ベッカー「人的資本」(5)

清家先生の「やさしい経済学」、今日も全文引用してしまいましょう。

 前回見たように年功賃金、終身雇用といった日本的雇用制度の意味合いは、『人的資本』で説明できる。ところが、その日本的雇用制度が今揺らいでいる。とくに、その枠外にあるパートタイマー、契約社員派遣社員など非正規労働者が、一九九〇年代半ば以降大幅に増えている。
 この背景として、グローバルな競争激化に対応するためのコスト削減圧力や規制緩和の影響などが指摘される。期待成長率の低下や生産物需要変動の拡大は、企業にとって人的資本投資の収益率を低下させ収益回収の不確実性を高めたともいわれる。またIT(情報技術)化の進展などに伴い、企業にとって外注などに委ねやすい仕事の範囲が拡大したことも大きい。
 これを、『人的資本』の視点から見れば、企業内訓練で企業特殊的な能力を磨かせることの収益が低下した、ということになろう。このため、派遣労働者など派遣先企業にとって人的資本投資をしなくてもよい労働者が重宝されるようになる。長期の雇用を予定していないパートタイマーや契約社員を増やしているというのも、それだけ企業の費用負担で訓練を行う労働者の比率が小さくなっていることを示している。
 しかしこれは、個々の企業にとっては合理的でも、社会全体にとっては深刻な問題である。とくにこれからの人口減少社会で経済成長を維持しようとすれば、非正規労働者も含め労働者一人ひとりの生産能力を高めることが不可欠になるからだ。
 そこで企業が負担しないのならば、労働者個人が人的資本投資の費用を負担しなければならない、ということになる。『人的資本』の枠組みでいえば、どこの企業でも役立つような一般的生産能力を磨くための投資パターンである。しかしフリーターなどの場合を考えると、彼らにその投資費用を負担させるのは酷であろう。彼らが非正規労働者になったのは就職時期が経済の低迷期にあたってしまったという事情もあるからだ。
 そこで個人に代わり、社会全体が人的資本投資の費用を負担する枠組みが必要となる。具体的には、生産能力を高める教育・訓練プログラムを政府などが企業外に整備することなどが考えられる。もっとも、生産能力の多くは企業内の職場訓練で身につくものだ。その場合、訓練費用の分だけ安い賃金で働くことになる労働者に賃金を補てんしたり、助成金のかたちで訓練費用を直接企業に支払うといったことも有効だろう。
(平成19年5月30日付日本経済新聞朝刊「やさしい経済学」から)

非常にわかりやすい説明ですが、企業組織の拡大が止まったことも大きな要素ではなかったかと思います。日本企業の長期雇用比率の高さは、長期雇用のキャリアの一環として最初は未熟練労働を担わせることが、企業組織が拡大を続けている状況下では可能だったということによる部分は大きいのではないでしょうか。