耕せど耕せど感情論

(耕論)最低賃金の役割は

 ◆アップさせ、労働意欲高めよ 同志社大教授・橘木俊詔さん

 働いた人に一定額以上の賃金を支払い、憲法で定められた「文化的な最低限度の生活」を保障することが、最低賃金法成立の精神だ。
 しかし、現実はどうだろうか。最低賃金の所得でフルタイムで働いても、月の手取り額は10万円程度。それだけで暮らしていくのが不可能に近いことは、各地の労働組合が取り組んだ「生活体験」の結果でも示されている。
 人が最低限生きていけるだけの生活費を保障する生活保護制度と比較しても、最低賃金がいかに低いレベルかがわかる。生活保護支給額はさまざまな要因が絡むため厳密な比較はできないが、東京、神戸など4都市の標準世帯を対象に試算したところ、最低賃金額は、住宅扶助を含めた生活保護支給額と比べ、月4万〜5万円も下回っている。生活保護を受けている人は働いていない人が多く、働いている人の受取額の方が低いことは、勤労意欲やモラルの面でもマイナスである。
 さらに問題なのは、最低賃金以下の賃金しか受け取っていない労働者がかなり存在することだ。従業員10人規模以上の企業を対象にした私の推計では、女性のパートと若者のうち、1割以上が最低賃金以下で働いている。
 そもそも日本の最低賃金は、主要先進国の中で相当低い位置にあるといえる。日本の時給が673円に対し、フランスや英国は1千円を超え、日本より低かった米国でも800円台へと大幅に引き上げられる見通しだ。
 こうしたいくつかの点を検証すると、日本の最低賃金制度は、いかに貧弱で、機能していないかがわかる。
 日本の最低賃金が低かったのは、最低賃金に近い水準で働く人の大半が女性のパートと若者で、こうした人たちは夫や親の所得があるので、賃金が低くても生活に困らないだろうとみなされてきたからだ。だが、未婚率や離婚率の上昇で、本人の賃金だけで食べていかざるを得ない人が増え、最低賃金のアップは生活を維持するための重要な公共政策になってきた。
 今回、改正案に「生活保護との整合性に配慮する」と盛り込まれた点は評価したい。改正法が成立すれば、最低賃金を相当程度アップさせなければならない「縛り」になることが期待できるからだ。
 最低賃金の決定はこれまで、数円レベルの額を引き上げる攻防に終始してきた。企業の支払い能力を考慮することが法に盛り込まれているため、企業への配慮が強く働き過ぎてきたといえる。
 企業側は「最低賃金のアップは、逆に雇用の削減につながりかねない」と負の側面があることを強調するが、私のこれまでの研究データでは、そのような傾向は一般的に見られない。賃金の引き上げはむしろ、労働意欲を高めて生産性が上がったり、消費が伸びて景気にプラスになったりという効果があるはずだ。
 中小企業の支払い能力に限界があることはわかる。大企業や親企業が、下請けにも景気回復の恩恵が及ぶよう、コスト面などでもっと配慮すべきだ。また、正社員の賃金を過剰な労働時間の緩和とセットで下げ、企業が賃金のより低い非正規雇用の人たちに配分するなど、どのような方策が可能か、労使双方が知恵を絞るべきではないか。法の精神を生かすには、こうした関係者の意識改革が欠かせない。(聞き手・深津弘)

 ◆人らしく暮らせる仕組みを 派遣ユニオン書記長・関根秀一郎さん

 私は昨年、大手の派遣会社に登録して、1日だけの派遣である「スポット派遣」を経験した。選んだ仕事は「8時間で6784円(時給848円)」という倉庫内作業。始業は午前9時なのに、午前7時20分に指定された駅への集合を命じられ、仕事を終えて同じ駅の近くで解放されたのは午後7時10分だった。
 拘束された11時間50分で割ると、時給は最低賃金を下回る約573円。給与明細は「定時賃金5784円」「交通費1千円」と分けられ、定時賃金だけで計算すれば時給はさらに下がる。しかも、手取りからは「データ装備費」の名目で200円が引かれていた。会社が個人情報を管理する経費なのだという。
 スポット派遣や短期の有期雇用が横行する中で、最低賃金スレスレか、最低賃金を下回る金額で働くワーキングプアが増えている。定住場所もなく、友人宅やネットカフェを転々とする人も多い。
 私たちが開設している「派遣・偽装請負ホットライン」でも、「埼玉県内のクリーニング店で働いているが、最低賃金を下回る650円の時給しか払ってくれない」「24時間拘束され、うち17時間働く形で10年間働いてきたが、15時間分の賃金しかもらえず、文句を言うと解雇された」といった訴えが後を絶たない。
 いまの最低賃金法は、労働者の生活を守っているだろうか。労働基準法では、労働条件の原則を「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの」とうたうが、人らしく生活するには最低賃金の額はあまりに低く、雇われる側の立場は弱い。
 いまは、最低賃金違反を訴え出れば、次の仕事の紹介や、雇用契約の更新は期待できなくなる。多くはギリギリの生活をしているので、たちまち生活苦だ。少なくとも、最低賃金を独立して生活できる水準に引き上げ、訴えても簡単に解雇できない仕組みを作るのが当然ではないか。
 残念なことに、最低賃金法の改正案はワーキングプアの救いとはならない。生活保護との整合性に配慮するとの文言を加えても、都道府県単位で決められ、すべての労働者に適用される地域別最低賃金を引き上げる保証にはならないからだ。罰金額を引き上げても、労働基準監督官の数が少なく、めったに摘発されないことを知っている確信犯の企業にとっては痛くもかゆくもない。
 一方で、特定の業種で働く労働者を対象にした、地域別よりも高額の産業別最低賃金は、罰則が適用されなくなって従来の強制力が失われる。非正規雇用の賃金水準を高めるには、企業の枠を超えた「同一労働・同一賃金」を進める必要があるが、その点では、今回の改正はむしろマイナスに働くだろう。
 求められているのは、最低賃金法違反などがわかった場合、その労働者は自動的に期間の定めのない雇用とみなす、といった法的な保護だ。そうでなければ、職を失う心配をせずに違法行為を訴え出ることはできない。同時に、監督官も増やす必要がある。
 より長期的には、空洞化している職業安定法の「労働者供給事業の禁止」規定の運用を厳格化するか、派遣できる業務を限定すべきだ。使用者と労働者の間に入って中間マージンを得る存在がなくなれば、労働者の手元にわたる賃金は、今よりは増えるはずだからだ。(聞き手・林恒樹)

