駒大苫小牧事件と人事管理

高校野球の全国大会で優勝した駒大苫小牧高校で暴力事件が発覚し、世間を騒がせています。報告が遅れるうちに全国大会で優勝してしまったということで騒ぎが大きくなっているわけですが、ことこの手の問題については世間には「優勝したのだから」という特別扱いはなかなか容認されにくい風土があるように思われますので、おそらくは処分についてはルールに基づいて淡々とやるしかないのでしょう。ちなみにルールは「大会参加資格規定に抵触したチームが試合後に判明した際には、そのチームの勝利を取り消す」ということのようです。
このようなルールのあり方、どこまで連帯責任を負わせるべきなのか、といったことについても大いに議論があるところでしょうが、労務屋としては、この部員、家族が内部告発に踏み切った経緯にいちばん関心があります。あってはならないこととはいえ、高校の運動部では「鉄拳制裁」は決して珍しくないでしょうし、おそらくは多くのケースは発覚することもなく過ぎているのでしょう。それが今回はなぜ告発が行われたのか、労務管理にも通じる問題だと思います。


報道などから事実関係をまとめるとこんな感じでしょうか。

  • 6月2日、駒大苫小牧高の野球部長が、「練習態度が悪い」などとして3年生部員に暴行を加えた(その程度については両者の主張に相違がある)。
  • 同部員は保護者に暴行の事実を訴えたが、「我慢したい」とのことでこの時点では告発には至らなかった。
  • 7月、同校は予選を勝ち抜いて全国大会出場を決める。
  • 8月7日、野球部長が再度同部員に暴行。翌日、同部員の保護者から学校に暴行があったと連絡。同校はこの時点では高野連に報告せず(その経緯については両者の主張に相違がある)。
  • 8月20日、同校野球部が全国優勝。
  • 8月22日、同校は不祥事を公表。

もちろん、暴力行為は論外の不祥事ですし、それを告発したことは勇気ある正当な行為と評価すべきでしょう。実際、この告発によって本人や家族はマスコミの寵児にはなりましたが、学校内や地域社会においてはおそらくは白眼視され、さまざまな不利益を受けることになるでしょう(こうした周囲の態度は理屈上は不当でしょうが、情においてはむしろ自然かもしれません)。さらに、チームメイトが精進と健闘のすえに獲得した勝利、名誉が取り消されたり、後輩たちは当分の間公式試合に出場する機会を失うことになったりする可能性も高いわけで、周囲に与える影響は甚大なものがあります。指導者による暴力の排除という正義を実現するために、これだけの犠牲を払うわけですから、まことに並々ならぬ熱意にもとづく行動といえましょう。

  • 以下の記述は、今回のケースがそうだろう、という推測ではなく、「場合によってはそういう可能性もある」のだから、一般論として人事管理上留意すべき点の教訓を得ることを趣旨とするものです。誤解を招かぬよう為念注記しておきます。

