労組再生に使用者の視点を

労務屋ホームページに、労働政策研究・研修機構発行の「ビジネス・レーバー・トレンド10月号に掲載された、「労組再生に使用者の視点を」というエッセイをアップロードしました。ここにもテキストだけ載せておきます。
いかに遠回りにみえても、結局は現実的な道が近道、という考え方なのですが、「それではなにも変わるわけがない!」とか決め付けている人とか、こういう考え方が理屈抜きで受け入れられない人もいるでしょう。まあ、編集部の私への期待もこういうことでしょうから、考えたとおりを書いてみました。


 「労組再生に使用者の視点を」

 10年ほど前、あるグループ労連の専従者から忘れられない話を聞いた。
「ある企業で経営者には知らせずに労組を結成し、設立大会で社内の人望の厚い人を執行委員長に選んで、いっしょに社長にあいさつに行った。社長は最初は驚いたが、最後には『自分はいままで、経営のことを本当に一人だけで悩み、苦しんできたが、これでいっしょに悩んでくれる人ができた』と言ってくれた」
 この話のなかには、労働組合再生のための大切なポイントがあるように思える。つまり、使用者が労働組合をどう考えているか、という視点だ。もちろん、使用者、経営者も多様だから、一律にはいえない。しかし、たとえば2002年7月に開催された全国労組生産性会議のシンポジウムで講演した奥田碩日本経団連会長は、「労組には引き続き生産性運動の良きパートナーであってほしい」と明言しているし、日本経団連が2003年1月に発表した新ビジョン『活力と魅力溢れる日本をめざして』の中では、「今日、組合員の組合活動への参画意識が低下しており、労働組合運動が内部から自壊する危機に瀕しているといっても過言ではない。労働組合は、経営側の幅広い提案を受け、多様化する職場の意見を集約し、それをもとに労使の話し合いによって解決し、実行に移していくという本来の役割に徹するべき」とまで述べられている。使用者は決して労働組合と敵対するばかりではなく、むしろその役割を前向きに評価し、現状への危機感と再生への期待を表明しているのだ。
 ところが、2003年の「連合評価委員会」の最終報告や、中村圭介・連合総研編(2005)『衰退か再生か:労働組合再活性化への道』(勁草書房)などをみると、こうした使用者の視点は欠落しがちなように思える。労使関係が労働者と使用者の関係である以上、こうした一面的な見方から導いた処方箋で労働組合の再生が果たせるとは考えにくい。
 使用者の観点をも踏まえた労働組合再生の戦略とはどのようなものか。かつては、労組の交渉力といえばなにより争議だったが、国内外での競争が激しい今日、民間労組にとってはこれが非常に抜きにくい「諸刃の剣」となっている。であれば、これに代わる交渉力を獲得しなければ労組の再生はない。すでに、生産性運動を深化させてきた民間労組の中には、使用者との協力関係、信頼関係を強固なものとして、労組が企業経営に不可欠な存在となることにより、健全な緊張関係を維持しつつ交渉力を高めることに成功している例があるが、これが基本戦略となりうるのではないか。理解に欠ける経営者もいるだろうが、労組の存在が経営者にとってもメリットとなることを納得させるのだ。そのためには、単なる労働条件改善の要求や権利の主張だけではなく、企業の利益と、これら要求や権利の実現とを両立するための方策を経営者とともに考え、主体的に実行していくという姿勢が必要だろう。目新しい話ではなく、従来から取り組まれてきた生産性運動と同じかもしれない。
 この戦略のもとでは、再生への処方箋はかなり異なるものとなる。第一に、組織は企業別労組が望ましい。使用者の観点からは、経営に対し無責任な部外者が介入する一般労組への加入と、経営に対し一定の責任ある態度が期待できる企業別労組の結成とはまったく意味が異なる。信頼関係の構築においても、交渉力の発揮においてもどちらが有利かは自明だ。
 第二に、正社員の組織化が優先される。もちろん、非正社員の組織化も重要であり、あわせて取り組む必要があろう。しかし、産業・企業にもよるが企業活動への関与は正社員のほうがかなり強いから、交渉力強化にはつながりやすいし、結局は非正社員の労働条件改善などにも近道だろう。パートタイマーの組織率が高い労組ではフルタイマーの組織率もまた高いし、日本全体をみれば非正社員の非組合員より正社員の非組合員のほうがはるかに多い。
 第三に、組合員の参画を高めることが決定的に重要となるだろう。執行部がいかに熱意をもって活動しようとも、組合員が主体的に参加していなければ交渉力には限界があろう。そのためには、ある程度活動の範囲や内容の見直しも必要ではなかろうか。たとえば、労組が行う平和活動に組合員は主体的に参画しているだろうか。あるいは、ナショナルセンターの法制化活動も重要だろうが、やりすぎると「法律ができるから組合員はなにもしなくてもいい」といった参画意識の低下につながるかもしれない。
 労組関係者からみれば、これは「余計なお世話」以外のなにものでもないことは承知している。しかし、立場は違えど、労組の再生を信じる一個人としてあえて申し上げた。労組の一段の取り組みに心から期待したい。(本稿はすべて筆者の個人的見解であり、筆者の所属する企業、関係する団体などの公式見解ではない)