 ◆引き上げ、雇用減のおそれも 日商の労働小委委員長代理・池田朝彦さん

 最低賃金の引き上げには反対だ。上げたくても上げられない地域や業種があるのだから、一律に引き上げるべきではない。賃金は、労使が相談し、各企業が支払い能力に応じて決めるもの。支払い能力があるなら上げればいいが、景気回復を実感できない地域や中小企業も多く、賃金の引き上げは厳しい。
 全国の商工会議所の会員は中小企業が大多数で、日本商工会議所日商)としても、政府などに「地域別最低賃金の水準は、引き下げを含め慎重に検討を」と要望している。
 賃金は、地域や業種によって二極化している。たとえば、浜松市の自動車関連企業は求人が多く、賃金を上げても必要人数を採れない。外国人を雇って長時間操業しても、納期に間に合わないこともある。東京都でもアルバイトが集まらず、賃金は上がっている。東京都の最低賃金は719円だが、実際は最低800円ほどで、業種により1千円を超すと聞いている。
 一方、新潟県燕市では洋食器メーカーの下請け企業が人件費に今以上のコストをかけられず苦しんでいる。賃金が20分の1の中国が競争相手で、原料価格も高騰、人件費を抑えないと元請けの要望に沿って製造できないからだ。
 民主党最低賃金を1千円に引き上げるよう主張しているが、もし大幅に引き上げられたら、余裕のない企業は2人雇っているのを1人にするなど、雇用に悪影響を与えかねない。大企業は賃金の安い海外にさらに出て行くかもしれないが、海外移転ができない下請けや中小企業は賃金引き上げには耐えられない。
 最低賃金に該当するのは、アルバイトやパートとして働いている人が多いのではないか。自分の賃金だけで生活するのではなく、夫の収入がある妻が生活費の補助として、あるいは親に扶養されている学生が小遣い稼ぎに働くといったケースが多いと考えられる。「好きな時間に、好きな仕事をしたい」という人も多く、正社員の仕事とは違う。
 「生活保護の支給額以下で暮らしているワーキングプアを救済するためにも最低賃金を引き上げよ」という主張があるが、疑問だ。なぜワーキングプアになるのか、働く意欲や能力に問題がないのか、支援が必要な家族がいるかなど実態と原因を調べ、引き上げとは別に国が対策を講ずる必要があるのではないか。
 また「最低賃金を引き上げて労働者の収入を増やせば、消費が増えて景気が良くなり、中小企業の経営にもプラス」という意見もあるが、これも疑問だ。最低賃金の1・1倍未満の賃金で働く労働者は約122万人いるが、全体からみれば約4%。底上げしても、すぐに消費の増加につながるとは思えない。
 たとえば、最低賃金を700円から1千円に約4割アップしたら、もっと賃金が高い従業員も「給料を上げろ」と求め、日本中の企業の賃金が急上昇し、企業経営が成り立たなくなるのではないか。
 全国の企業数の99・7%、従業員数の約7割は中小企業が占めている。大企業が中小企業にしわ寄せをせず、下請けの賃金上昇をコストとして吸収してくれなければ、日本経済の活性化は難しい。
 地域間格差の問題も重要だ。幹線道路など、不公平な部分を是正し、地域経済が良くなる環境を整えることが、日本全体を豊かにすると考える。(聞き手・増田洋一)
(平成19年4月15日付朝日新聞朝刊から)

ツッコミ所満載でとても一言ではコメントできませんが、最低賃金の引き上げはしょせんは「雇われて働いている人」たちの間での分配を変えるだけに過ぎないこと、失業者や自営業者は一切救済できないことなどの基本的理解を欠いた感情的議論に終始しているようにみえます。まあ、労組は組織している組合員さえよければいいのでしょうから、こんなもんかもしれませんが。
三者に共通しているのは「社会主義的」というところかもしれません。橘木氏はいわゆる「近経」の人のはずですが、これだけを読むととてもそうは思えませんし、日商にしても「幹線道路など、不公平な部分を是正」というのは痛すぎます。