ところで、成果主義は本当に格差を拡大させるのか?

きのうの関連で、ちょっと議論の整理が必要かな、と思ったので。橘木先生は、成果主義が格差を拡大させることは自明であるとされているようです。

成果主義賃金が導入されれば、労働者間の賃金格差の拡大が生じます。したがって、成果主義賃金を導入する企業が増えれば、賃金格差が広がっていくことになります。現在の所得格差の拡大には、こうした要因も考えられます。

ちょっと待ってください。本当にそうなのでしょうか?
たしかに、成果主義というのは「差をつける」ということを重要なコンセプトにしています。であれば、格差が拡大するのが当然のように思えます。
しかし、いっぽうで成果主義は「脱年功」、すなわち「賃金カーブを寝かせる」という結果につながっています。賃金カーブを寝かせるということは、基本的には格差を縮小させるということです。18歳から60歳までの人が各年齢一人ずついる会社を考えてみればわかります。急勾配な右肩上がりの賃金プロファイルの「年功的」な会社にくらべて、よりフラットなプロファイルの「成果主義」の会社のほうが、格差は小さいでしょう。
もちろん、各年齢が一人ずつなどという会社はありえません。当然、同一年齢の人がたくさんいます。成果主義は賃金カーブを寝かせるとともに、同一年齢の人の間の格差を拡大させる結果となります(これは、たとえばこの本に具体例がのっています)。つまるところ、年齢間格差の縮小と、同一年齢内格差の拡大という二つの効果を総合してみないと、成果主義が格差を拡大させたかどうかはわからないことになります。
注意しなければいけないのは、多くの場合、賃金水準を比較する対象は、いわゆる「同期」をはじめとして、同じような年齢や位置づけの人だ、ということです。こういう見方をすれば、間違いなく成果主義は格差を拡大しているように見えるはずです。したがって、働く人の多くは、「成果主義で格差が拡大した」という「実感」を持つでしょう。しかし、会社全体をみてみれば、その「実感」ほどには格差は拡大していないことになります。
さらに、仮にそれでも企業内で格差が拡大したとしても、オールジャパンでみれば、賃金水準の異なる、きわめて多数の企業が存在します。これらがすべて成果主義を導入し、企業内格差を拡大させたとしても、日本全体では格差拡大が打ち消しあって、企業内の格差拡大ほどの格差拡大にはなっていないのではないでしょうか。
おそらくは、成果主義は格差を拡大させているかもしれません。しかし、その程度は、成果主義を導入した企業で働く人が感じているのに比べれば、はるかに限定的なものではないかと思います。少なくとも、経済学者である橘木氏が、成果主義が相当の効果をもって格差を拡大させているかのように無批判に書いているのは、いささか軽率のそしりを免れないのではないかと思います。それとも、私がなにか勘違いをしているのでしょうか?