中国出張に持っていった本です。実は別の本を買うつもりだったのですが、隣に積んであったこの本の方が面白そうに思えて、ついつい予定変更してしまいました。
- 作者: 高田里惠子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/06/06
- メディア: 新書
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著者はこの本について「読んで『いやーな気持ち』になる本」と述べていますが、そんなに「いやーな気持ち」になるでしょうか?私は別に著者の所論に不快感は覚えませんでしたし、多々引用・紹介されている「いやったらしい」独善的言説についても、笑いこそすれさほど不快には感じませんでした。ということは、やはり私は著者の意図を理解していないのでしょうか?私には、読んで「いやーな気持ち」になる本というよりは、著者が書きながらいやーな気持ちになっている本という印象なのですが・・・。
教養論は私はド素人ですし、内容を論ずるのはとてもとても荷が重いので手を出しません。ひとつだけ備忘録的に抜き書きしておきます。
…戸坂潤は「結婚難ということがやかましくなり、重大な社会問題になって来たのは、大正の末期からであるように思う」と言う。しかし「極度に貧困な男や、色々の階級の売女達は、昔から結婚難」という差別を受けてきたのだから、いままで恵まれていた中間層の若者たちがこの不幸に襲われてはじめて注目されてきたにすぎない、と(「現代青年子女の結婚難」)。そして戸坂は、巷で言われている、「女学生教育が普及したため」とか「職業婦人という独立な生活の自由を失うのが嫌だ」からという理由を退け、「一番間違いのない処は、結婚難が大部分男の就職難に原因しているということだ(傍点=下線で表記=原文)と述べる。「之を男の意気地なしと云おうと、女の贅沢と云おうと、女の理想が高すぎると云おうも、我儘と云おうと勝手だが、とに角若い男女の欲望や愛情の如何に関らず、社会の経済関係がそうなって来ているのだから、仕方がない」。
現在の非婚化現象にも通用するこの言葉が、1936年に出版された本のなかにあることは信じられないくらいだ。
(208-209頁)
たしかに信じられないくらいです。もっとも、当時も今も、これがそのまま通用した(する)のかは別問題でしょうが、それにしても、これだけ女性をめぐる環境が変わったといわれ、この間それに関する運動に多大なエネルギーが注がれてきたにもかかわらず、実は70年前からこうした社会構造がほぼ変わっていないらしいというのは驚くべきことのように思えます。