竹中先生、そうはおっしゃいますが

今日の日経新聞の「領空侵犯」というコラムで、竹中平蔵経済財政・郵政民営化担当相が登場し、「民間シンクタンクの政策論が駄目だ」と述べています。

「気がつくと最近の政策のアイデアはほとんど政府発なんですよね。…民間は不十分だとか部分的な批判はしますが、それは誰でも言えます。大きな意味での対案を出せと何度言っても出てこない」
「…政策はどんなに頑張っても民主主義の政治プロセス以外では決められないんです。永田町や霞が関で仕事したことがない人はそこが分かっていない。政治プロセスの知識がないと政策を追うと言っても何も分からない」
「一度政府に入った専門家が外に出て活躍すると大きな力になる可能性はあります。政策は従来、閉ざされた永田町と霞が関で遂行される職人芸的な世界でした。情報公開や民間との交流が始まり、今は過渡期かもしれません」
内閣府小泉改革を支えませんかと民間エコノミストを募集したが、ほとんど来ません。内閣が代わればどうなるか分からず、生活は不安定ですが、若いエコノミストは志を持ってほしい」
「…今は民間から閣僚の秘書官になるにも大変なリスクを取らないとなれない。シンクタンクは人材供給や雇用流動化の受け皿機能も果たすべきです」
(2月7日付日本経済新聞朝刊、引用は抜き書きです)

読みようによってはご自身が民間時代に云っていたことを政府に入ってから実現できていないことの言い訳とも読めますし、そう受けとめて読み流しておけばいいのかも知れませんが、まともに読むと若干気になるところがあります。
実は私の身近にも「一度政府に入った専門家が外に出て活躍」しているすばらしい実例がありますので、竹中氏のいうことはとてもよくわかります。そうした人たちに較べると民間の政策ウォッチャーは物足りないというのは竹中氏の実感なのでしょう。
そこで、「志を持ってほしい」だけでは人は動かないのは当然なので、竹中氏としては「民間シンクタンクが政府の仕事をした人を優遇すれば、もっと若い人が政府部門で働くようになる」と言いたいのでしょう。
とはいえ、政府の仕事をした人が優遇に値するなら、実力主義のこの世界、とっくにそうなっているのが普通なのではないでしょうか。要するに、政府の都合がいいように民間人を臨時的なポストでつまみ食いするだけではなく、パーマネントな官僚組織の一員としてそれなりに責任と権限のある仕事につけるのでなければ、民間が優遇しても採用したいという人材にはならないのではないかと思うのです。もちろん、能力と意思次第では官僚としてキャリアアップできるという形であるべきで、そうすればリスクの軽減にもつながり、さらに優れた人材を誘引するでしょう。これは、官僚組織にとってもメリットの大きい話ではないかと思います。
とすると、民間人に政府に入れというだけではなく、官僚として霞ヶ関に入った人がもっと民間に出て行くことがセットでなければ、物理的にポストが空きません。もちろん、すでにそういう人はそれなりにいる(私の身近なすばらしい実例もそういう人です)わけですが、本気で民間に政府部門に通じた政策ウォッチャーを増やしたいなら、そういう人をもっと増やすのが一番の近道のはずです。民間シンクタンクにとっても優遇に値する魅力的な人材は多いはずです。
そのために具体的に必要となる取り組みは多々あるでしょうが、いずれにしても、竹中氏がいうように民間に押し付けているだけでは問題は解決しないのではないかと思います。
なお、話は変わりますが、

「気がつくと最近の政策のアイデアはほとんど政府発なんですよね。…民間は不十分だとか部分的な批判はしますが、それは誰でも言えます。大きな意味での対案を出せと何度言っても出てこない」

これについては、官民の情報格差が大きな要因になっているはずなので、一概に民間を批判するのは的外れでしょう。たびたび指摘されますが、社会保障改革について民間が「対案」を出そうにも、検討に必要なデータを厚生労働省が抱え込んで民間に提供しないので、検討すらできないというのが実情だといわれています。同じようなことはあちこちで行われているのではないでしょうか。こうした閉鎖的な体質を変えるうえでも、まずは官僚が民間に出ることが有効だろうと思われます。竹中氏も、ここに目をつぶって民間を批判するのはフェアではないと思うのですが、どんなもんなんでしょうか。