私は暴力行為を容認する考えは一切ありませんし、本人や家族の行動を批判・非難するつもりも全くありませんが、しかしこれらの行動を促した熱意が「正義への勇気」だけであったとはちょっと思えません。
実際、正義のために告発するのなら6月に暴行された時点でするのが自然であり、それにより地方大会、ひいては全国大会への出場機会は失われたでしょうが、騒ぎははるかに小さかったでしょうし、本人や保護者が白眼視される程度も軽度ですんだはずです。ところが、その時点では「我慢したい」という判断が働いていました。
それが結局告発に至ったのは、2回めの暴行が引き金になったということもあるでしょうが、ほかの要素も大きかったのではないかと想像します。報道によれば、「この部員は甲子園では登録されておらず、ベンチ入りもしていない。」ということです。誰がベンチ入りするかの判断がいつ行われたのかはわかりませんが、一般的には地区予選と全国大会とではベンチ入りの人数が異なるケースがあるため、最終決定は地区予選終了後だといいます。少なくとも、最初の暴行を受けた時点、地区予選が始まる前の6月2日の時点で決まっていたとは思えませんから、その時点では本人にも全国大会出場のチャンスがあったことになります。そのチャンスがあればこそ、暴行も「ありがちな鉄拳制裁」として我慢しようと考えたとすれば、いたって自然なことです。ベンチ入りはできなかったにしても、チームと同行して甲子園には来ていたのですから、それなりにチャンスはあった選手なのだろうと思います。ところが、残念ながらベンチ入りの選に洩れ、3年生ですから全国大会出場の機会は完全に消滅して、その点においては「失うものがなくなった」ことになり、2度めの暴行が告発に直結することになったのではないでしょうか。さらに、「あれだけ殴られても我慢してきたのに」「自分は技術的に劣るからではなく、部長に疎まれて外された」と考えたとしたら、それも情においてはまことに自然なことであり、これも告発を後押しする要因になるでしょう。
いずれにしても、この状態では「チームに貢献する」という気持ちではなくなってしまう危険性が高いでしょうし、むしろチームの活躍を不快に思うようになっていても不思議ではありません(このケースがそうだというわけではありません)。となると、結果として優勝し、暴行を加えた部長が「連覇に導いた名部長」として賞賛されることはおよそ許せないでしょうし、チームメイトも後輩も自分のように不幸になればいいんだ、といった心境にまでエスカレートしてしまう危険性すらあります(今回がそうかもしれないということではなく、可能性としての話です)。
こう考えると、これは企業の労務管理に対してもいろいろと教訓を含んだ事例のように思います。とにかくこの野球部長なる人のマネジメントは、人事管理的にはまことに拙劣としか言いようがなく、これではこうした事態に立ち至るのも自業自得と考えざるを得ません。
たとえば、「鉄拳制裁」も方便としてはあるのかもしれませんが、やはりそういう過激な手段をとる以上は、それだけの期待をかけている人に、それなりの納得を得られるような配慮とともにやらなければならないのは当然のことでしょう。殴る以上は試合に使う、俗にいう「心中する」くらいの覚悟は必要なわけで、単に態度が悪いことの見せしめで殴るというのは最悪です。人事管理でも、期待ゆえに、本人の奮起を促すためにその時は傷つくようなきつい叱り方をすることもあるかもしれませんが、その場合は後から十分手厚いフォローをしなければならないことは常識であり、それが万全にできない人は、そもそもそうした過激な方法をとるべきではないでしょう。
ところが、この部長はベンチから外しただけではなく、さらに再度の暴行を加えていたというのですからお話になりません。しかも、その直前には明徳義塾高校が不祥事で出場辞退を余儀なくされていたばかりなのですから、ささいな不祥事も出さないよう十分慎重に行動すべき状況だったわけで、そんな中で(誰に対してであれ、どんな程度であれ)選手に暴行に及ぶというのはまったくもって神経を疑います。同業他社が不祥事を起こして社会的非難を受けているときには、自社においても社員に通常以上に行動の規律を求めるのは、これまた人事管理の基本です。指導者自らそれができないなどというのは論外でしょう。
しかも、2回めに殴った理由というのがまたお粗末なもので、「スタミナ対策のためにご飯を3杯食べるよう指導していたのに、従わなかった」というのですからあきれます。練習などは一緒にやるとしても、試合に出ない選手にまで一律に「スタミナ対策」を強要することに意味があるとは思えませんし(まあ、これはそう考えるのは素人の浅はかさかもしれませんが)、そもそも試合に出る選手と出ない選手とではモチベーションもモラールも全く異なっているでしょうから、その違いには十分神経を使うべきところではないでしょうか。人事管理でいえば、有能で野心満々の部下も、先が見えて無難に過ごすことだけ考えている部下も同じように働かせ、同じように叱り飛ばすというのでは、およそマネジメントしているとはいえません。
そしてなにより、メンバーが組織(チーム)の目的を阻害するような行動に走りかねない、というリスクに対するセンスが全く感じられないのが最大の問題でしょう。いかに名門、強豪、全国大会出場で意気上がっているとはいえ、それだけで全員がフォア・ザ・チームで結束していると信じ込むのは、いかにも楽観的に過ぎるでしょう。チームが高いレベルに達するほどに、内部で相対的に不遇な人は内心に葛藤を抱えていることがあるものです。組織の目標が高度になればなるほど、そうした部分への目配りも大切になってくるはずです。もちろん、優れたマネジメントによって全員一丸になっているケースも多いでしょうが。
いろいろ書きましたが、いずれにしても全国大会を連覇したのですから、野球部長として優れた人物であることも間違いないのだろうと思います。今回の不祥事は、おそらくはこの野球部長の最も不得手な部分が顕在化してしまったということなのでしょう。だとすると、こうした「不得手な部分」をカバーする人材がなかったことが残念です。優れた指導者の力を万全に発揮するには、不得手な分野を補う人材を配置し、コミュニケーションを良くしておくことが重要だということも、今回のケースの教訓といえそうです。