賃上げ

春闘といえば賃上げですが、報告書は昇給交渉に向けたスタンスを30ページ以降で述べています。

 賃金をはじめとする労働条件を決定する際には、特に三つの視点を念頭に置いておく必要がある。
 第一に、グローバル競争の視点である。経済活動のグローバル化が進展する中、わが国企業は世界経済において常に厳しい競争にさらされている。…わが国の賃金等は依然として世界でもトップクラスの水準であり、賃金交渉の際には、労使は常にこのことを意識する必要がある。
 現在、原油価格をはじめ国際商品市況は高騰している。こうした中で、生産性に準拠しない賃金決定は、過度な物価上昇を招き、わが国全体の高コスト構造をさらに硬直的なものとする恐れがある。

毎年言われていることですが、例年強調されている「生産性基準原理」は、その用語が消えており(もっとも、昨年も本文には記載がなく、図表上のみの言及でしたが)、ここでさらっと「生産性に準拠しない賃金決定は、過度な物価上昇を招き」と述べられるだけにとどまっていることは注目されます。

 第二は、総額人件費の視点である。総額人件費とは、賃金のみならず、従業員を雇用する際に発生するすべての費用を指す。春季労使交渉・協議で論議されるのは主に所定内給与、賞与・一時金など現金給与の改定である。しかし、所定内給与を1とした場合、総額人件費全体はその約1.7倍に達することを認識しておく必要がある。所定内給与の引き上げは他の賃金項目にも波及し、総額人件費を増大させる。さらに今後、企業が自ら制御することが難しい社会保険料などの法定福利費の増大が見込まれる中、総額人件費管理を徹底させることが重要である。

まあ、これも例年と同様の主張です。

 第三は、人口減少という大きな時代の流れの中で、わが国経済の安定した成長を確保するという視点である。官民による改革が実を結び企業体質が強化されたことで、企業業績は5年度連続で増益を続けている。これを背景に企業が設備投資に積極的に取り組んでいること、また、世界経済の拡大を受けて輸出が堅調に拡大してきたことなどにより、実質成長率は5年度連続でプラスとなっている。しかし、サブプライム問題に端を発する信用不安の増大などにより、これまで個人消費と住宅投資に多くを依存してきた米国経済は減速に向かうことが予測される。また、国内においても、所得税・住民税の定率減税の段階的廃止、配偶者特別控除の原則廃止など実質的な増税が進められ、さらに厚生年金保険料率が継続的に引き上げられていることなどから、手取りの収入が伸び悩み、雇用情勢の改善にもかかわらず、個人消費の増勢鈍化が懸念されている。さらに、建築基準法改正に伴う住宅投資の大幅な落ち込みも景気の足を引っ張っている。このように経済の先行きに不透明感がある中、わが国の安定した成長を確保していくには、企業と家計を両輪とした経済構造を実現していく必要がある。

ここが目新しいところで、ここをとらえてマスコミは「経団連が賃上げを容認」と書きたてたわけですね。で、不安材料をたくさん並べて、「だから賃上げは慎重に」と来るかと思ったら、「わが国の安定した成長を確保していくには、企業と家計を両輪とした経済構造を実現していく必要がある。」と来るからまことにわかりにくい。逆にいえば、ここが味のあるところということかもしれません。賃上げの話の中でこう書かれれば、当然賃上げを容認、というより推奨しているように読めるわけですが、いっぽうで読みようによってはだから実質的増税はやめろとか、建築基準法改正による着工遅れをなんとかしろとも読めるわけで、賃上げが難しいならこちらでなんとか、という意味にもとれます。賃上げができるならすればいいけれど、賃上げが困難な産業・企業から文句を言われるのも避けたい、という苦心の作なのでしょうか。
で、こう続きます。

 以上の三点を踏まえた上で、賃金をはじめとする総額人件費の決定に際しては、引き続き自社の支払能力を基準に考えていかなければならない。ここでいう支払能力とは、労働や資本によって生み出される付加価値額のことである。
 総額人件費の増加額は、あくまで自社の付加価値額の増加額の範囲内で、利払い費、配当、内部留保なども考慮し、個別企業ごとの交渉で決定すべきである。恒常的な生産性の向上に裏付けられた付加価値額の増加額の一部は、人材確保なども含め総額人件費改定の原資とする一方、需給の短期的な変動などによる一時的な業績改善は賞与・一時金に反映させることが基本である。また、個別企業の支払能力を無視して横並びで賃金を引き上げていく市場横断的なベースアップは、すでに過去のものとなっており、もはやありえないことは言うまでもない。なお、いかなる総額人件費の決定を行うかは、あくまで個別労使の協議によるが、全規模・全産業ベースでは増収増益基調にあるとはいえ、企業規模別・業種別・地域別に相当バラツキがみられる現状において、賃上げは困難と判断する企業数も少なくないと予測される。

ここでは支払能力論が展開されています。従来から経団連は、マクロでは生産性基準原理、ミクロでは支払能力という主張を繰り返してきましたが、その基本的な枠組みは変わっていないようです。また、賃上げには恒常的な生産性向上の裏付けが必要であり、短期的な業績変動は賞与に反映という考え方にも変化はなさそうです。市場横断的ベースアップに対する否定的見解も従来どおりで、横並びがありえない、ということでマクロの原理である生産性基準原理の役割を軽く見るようになってきているのかもしれません。
ただ、「恒常的な生産性の向上に裏付けられた付加価値額の増加額の一部は、人材確保なども含め総額人件費改定の原資とする」と、「総額人件費改定=ベア」に言及したところも、「賃上げ容認」という報道につながったのでしょう。ただ、これまでも経団連は景気の変動に応じてこうした表現の「出し入れ」をしていました。むしろ注目すべきなのは「人材確保なども含め」とわざわざ言及しているところで、その意味するところは必ずしも捉えやすくはないのですが、昨年の春闘で見られたような、総額人件費改定を必ずしも賃金に配分せず、育児支援や教育訓練に配分するといった動きを念頭に置いているのでしょうか。
で、結論はこうです。

 このような考え方に立てば、労使にとっての共通の課題は個々の企業の生産性の向上であることは明らかである。日本的経営の強みである労使の協力・信頼関係と円滑なコミュニケーションを活かした生産性向上策を導入することにより、総額人件費の原資となる付加価値額を高めていく努力が、労使双方に求められる。

まあ生産性運動を標榜する経団連とすれば当然の話といえば当然の話ですが、これもどちらかといえば賃上げに肯定的な記述と読めるのでしょう。マスコミの報じ方はかなり誇大な感じはしますが、今回の報告書は、従来の基本姿勢は堅持し、賃上げ困難な産業・企業への配慮も行いつつ、その上で賃上げできる企業はすればよいとの考え方をにじませたものといえそうです。