ダイバーシティのむずかしさ

日経ビジネスのウェブサイトNBonlineに、きのう「「女性らしさを生かして」ってヘンじゃないですか。」という記事が掲載されました。鈴木雅映子という署名があり、「2年目女子ですが、いいですか?」という連載の2回めのようなので、おそらくは本当に2年めの女性記者が書いているのでしょう。

 キャリア女性を輩出している、ある大学の就職進路相談室に取材をした時のことです。進路相談に応じる職員の方に「こちらの大学の女子学生に目立つ志望動機と、職種を教えていただけますか」と尋ねると、このような答えが返ってきました。
「そうですね、実数を取ったわけではありませんが『女性の強みを生かして、消費財メーカーで開発を担いたい』という学生はかなり多いように思えますね」
 最初、私はまったく違和感を覚えませんでした。
 「なるほど。女性をターゲットにしている商品であれば、同じ女性である自分は商品開発に貢献できる可能性が高い、ということか」と。

 毎日使っている女性の方が、男性よりも要望が分かり、商品に活かせるはず。そりゃそうだと頷きそうになったのですが、よくよくその根拠を考えてみると、違和感を覚えるのでした。男性が、女性が使う商品開発に向いていない理由はどこにあるのでしょうか。

 ここ5年ほどの傾向なのですが、最近の学生は就職活動期に、自己分析を行うのが常です。採用試験でも「あなたはどんな仕事をしたいですか?」と問われ、学生は自分がどのような性格なのかを説明し、どのような仕事に向いているのかを答えなければなりません。
 そんなの非現実的だなあ、とは思いますが、ともあれ学生は「自己の個性と向き合おう」としているわけです。そんな学生が、個性ではなく性別を仕事の向き不向きに絡めて考えるのは、不自然なことではないか、と私は思うのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080724/166159/

鈴木氏は「「男女平等」で育ってきた私たちの世代は、就職活動を通して初めて「女性」を意識するという仮説」を持っているのだそうです。なるほど、この世代はかなりジェンダーフリーな義務教育を受けているでしょうし、高校・大学のクラブやゼミなどで女性がリーダーシップをとるのも当たり前だったでしょうから、「女性である自分の人生キャリア」を意識しはじめるのは、たしかに就職活動のときなのかもしれません。
採用試験で「「あなたはどんな仕事をしたいですか?」と問われ、学生は自分がどのような性格なのかを説明し、どのような仕事に向いているのかを答えなければ」ならないことに対して「そんなの非現実的だなあ」というのもまことにそのとおりでありましょう。まあ、聞く側の企業としても、学生さんが述べる具体的な内容をそのまま鵜呑みにしているということはないでしょう。企業社会で生きるということは決まった答のない問題になんとか答えを見つけ出そうという努力の連続ですから、企業としてみればまずは応募者が自分自身に関する難問にどう向き合ってどう考え、どのような答を出し、それをどう表現するのかというプロセスをみてみたいということではないでしょうか。
そのときに、自分の性別をそこに取り込むことは、実際世の中がそうなっているわけですから、実利の面では普通の発想かもしれません。鈴木氏の問題意識は「そうなってる世の中がおかしい」ということのようです。

 その理由として思いついたのは、企業が「ダイバーシティ」を進めるときのやり方です。日本企業は2004年ごろから、女性の活用に力を入れてきました。企業は女性活用のメリットを全社員に理解させるために、女性の特性が生かしやすい仕事を定義しようとします。その中でよく出てきた部署が「商品開発」でした。
 たとえば、日産自動車。…日産自動車が2002年に新車を購入する顧客を調査したところ、3割が女性で、残りの3割も女性の意見を聞いて購入するという男性だったと言います。つまり購入者の6割が女性の意思決定が影響している。しかも女性の意見を聞く男性の割合は増加傾向にあったそうです。この結果を見たゴーン社長は、日産の社員は男性ばかりであることに疑問を投げかけたのでした。
 そして、育児休暇を拡充するなどの制度を整え、女性を含めた商品企画チームを作り、女性の消費者が好むものづくりに取り組んだ。ベビーカーを畳まずに積めたり、力を入れずに移動できるサイドシートをつけたりと工夫を凝らしたミニバン「セレナ」です。…この例は日産の社員だけでなく、社会的にも女性活用の効果を実感させました。「女性は使えない」と考える人がまだ多い2004年当時、これは有効な方策だったと思います。
 ただ、この「ダイバーシティの進め方その1・女性×商品開発編」がとても分かりやすかったので、企業の中で「その1」ではなく「定番」化してしまい、就職活動でジェンダーを過剰に意識してしまう学生の気持ちと組み合わさって「女性の強みを生かして商品企画をやりたい」という考えを女子大生に抱かせているのではないでしょうか。

