「全員参加」の危うさ

今国会冒頭の施政方針演説で、福田首相は引き続き成長戦略を推進するとし、その3本柱として「革新的技術創造戦略」「グローバル戦略」「すべての人が成長を実感できる全員参加の経済戦略」を掲げました。この3つめが雇用・労働分野になるわけですが、施政方針演説ではこう述べられていました。

 雇用拡大と生産性向上を同時に実現し、すべての人が成長を実感できるようにする「全員参加の経済戦略」の展開です。意欲ある人が皆働けるように、女性と60代の方の労働参加率の引き上げやフリーターの減少について、少なくとも政労使の合意に基づく数値目標を達成しなければなりません。このため、定年制のあり方や60歳以降の継続雇用・再雇用のルールについて検討を進めるとともに、「ジョブ・カード」制度を4月から導入します。
 また、労働分配率の向上に向けて、正規・非正規雇用の格差の是正や、日雇い派遣の適正化等労働者派遣制度の見直しなどを行います。各分野で高い能力、知識を持つ専門家の育成に力を入れるとともに、特に女性の参画が進んでいない分野に重点を置いて、女性の働く意欲を引き出すことができるよう、「男女共同参画社会」の実現に向け戦略的に取り組んでまいります。
(sankei.jp.msn.com/politics/policy/080118/plc0801182221020-n1.htm)

「正規・非正規雇用の格差の是正や、日雇い派遣の適正化等労働者派遣制度の見直しなどを行」えば「労働分配率の向上に向」かうというのもなんだかなあという感想とともに、「全員参加の経済戦略」というのもどうなのかな、という印象もあり、とはいえこの演説だけでは情報量不足でなんともいえない状況だったわけですが、きのうの経済財政諮問会議大田弘子経財担当相が提出した資料に、さらに具体的な内容が記載されていました。
戦略3:「全員参加の経済戦略 〜雇用拡大と生産性向上〜」の中の「1.『新雇用戦略』の策定」というのがそれのようです。

・働きながら子育てできる環境整備
 1)『新待機児童ゼロ作戦』の展開(多様な保育サービスの充実や保育所での受入れ児童数の拡大など質量両面からの整備)
 2)育児休業制度の拡充
 3)就労に中立な税・社会保障制度の改革

・人生90年時代の働き方の構築(70歳現役社会の実現)
 1)定年制のあり方や60歳以降の継続・再雇用ルールを検討
 2)能力開発支援(ジョブ・カードの活用等)

・若者の雇用の安定化
 1)官民一体となったジョブカード制度の整備・充実
 2)最低賃金引上げと生産性向上に向けた官民一体の取り組み
 3)年齢差別撤廃(雇用対策法)の徹底に向けた公務員雇用の柔軟化

・短期雇用者のキャリアアップ支援
 1)意欲のある短期雇用者が企業内でジョブカードを利用して職業訓練を受けられるように支援
 2)短期雇用者の待遇改善

・就「社」から就「職」へ(高度な職業訓練の体制整備)
 1)教育・研修休業制度の導入
 2)職業能力を教育訓練する場としての大学の役割強化
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0131/item3.pdf
  ※一部機種依存文字を変更しています

うーん、案の定といっていいのかどうか。「全員参加」という掛け声を聞いて私が心配になるのは、不参加の自由はどの程度確保されるのだろうか、ということです。施政方針演説では「意欲ある人が皆働けるように」といっていますので、意欲のない人は別に働かなくていいんだよ、ということなのでしょうが、それが「意欲がなくて働かない奴は社会のお荷物だ」という風潮になってしまうのはちょっと怖いかな、と思います。
とりわけそれが感じられるのは「人生90年時代の働き方の構築(70歳現役社会の実現)」という部分で、企業に高齢者を70歳まで雇用させることで、あわよくば年金支給開始年齢を70歳に引き上げようか、という意図を読み取るのは勘ぐりすぎでしょうか?私などは、体にいろいろ悪いところもあり、65歳くらいでは引退したいものだと思っているのですが、そういう奴は「70歳まで『全員参加』できないダメな奴」ということになってしまうのでしょうかね?
「働きながら子育てできる環境整備」というのもそうで、たしかに現状では「子どもを預けて働きたい」という人のニーズに対してサービスが十分に供給されているとはいえませんので、「多様な保育サービスの充実や保育所での受入れ児童数の拡大など質量両面からの整備」というのは非常に大切だと思いますし、「就労に中立な税・社会保障制度の改革」も同じくらい大切だと思います(具体的な内容によりますが)が、その先に「働かずに子育てすることは許されない」という社会風潮が待っているとしたらいかがなものかなと。どうも「全員参加」という掛け声にはそういう危うさみたいなものを感じてしまいます。心配しすぎでしょうかね。
さて別の話になりますが、「若者の雇用の安定化」でジョブカードが出てくるのはいいのですが、「最低賃金引上げ」と若者の雇用の安定化はどうつながるのかな?最低賃金近傍で働いている若者の労働条件が上がることが、ささやかながらも「安定化」だ、ということでしょうか。雇用量の減少を通じてむしろ「不安定化」につながる懸念もなきにしもあらずですが…。「年齢差別撤廃(雇用対策法)の徹底に向けた公務員雇用の柔軟化」というのは、現行の雇対法が公務員には適用されず、公務員の求人には年齢制限がまかりとおっている実態を改善しようということでしょうか。
「短期雇用者のキャリアアップ支援」もとても大事な課題だと思います。ジョブ・カードだけでは少々力強さに欠ける感もあるのですが、かといって行政がなにか即効性のある手段を取れるかというとそうでもなさそうで、これはなかなか難しい問題です。で、「短期雇用者の待遇改善」というのは、常識的には「キャリアアップ→待遇改善」という順序になるのが当然でしょうが、先に待遇を改善してしまって、それに見合うような仕事をさせる、という方向に誘導していくという考え方もありうるかもしれません。というか、とりわけ人材派遣などの人材ビジネスでは、戦力を確保するために待遇を改善せざるを得ず、したがってそれに見合っただけの仕事をさせなければ経営が続かない、というような状況も現実には現れ始めているようですし。まあ、あまり過大評価もできませんが。
で、「就「社」から就「職」へ」、これがよくない。就社から就職へ、というキャッチフレーズは、企業内でのキャリア形成ではなく、企業間の移動や起業などもふくめ、特定の職業でキャリア形成する、ということでしょうが、「教育・研修休業制度」を「導入」し、「高度」に「体制整備」された「職業訓練」を、とりわけ「職業能力を教育訓練する場として」の「役割強化」した「大学」で行えば本当にそれが実現できるのか、というといかにも怪しいものです。もちろん、多数の就労者の中には、少数でしょうがそれができる人もいるでしょうし、業界によっても職種によっても事情は異なるでしょう。とはいえ、多くの働く人にとって、その勤務先である企業がその必要に応じて実施するOJTよりも大学で学んだほうが効果的な教育訓練となるような「役割強化」「体制整備」が本当に可能かどうか。まあ、OJTをまともにやらない企業もありますし、OJTに適切なOff-JTを組み合わせることも重要なわけですが。これを突き詰めていくと、企業が従業員を育成しない米国のような(米国が本当にそうかどうか知りませんが)社会になるのでしょうが、それで本当にいいんでしょうかね?もちろん、一部にはそれがいいという業界もあるでしょうが…。
人材育成を過度に企業に依存してはならない、という問題意識はわからないではないですが、かといって企業の人材育成力がわが国産業の競争力を支えているというのも現実でしょうし、それを失わせるよりはうまく活用していくほうが賢明な政策だと思います。