東洋経済「給料はなぜ上がらない!」(5)

東洋経済「給料はなぜ上がらない!」をネタにするのもマンネリになってきましたが、なにしろブログがたまっているのでご容赦を。きょうは経営者で作家の安土敏氏のインタビュー記事です。
インタビューの前半は相変わらずの「社畜論」ですが、見苦しいだけなので紹介はしません(これ以外もすべて見苦しいと言っているわけではありません。安土氏や佐高信氏の社畜批判には耳を傾けるべき部分もあると思います。まあ、大半は見苦しいのではありますが)。
で、後段ですが、

 不安定で、リスクの大きいフリーターという生き方を可能にしたのは、ファストフードなど外食産業による食品の低価格化だったのではないか。昼食なら300〜400円。1日3食とビール1杯を付けても2000円で済む。収入が少なくても暮らせるのは、食品、衣料品が安く入手できるので「何とかなる」状況ができたおかげだ。
(「東洋経済」第6135号(2008年3月29日号)から、以下同じ)

いきなりいいがかりみたいなご発言ですが、中堅スーパー経営者の恨み節でしょうか。それはともかく、低価格のためには低賃金が必要とか、賃金を上げれば価格も上がるといったポイントは大切だと思います。

 賃金に関しては適度な伸びというのが本来は望ましい。サミットでの私の経営経験から言っても、賃金は消費と深くリンクしている。給与が順調に伸びていた時期、サラリーマンのベースアップとほぼ同じ率で、何もしていない既存店の売り上げの伸びを期待できた。だから、社会全体の賃金が順調に上昇していれば、私は社員の賃金を安心して上げることができた。
 逆に、収入を増やさなければ消費は増えない。経済活性化には「入り」を増やしてやるのがいちばんの方法だろう。生産性が上がった範囲でのことではあるが、経営者は、そのことに配慮すべきだ。バブル崩壊のとき、大騒ぎの企業とは逆に、スーパーのモニターの主婦たちは「不動産が値下がりして、やっと家を持つチャンスが来た」と喜んでいた。あのとき、適切に収入を増やす施策があれば、こんなデフレにはならなかったのではないか、とも思う。

「賃金に関しては適度な伸びというのが本来は望ましい」というのはまったくそのとおりで、それも含めて年率1〜2%くらいのインフレというのが経済にとって好ましいのではないでしょうか。しかし、「何もしていない」のに「既存店の売り上げの伸びを期待できた」というのはずいぶん楽な商売をしておられたのですねぇ。私でも社長が務まるかも知らん(笑)
冗談はともかく、「あのとき、適切に収入を増やす施策があれば、こんなデフレにはならなかったのではないか」とおっしゃいますが、どうすればよかったんですか。「不動産が値下がりして、やっと家を持つチャンスが来た」と喜んでいたら、「適切に収入を増やす施策」が行われた結果またしても不動産が値上がりしてしまう、ということだって想定できるわけですし。

 経営側が賃金を一方的に抑え込むのは問題だが、春闘の力ずくのやり方も好ましくない。あれではエネルギーの浪費だ。私は経営者時代、業界内でも高水準の労働条件になるよう配慮することで、無益な条件闘争になるのを避けてきた。だが、労働待遇については情報不足で、経営側の目が行き届かないことも多い。上から見たヒマワリは花しか見えないように、経営者から会社全体は見えにくい。サービス残業を禁じても、上司によく思われようと残業する社員は出てくる。そういった実態は会社組織の通常ルートでは上がってこないが、組合から聞くことができた。
 経営と別の視点から労働者を見つめ、合理的な議論で待遇改善を要求する。その役割に労組は力を尽くしてほしい。(談)

これはさすがに経営者だけあって労使関係については立派な見識をお持ちです。労組に対する期待感としては、多くの経営者と共通するところでしょう。もっとも、中堅スーパー経営者を悩ませたベアゼロにしても、「一方的に抑え込む」というよりは、労組が「合理的な議論で待遇改善を要求」し、労使で真剣に交渉した結果であることも多かったとは思いますが。
ヤマト運輸の社長を務めた小倉昌男(1999)『経営学日経BP社から引用しておきます。

 私は労働組合は絶対必要だと思っている。管理職は絶対と言っていいほど、悪い情報をトップに上げてこない。悪い情報を伝えてくれるのは労働組合だけだ。
 …悪いところがあるのに痛みを感じなかったら経営はだんだん悪くなっていく。痛みを伝えるのは組合しかないから、組合がなければ安心して経営はできない。だから私は、労働組合の存在を重視している。