三池労組解散

 三井三池闘争で日本の現代史に名前を刻んだ三池炭鉱労組が、一昨日解散大会を開き、解散しました。すでに三池炭鉱閉山から8年を経て、組合員は14人。実質的に活動を支えてきた「退職者の会」も同時に解散しましたが、その平均年齢は78歳。幕引きの時期が来たということでしょうか。
 三池労組が結成された1946年当時の炭鉱職場を考えれば、その労働環境、就労実態は現在では考えられないような劣悪なものだったでしょう。落盤や爆発による労災も多く、労組が強力な参加と結束のもとに闘争的になるのは当然の成り行きだったでしょう。最後まで反合理化路線を変えられなかったことを批判する向きは多いわけですが、当時新興だった重化学工業労組が新興ゆえに生産性運動路線を取りやすかったのに対し、すでに闘争と獲得の歴史のある炭鉱労組が簡単には路線変更できなかったのは致し方ないと考えるべきでしょう。
 三井三池闘争の結果は、実力行使だけでは産業構造転換の大きなうねりは止められない、「時計の針を逆に回すことはできない」という貴重な教訓を後世に残しました。かつて一年近くに及ぶ三井三池闘争を闘った三池労組が、その歴史の最後、8年前の閉山にあたっては、再就職あっせん、割増退職金の支払いといった条件闘争を行ったことは象徴的です。関係者のなかには、「かつては解雇に対してストライキで闘ったのに、なぜ今の労組はリストラにストライキで立ち向かわないのか」といったコメントを寄せる人もいるようですが、そこには「ストライキより経済的条件闘争のほうが最終的にはいい結果に終わる」という合理的な判断があるわけです。こうした現代的な労働運動への転換点に、三池労組はその名を残したのだと思います。
 「最後の最後まで闘った」組合員と組合員OBは、その生涯をどう振り返るのでしょうか。