ベッカー「人的資本」(3)

というわけで清家先生のベッカー「人的資本」。今回は全文引用してしまいましょう。

 企業内で行われる訓練費用はすべて企業の負担によるものではないか、と思われるかもしれない。しかし『人的資本』は必ずしもそうではないことを教えてくれる。企業内での訓練でも、それによって高められる生産能力が、どこの企業でも役に立つような種類のものであれば、企業はその費用を負担する動機を持たないからである。
 訓練後に、それによって高まった個人の生産能力よりも低い賃金を支払うことで、その差額としての収益を企業は回収する。しかしどこの企業でも生産能力が高まるのなら、個人は他社に転職してその能力を活(い)かせる。そして他社は、投資費用を負担していないのだから、高まった生産能力に等しい賃金を払うことも可能であり、その個人を引き抜くのは容易である。そうなれば費用を負担した企業は丸損となるから、そんな投資は行われない。
 そうした種類の訓練の費用は個人が負担しなければならない。個人が訓練に要する直接費用プラス機会費用(前回参照)の合計額分だけ安い賃金で働く場合だ。個人は訓練終了後に高まった生産能力に見合う賃金を受け取る形で投資収益を回収する。
 では、企業側が投資費用を負担しなければならないのはどんな場合か。それは企業内訓練が、その企業で他社よりももっと大きく生産能力を高めるような場合で、これを企業特殊的訓練(specific training)とよぶ。ベッカーはそれで高まるものを企業特殊的な生産能力とし、どこの企業でも生産能力を高めるような一般的訓練(general training)から得られる能力(一般的生産能力)と区別した。仮にそれが完全に企業特殊的ならば、訓練を受けた個人はそれを売り物に他社で高い賃金を得ることはできないから、投資費用をすべて企業が負担してくれない限り、進んで訓練を受けないだろう。
 企業は訓練期間中、訓練を受けている個人がそれを受けていなければ実現できたはずの(その時点での)生産能力にきっちり見合う賃金を払わなければならない。その賃金と訓練中の低い生産水準との差である機会費用と、直接費用の合計を企業は投資費用として負担することになる。
 もちろん生産能力で完全に企業特殊的というものは少なく、多くはかなりの程度一般性を持っている。企業と個人はともに企業内訓練から収益を得る場合の方が多い。費用と収益は、高まる生産能力の企業特殊性の程度に応じて、労使が分けることになる。
(平成19年5月28日付日本経済新聞朝刊「やさしい経済学」から)

…と、いうことです。