「復職+バックペイ+慰謝料」と総取りできるのに対して、解雇有効となればなにもなしになってしまうという極端なオール・オア・ナッシングの解決しかありません。一口に解雇事件といってもその内容は多岐にわたるはずで、こうしたゼロイチのデジタルなやり方では現実社会の多様性に対応できないでしょう。復職に関しては、職場の意向も反映される形でその可否を判断し、可であれば復職し、否となった場合はある一定基準(それなりに高くてもいいと思います)の解決金で解決する。そして、解雇有効でも無効でも、使用者と労働者の責任割合を決め、それに沿って解決金・バックペイ・慰謝料については過失相殺的に減額する。こういったルールを考えていく必要があるのではないかと思います。もちろん現状以上に解雇を容易にするとか困難にするとかいうことを意図するわけではありませんので、そこは現状と中立的になるような解決金の基準なり相場なりを作ればいいのだと思います。これはたしかに、非正規雇用の不当な雇い止めに対する金銭的な救済にもつながるでしょう。

 経済学者が解雇規制を語るとき、往々にして基本となる解雇権濫用法理を無視して、第2段の「整理解雇法理」のみを論じていることがある。これは石油ショック後に確立したもので、企業の経済的事情により正規労働者を解雇する場合、(1)人員整理の必要性、(2)解雇回避努力、(3)解雇者選定基準、(4)労使協議―― という4要件を満たすことを求めている。
 問題は(2)で、ここでは「時間外労働の削減」「配置転換による雇用維持」「非正規労働者の雇い止め」の3つが解雇を回避するためにとるべき努力義務として要求されている。
 これは、恒常的な時間外労働の存在を正当化している面があるし、家庭責任を負うため配転に応じられない女性労働者への差別を正当化している面がある。そして何よりも非正規労働者の雇い止めを「解雇回避努力」として評価するような法理は、それ自体が雇用形態による差別を奨励している。
 かつてのように、妻が専業主婦であることを前提とすれば、夫の長時間残業や遠距離配転は十分対応可能であったし、非正規労働者がパート主婦やアルバイト学生であることを前提とすれば、それらを切り捨てて家計を支える正社員の雇用確保に集中することは一定の理解が得られたかもしれない。
 しかし昨今は、共働き夫婦が増え、生活を支えるために妻がパートとして働くケースも珍しくない。そんな彼女らを切り捨てるべしと命ずるような日本の差別的な解雇規制を見直すことは、労働者の利益にとっても重要な課題のはずである。
 ここで、EU加盟国の解雇規制と有期契約に関する規制を一瞥してみよう。
 おおむね、差別や人権に関わる解雇は明確に無効とされているが、一般的な解雇についてはベルギー、オーストリアのように極めて自由な国からオランダのように法制上は極めて厳格な国(もっとも実態は緩やか)まで様々である。整理解雇については概して、解雇を前提として労使協議という手続きを要求するにとどまる。
 重要な点は、イタリアなどを除き不当な解雇についてもほぼ金銭補償が原則となっていることで、これが有期契約へのかなり厳格な規制とバランスをとっている。日本の法制も参考とすべきだ。

このhamachan先生のご所論については以前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080310)でコメントを書きましたので繰り返しませんが、「不当な解雇についても金銭解決を原則とするとまで踏み込むのは少々危なっかしい感もあります。労働契約法の議論の過程でも出ていたように、セクハラ解雇とか組合差別解雇のような悪質なケースについては金銭解決を認めないという歯止めもわが国の場合は必要なのではないでしょうか。日本の労組もこれに関しては「手切れ金を払えば不当な解雇もできるようにするのか」と反発しそうですし…。