「…まず“ダイバーシティ”というのは、個人の個性を尊重し、多様性を認める発想ですよね。だとしたら、女性に向いたとか、男性に向いたとかいう切り分けをすること自体が、…矛盾しているんです。ダイバーシティという言葉を正面から受けとめるなら、女性らしさを活かせる仕事、などと定義することがそもそもおかしいわけですよ。初めて総合職の女性が入る、といった初期の段階ならともかく。日産自動車だって、既に女性活用というよりは人種や宗教、個性を理解させるための研修プログラムなんかも始めていますし。
 でも、ここで滑稽なのは、その時代錯誤な考え方を持つ企業に、これから時代を作っていく学生がもろに影響を受けている事態です。わざわざ自己分析をして、「性差なんて関係ない!自分らしい仕事をしたい!」と標榜しているはずの大学生たちが、企業側のPRのひと言で『私は女だから』と言うようになってしまうのです」。

これは私にはかなり激しく既視感のある議論でした。ダイバーシティ・マネジメントの考え方が日本に導入されはじめた2000年、旧日経連が発足させた「ダイバーシティー・ワーク・ルール研究会」(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080317)で、すでに同様の議論があり、2002年に発表された同研究会の報告書の冒頭にある当時の奥田碩日経連会長のインタビューでも、このように言及されています。


――すでに、いろいろな企業で、女性だけで商品開発をしたり、若年を中心にしたり、外国人をプロジェクトリーダーに招くといった取り組みが始まっています
奥田 「女性の感性を活かしたい」とかいうわけですよね。まあ、これまで女性の力を活かしてこなかったことに気づいた、という意味では、ダイバーシティに向かう大きな一歩かもしれません。
ただ、ダイバーシティの本当の効果というのは、女性でも若年でも外国人でもいいですが、そういう人自身がクリエイティブな成果を出す、ということではないと思うのです。そういう人が入ってくることで、組織全体が活性化することが大切なのです。女性でも若年でも外国人でも、優秀な人、成果の出る人を積極的に活用し、ふさわしい処遇をするというのは当然のことです。大事なことは、そういったさまざまな人のコラボレーションを通じて、全体のパフォーマンスを上げることであり、従来の延長線上にない仕事をすることです。ですから、女性だけで商品開発をしたけれどヒット商品が出なかった、やっぱりダイバーシティなんてダメじゃないか、という考え方は違うと思うのですね。
――「女性の感性を活かす」という発想自体が、女性は特別な感性を持っているという固定的な考え方であって、ダイバーシティの考え方にはなじまないという意見もあります
奥田 それはちょっと原理主義的かな。女性の感性というのが例えば「主婦感覚」ということなら、そのとおりですね。それだったら、女性の感性と言わずに主婦の感性と言えばいい。そういうジェンダーを超えたところにも男女の異質さがあるのかどうかは、私にはわかりません。大事なことは、男性ばかり、女性ばかりという組織があるとしたら、ちょっと考え直してみよう、ということでしょうね。
 それから、女性といってもまたさまざまな個性、感性がある。それを大事にすること。これは男性も同じですが。…
(日経連ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会(2002)『日経連ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会最終報告書「原点回帰−ダイバーシティ・マネジメントの方向性−」』から)
(このインタビューの全文はhttp://www.roumuya.net/divst/okuda.pdfにあります)

この間6年も経っているのに相変わらず「大きな一歩」の段階であまり変わってないんだなあ、という感慨は別として、鈴木氏と奥田氏とは若干のニュアンスの差もあります。鈴木氏のほうは「性差なんて関係ない!」を強調して、かなり(奥田氏のいわゆる)原理主義的な印象があるいっぽう、奥田氏のほうは「ジェンダーを超えたところにも男女の異質さがあるのかどうかは、私にはわかりません」と、それなりに性差の存在も全否定はしない慎重な態度をとっています。まあ、これは日経ビジネスのウェブサイトと、経営者団体のレポートというメディアの違いによるところも大きいでしょう。まあ、考えてみれば、「ジェンダーを超えたところにも男女の異質さが」あってもなくても、「性差なんて関係ない!」で行けるようにも思えます。
まあ、学生さんにしてみれば、企業が時代錯誤であるとしてもそれに調子をあわせなければならない部分もあるわけで、本音は「性差なんて関係ない!」だとしてもそれは表に出さず、『私は女だから』を巧みに利用するという戦術もあり、という人もいるでしょう。いっぽう、鈴木氏がそういう女性に対して、そういう女性がいるからダイバーシティの理解、普及が進まないのだ、といらだつのもわからないではありません。ただ、100%「性差なんて関係ない!」でなければならない、ということだとこれはこれで画一的になってしまい、ダイバーシティからは離れてしまうようにも思えるので、そこはどこまで柔軟性を持たせるのか、という問題になりそうで、これまた人により、企業により多様になりそうです。その中でうまくマッチングをはかっていけばいい、ということでしょうか。いろいろと議論のありそうなテーマではあります。