最賃引き上げの理屈は

週末の日経新聞から。

 厚生労働省は十三日、最低賃金引き上げの目安を決める中央最低賃金審議会柳沢伯夫厚労相の諮問機関)の初会合を開いた。厚労相は「成長力底上げ戦略」の円卓会議の要望を踏まえ、大幅な引き上げを要請。厚労省側が時給で十三―三十四円の幅で引き上げる内容の四つの考え方を示した。

 四案による上げ幅は十三―三十四円で、この範囲で上昇幅が決まる可能性が出てきた。この範囲なら二―五%の引き上げとなる。審議会の今野浩一郎会長(学習院大教授)は会合終了後、「厚労省の四案を重視する」との見解を示した。
 最低賃金を大幅に引き上げる考え方に対し、企業側は「中小企業の経営に打撃が大きく、倒産や廃業が相次ぎ、全体の七割を占める中小企業の社員の雇用が不安定になる」と猛反発。一方、労働者側は「清水の舞台から飛び降りたつもりで引き上げてほしい」などと発言し、最低でも五十円引き上げるよう要望。両者の意見の隔たりが改めて浮き彫りになった。
 今回、厚労省が四案を新たに提示したのは、最低賃金額を決める基準に「生活保護との整合性」を追加する最低賃金法の改正案が通常国会で継続審議となったため。最低賃金生活保護の支給水準を下回る東京や神奈川など十一都道府県では、「働く意欲をそぐ」状態となっているが、法律が成立せず引き上げの根拠が希薄になっていた。

厚生労働省が示した最低賃金引き上げに向けた4つの考え方
ケース1
▽正社員など「一般労働者」が受け取る所定内給与に対する最低賃金の比率(2006年度は37.2%)を過去最高の37.7%か、それを上回る38.2%に引き上げる
→13円または23円の最低賃金引き上げに
ケース2
最低賃金と、高卒初任給の平均の8割または小規模企業の女性の高卒初任給の一番低い水準との差を縮小する
→29円または34円の引き上げに
ケース3
▽小規模企業の一般労働者の賃金の中央値の半分の水準にする
→14円の引き上げに
ケース4
▽政府の労働生産性向上の目標(5年間で1.5倍)を達成すると仮定し、生産性向上の幅に合わせて引き上げる
→15円引き上げに
(平成19年7月14日付日本経済新聞朝刊から)

最賃法改正法案が成立しなかったので、厚労省としては臨時国会でこれを成立させるためには、この場面では最賃を上げるための別の理屈を捻り出さざるを得なかったということでしょうが、いささか苦し紛れという感は否めません。
ケース1からケース3のすべてにいえるのですが、そもそも最低賃金はほとんどあらゆる労働者にあまねく適用されるのですから、「正社員など『一般労働者』」を基準にするというのは筋が通らないように思います。「全労働者」を基準にするのが自然な考え方でありましょう。
また、ケース1の前半を除くと、「8割」とか「半分」とか、特に理屈も根拠もなく「気合」で決めたようなものが目立ちます。まあ、気合で決めざるを得ない場合は、それでコンセンサスが得られるならそれでいいじゃないかということもあるでしょうが…。
ケース4は一応根拠がありますし、現状の最賃を基準にしているところはケース1〜3よりはマシですが、政府の「1.5倍」という目標がこれまた「気合」(政府としては裏付けはあるという立場かもしれませんが)だというのがなんとも…orz
さて、それはそれとして「中小企業の経営に打撃が大きく、倒産や廃業が相次ぎ、全体の七割を占める中小企業の社員の雇用が不安定になる」というのもいささか大げさなような。もちろん、個別企業レベルでは事情はさまざまでしょうが、ごく大雑把な計算をしてみると、仮に労働側委員が言うように最賃を50円引き上げたとして、増額人件費への影響は70円〜80円といったところでしょうか。年間3000時間の長時間労働をしたとしても、1人あたり21万円〜24万円といったところです。これに対し、中小企業庁の「中小企業実態基本調査(平成17年調査結果(確報))」によれば、中小企業の従業者1人当たりの売上高は1,741万円となっています。最賃引き上げの対象となる人がどのくらいいるかにもよりますが、せいぜい影響は1%程度といったところでしょう。同じ調査によれば、中小企業の売上高経常利益率は0〜5%が最も多いということですから、たしかに打撃ではありましょうが、「倒産や廃業が相次ぎ」というのはやはりやや大仰なように思われます。民主党が言うように1,000円にでもすれば、さすがに影響が一人当たり100万円とかいう水準になる可能性もかなりありそうで、これは「倒産や廃業が相次ぎ」とならない保証はなさそうですが。
また、とりあえず輸入品との競争のない産業(サービス業とか)は、コストアップ分を価格転嫁してしまえば理屈上は問題ないはずです。1%の価格転嫁、たしかに難しいでしょうがまったく不可能でもないでしょう。もちろん物価上昇につながって国民経済的にどうかという問題はあるでしょうが、とりあえず最賃の上がり幅よりは物価の上がり幅は少ないはずで、これは収入の多い人から最賃で働く人への一種の再分配のようなものだと考えることもできそうです。ただ、ただでさえ高コストといわれている非国際競争産業の価格がさらに上がるとなると、他の産業の競争力を低下させるという悪影響は否定できないようにも思えますが…。また、すでに安価な輸入品とのギリギリの競争にさらされている産業・企業(売上高経常利益率が0%近傍の企業も多いと想像されます)にとっては、1%であっても当然ながらダメージは大きいでしょう。こうした分野では「倒産や廃業が相次ぎ」ということも一部で現実に発生するかもしれません。ただ、理屈をいえば、そういう産業は早晩海外に流出せざるを得ず、日本国内は高い最賃でも競争できるような高負荷価値産業に特化していくべきだ、といったような議論もみかけられるところではあります。本当にそううまくいくかどうか、誰も責任はとれないのではないかという気はしますが…。このあたりの議論はいろいろな意見がありそうです。