企業実務家からみた労働契約法の必要性(1)

またしてもブログがたくさんたまってしまったので、回数を稼げるネタでいきます(笑)。「季刊労働法」の前号(本年3月15日号)に寄稿した労働契約法制の論文を、分割・連載してご紹介していきます。まずはイントロの部分から。

季刊 労働法 2006年 04月号

季刊 労働法 2006年 04月号


企業実務家からみた労働契約法の必要性*1

 Ⅰ はじめに

 本稿では、民間企業における人事労務管理の実務の立場から、労働契約法の必要性およびその内容について、おもに2005年9月15日に発表された「労働契約法制の在り方に関する研究会報告書」(以下「研究会報告」と記述する)に基づいて検討を加えていきたい。法理論上の検討を行うことは一介の実務家に過ぎない筆者の任の及ぶところではないため、もっぱら実務的な観点から考察を進める*2

 Ⅱ 労働契約法の必要性

 (1) 使用者団体の見解

 まず、民間企業の労働契約法の必要性に対するスタンスを確認しておこう。(社)日本経済団体連合会日本経団連)経営労働政策委員会は例年報告書(経労委報告)を発表し、春季労使交渉に対する基本的な考え方をはじめとして、労働政策に関する見解を表明しているが、その2005年版、2006年版には労働契約法に対する言及もみられる。
具体的には、2005年版では「現在、労働契約法制の検討が厚生労働省で進められているが、これが仮に単なる法律による規制の追加に終わるのであるならば制定の意味は乏しい。たとえ違反に罰則がともなわないものであっても、法律による規制の追加は労使自治規制緩和の動きに逆行する。労働契約法制は、労使の自主的な決定と契約自由の原則を最大限に尊重しつつ、工場法の時代の遺制を引きずる労働基準法などの関係法令を、今日の環境にふさわしいものに抜本的に改革する実りの多いものとなることを強く期待したい。*3」、2006年版では「新たな契約法制は、労使の自主的な労働条件などの決定と契約自由の原則を最大限に尊重することを基本に、個別労働紛争の事前防止や紛争が起きたときの解決の迅速化に役立つものでなければならない。そのためには、労働条件の明確化や紛争解決基準のルール化が必要であり、また中小零細企業を含む企業の多くが円滑に遵守できるものであることが求められる。*4」と記述されている。
 また、日本経団連労働法規委員会労働法専門部会は、平成17年10月13日に「労働契約法制に対する使用者側の基本的考え方」を発表しており、それには、あるべき労働契約法制について「労働契約法制は、(1)雇用の多様化などによる個別的労働紛争の増加を防止するべく、労働条件を労使に明確に示すようなものであること(労働条件の明確化)、(2)紛争が起きたときにどのように解決するかという解決基準のル−ルを定めたものであること、(3)以上のル−ルは労使自治を基本とすることから補充規定、任意規定であること、(4)中小零細企業を含めた日本の企業の多くが円滑に遵守できるようなものであること(複雑な手続規定等は設けないこと)が必要である。以上のような一般民事法としての労働契約法制は、これを否定するものではない。」との記述がある。
これらはおおむね、日本経団連の会員企業、およびその傘下の業種別・都道府県別使用者団体の会員企業の考え方を反映したものと考えられよう*5 。必ずしも労働契約法に否定的ではなく、その目的と内容によっては積極的に評価しようとの姿勢がうかがえる。

