きのうの続き

昨日のエントリに、たくさんのコメントをいただきました。私なりの考えを−−まだかなり生煮えの議論なのですが−−もう少し敷衍してみたいと思います。
貧困が精神の荒廃をもたらすことは明らかだろうと思います。喰うのに困っているのに精神的に豊かだからかまわない、というのはよほど悟った人でなければ無理な話です。そこまで言えるのはたとえば宗教家であって、私は宗教のことはなにもわかりませんが、貧困の苦しみを精神面で救済するというのは、宗教の大きな機能なのかもしれない、という気もします。
それがだんだん豊かになってくると、ある段階から犯罪も戦争も少なくなってくるでしょう。さらにもっと豊かになって、親を大切にしなくても、子どもを育てなくても、人に迷惑をかけても(そして謝らなくても)、それなりに豊かな暮らしができる、「豊かないい国」になったというのが今の日本なのではないかと私は思うのです。
たとえば、政府の強い自粛要請にもかかわらずイラク渡航して人質になった人たちがいます。彼らは一般庶民の感覚からすれば大いに迷惑をかけているわけですが、しかしそれでも国が巨額の費用をかけて彼らを救出するわけです。ほとんどの国は同じ態度を取るでしょうが、実際に救出できる国は一握りの先進国だけでしょう。それだけ「豊かでいい国」だということです(ちなみに、誤解のないように一応申し上げておきますと、当時流行した「自己責任論」に関しては、私は彼らは自らの軽率な行動の結果犯罪の被害にあったわけで、それで十分責任を取らされて(まあ、事実上制裁されて、というくらいの意味です)いると思います。登山遭難者と違って、彼らは犯罪被害者なのですから、国が国費でそれを救済するのは当然と考えます)。
runbiniさんからは中国の反日行動についてもコメントをいただきましたが、私は中国のことは詳しくないのでよくはわからないのですが、少なくとも同じように歴史問題や領土問題を抱える韓国や台湾ではあそこまでの激しい抗議になっていないのは、やはり経済的な豊かさの水準の相違によるところが大きいのではないでしょうか。
宗教についても、そのごく限られた一面でしょうが、貧しさに耐えるための宗教というのは豊かになるにつれ不要になっているのではないでしょうか。
ですから、もちろんDVや尊属殺人はないほうがいいに決まってますし、子育てしたい人は子育てを楽しめるほうがいいに決まっているにしても、だから昔のように貧しくなろうとか、女性は家庭に入ろうとか、他人のことにどんどんおせっかいをさせようというのがうまくいくわけはないだろう、と私は思います。いまの「豊かさ」に弊害があることは間違いないとしても、だからそれを後退させることはできないでしょう。いまの豊かさを失わずに、さらに弊害も解決する(精神的に豊かになる、ということに近いのだろうと思います)というのは、かなり難しい問題でしょうが、しかしそれを考えていかなければならないのでしょう。

  • 誤解のないように追記しておきますが、この「豊かさ」というのは基本的に社会全体としての「豊かさ」であって、個人やセクターのレベルでは「昔はよかった」というケースは当然出てくるだろうと思います。もちろん、そういう個人やセクターが多すぎる(=格差が広がりすぎる)ことは問題ですが(基本的には、大きすぎる格差は全体の水準向上を妨げるとは思いますが)。