ホワイトカラー・エグゼンプションに職務記述書は必要か

Q.個人の担当業務が不明確で、チームで仕事を行うことが多い日本企業では、労働者が労働時間について裁量を持つことは難しく、ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)はなじまないのではないでしょうか。

これもよく呈される疑問で、柳沢厚労相も「対象労働者の仕事内容を「職務記述書」などで明確化する」と発言したそうです(平成19年1月10日付朝日新聞夕刊)。
で、これは案外いろいろな論点がある問題です。まず、大雑把な業務分担のようなものすらない職場で、WEは時間外手当がつかないからどんどん仕事を増やしてしまえ、ということになって、際限のない長時間労働が起きるのではないか、という懸念です。これに関しては、以前も書きましたが、そもそも労働安全衛生法のキャップがありますし、今回のWEにはそれ以上の長時間労働抑止のしくみも織り込まれてはいますので、「際限ない長時間労働」という心配は不要と思われます。
その次の論点として、それでは法で規制されている限界までは仕事を押し込んでもいいのか、といえば、それも考えものだろうと思います。ですから、柳沢厚労相がいう「職務記述書」のような厳密・硬直的なものである必要はないでしょうが、ある程度は「業務分担」のようなものが決められている必要はあるだろうと思います。そこは労使委員会でしっかり確認されるよう、指針に明記するなどの施策は必要かもしれません。

  • ここでの「職務記述書」のイメージは、そこに自分の仕事として書かれていないことは一切やらない、逆に自分の仕事として書かれていることは自分が必ずやる、他人には絶対にやらせない、というものです。米国のジョブ・ディスクリプションはこれに近いのではないかと思います。「業務分担」というのはそこまで厳密ではなく、自分の仕事はこれ、と明確化されてはいるものの、忙しくなったり病気になったりしたら他の人に手伝ってもらうこともあるし、逆に他の人が忙しくて自分に余裕があれば手伝ったりすることもある、といったものをイメージしています。

いっぽうで、米国のようにジョブ・ディスクリプションがあって、その仕事さえすれば労働時間は完全に自分の裁量になる、そういう状況でなければWEは適用できない、という原理主義的な考え方も一部にはあるのかもしれません。実際、ワーク・ライフ・バランス(WLB)のためにWEを導入するとか、WEを導入すればWLBが実現できる、といった論法をとると、そういう議論になりかねません。
しかし、今回のWEは、以前のエントリにも書いたように、WLBのためが第一義ではありません。WEは、目先の賃金を時間割計算でたくさんもらいたいというのではなく、いい仕事をして認められ、能力を伸ばして、評価や昇進昇格などで報いられたい、そのためには賃金が時間割で増えなくてもかまわない、場合によっては将来違う形で見返りがあるなら今はタダでも働かせてほしい、という人のためのものです。そういう人は、それが評価などにつながるのであれば、多少労働時間が伸びても忙しい他人の仕事を手伝うことを厭うとも思えません。むしろ、他人の仕事を手伝うことは、新たな経験、新たな知識を得ることになるわけですから、積極的に取り組むことも考えられます。もちろん、ある程度ゆるやかなものであっても、業務分担が一応決まっていれば、それは「他人の仕事」なので、「ごめんなさい、今日は事情があって手伝えません」ということも可能でしょう。その程度の自由度があれば十分なのではないかと思います。
WEとは一応別問題として、柳沢厚労相は職務給がお好きらしく、「職務記述書」もその流れから出てきているという話も聞きます。とはいえ、賃金を職務に対して支払うのか、成果主義で成果に対して支払うのか、能力主義で能力に対して支払うのか、あるいは生計費にはどの程度配慮するのか、というのは各企業のポリシーや労使の意見によってさまざまではないでしょうか。WEにおいては、年収の水準は基準として重要ですが、それが何に対して支払われているのか、という問題については、「時間割計算ではない」「時間とは異なるものに対して支払うことが望ましい」というところでとどまるべきだと思います。