 (2) 企業の求める労働契約法の理念

 これら日本経団連の意見では、「労使の自主的な(労働条件などの)決定」と「契約自由の原則」が繰り返されている。日本経団連は従来から、企業のニーズも、働く人の意識も多様化するなかでは、多様化する個人が多様な働き方を選択できることが望ましいとのスタンスであり*6、そのためには労働基準法などによる一律的な規制、最低基準の一律な切り上げや労働契約の画一化によって労働条件の改善をはかろうという考え方は実態に合わなくなっている*7と主張してきている。現行労働法の実態に合わない部分をあらため、労使が対等な立場で現場の実態に即した多様な労働契約の自主的に締結することを中心とした新たな法制度を導入することにより、労使双方にとって最適に近い労働契約を実現し、ともにそのメリットを享受するという、Win-Win関係を構築することをめざそうという考え方であろう。
 個別労使紛争の防止、解決の迅速化という観点も強調されている。いかにWin-Win関係の構築をはかるとはいっても、労働契約が多様化することが紛争の増加につながりやすいことは想像に難くない。平成18年4月には労働審判制度の開始が予定されており、解決の迅速化に貢献することが期待されているが、紛争は予防するにこしたことはない。労使自治・契約自由をよりよく実現するためには、紛争の予防と適切な解決をはかるルールは不可欠であろう。
こうした考え方に立てば、労働契約法においては、一律・画一的な規制ではなく、労使自治と多様性が重視されなければならない。強行規定ではなく任意規定を原則とし、労使の対等性の確保に関する簡素な手続規制のもとに、労使の良好なコミュニケーションを促進し、それを通じて法の目的が達成されることを支援する法制とすることが望ましい。契約自由の原則のもとに、実体規制は必要最小限にとどめ、労使が多様な選択肢を持つことができる法制とすることが求められる。
 また、紛争予防という観点からは、契約内容を明確化することと、紛争が発生した際の解決について予測可能性を高めることが求められよう。労働契約法は、契約内容の明確化を促進するとともに、それ自体明確で、予測可能性の高いルールであることが望ましい。実務的観点からは、手続規制においていわゆる「セーフ・ハーバー・ルール*8」を設定することが非常に効果的と思われる。また、紛争の迅速かつ適切な解決のため、多様な解決方法が準備されるべきだろう。
もちろん、労使間には交渉力格差や情報の非対称性が存在することから、対等性の確保や適正な手続、契約内容の履行、迅速な救済等に実効性を確保するためには一定の強行法規、実体規制も必要となるものと思われる。しかし、それは必要最低限にとどめ、また明確かつ透明な基準を設定して、行政の恣意的判断が入り込みにくい法制とする必要があろう。こうした労働契約法であれば、企業はその必要性を積極的に認めるものと思われ、そこに企業実務家からみた労働契約法の必要性があると考えられる。

*1:本稿はすべて筆者の個人的見解であり、筆者の所属する会社、および関係する団体などの公式見解ではない。

*2:本稿は、筆者個人の勤務先における実務経験、および日本経済団体連合会の活動などを通じての見聞に多くを依っている。そのため、学術的評価に耐えない部分が多いことを了解されたい。

*3:日本経済団体連合会経営労働政策委員会(2004)『2005年版経営労働政策委員会報告−労使はいまこそさらなる改革を進めよう』日本経団連出版、pp.51-52。

*4:同(2005)『2006年版経営労働政策委員会報告−経営者よ 正しく 強かれ』日本経団連出版、pp.49-50。

*5:これに対し、労働政策審議会労働条件分科会の中小企業団体推薦委員は、平成17年10月21日に開催された同分科会に提出した資料において「労働契約に関するルールを整備する場合は、必ずしも新法による必要はなく、法制化を前提とすべきではない。」としており、労働契約法に対して日本経団連より否定的な見解を表明している。

*6:例えば、日本経済団体連合会(2003)『活力と魅力溢れる日本をめざして−日本経済団体連合会新ビジョン』日本経団連出版、pp.59-60,71-72。

*7:法規制とは別に、人事労務管理の一般論としては、労使関係の安定や従業員の動機づけといった観点からさまざまな労働条件の改善が労使交渉などのプロセスを経て検討されよう。

*8:セーフ・ハーバー・ルールとは、当該ルールに従わなくても直ちに違法となるものではないものの、そのルールに従って行動する限り、法令違反を問われることがないという効果を明確化するものとされており、金融取引の法規制などで活用されているという。例えば、金融庁の「新しい金融の流れに関する懇談会」の「論点整理」(平成10年6月10日)を参照。