上司は思いつきでものを言う

ひとことでこの本の特徴をいえば「言い得て妙」ということじゃないでしょうかね?
言い得て妙、ということは、要するに「ああ、本当にそうだよな」と、読者の「心情」に訴えて説得力がある、ということでしょうか。「上司は思いつきでものを言う」というフレーズは、それ自体実際に「思いつきでものを言う」上司に悩まされている数多くのサラリーパーソンを魅了しますし、しかも「なぜ、上司は思いつきでものを言うのか?」という「解説」も、本当にそうかどうかは別として、大方の読者から「そうそう、そうなんだよ!」という「同意」を得られるような話になっています。多彩な博識と取材力を生かして、多数の人が同感する解説をひねり出す著者の才覚はたいしたものです。
読者としても、この本を読んで何らかの新しい知見を得るというよりは、「よくぞ言ってくれた!」という感じで、「そうだ、自分の感じていたことはそのとおりだったんだ!」という快感を得ているんじゃないでしょうか。この本がベストセラーになるのもそういう需要がいかに大きいかということを示しているのでしょう。それをつかんだところにも著者の才覚がうかがわれます。
作家の本なのでそれでいいのでしょうが、それでもここまで売れるとちょっと困ったもんだという感じもありますね。正直言って悪書だと思います。
たしかに、単に存在を示すためとか威張るためとか自己満足するためとかの理由で「思いつきでものを言う」上司は多々あるでしょう。とはいえ、100%そうだという純粋種もそうはいないはずで、一般的な上司というのは、まったくの無意味な思いつきもいくらかはあり、いっぽうで思いつきのようでも実は経験や知識にもとづいたもっともな意見もかなりの程度はあり、きちんとした指導、意見も相当ある、という混合体のようなものです。もちろんその割合は人さまざま、前の方が多い上司は困りもの、後の方ができるだけ多いのが望ましいという、考えてみれば当たり前のことです。
要するに上司にも「当たり外れ」はあります。ただ、上司も部下も当然のことながら自分に甘く他人に辛いわけで、部下は上司が思ってる以上に、上司に対して「思いつきが多くマトモな指導や意見は少ない」と思っている可能性は高そうです。この本はそこを狙った(のか結果的にそうだったのか)わけですね。まあ、これが部下の多少のウサ晴らしになったり、上司がわが身を省みて、無意味な思いつきを口にしないように戒める契機になるのであれば、それはそれでおおいにけっこうなことです。
ただ、たぶん、本質的な問題は上司や部下の人格ではなく(上司だってその上司に仕える部下ですし)、建設的な提案まで思いつきでスポイルされたり、まるっきりの思いつきでも上司が言えば絶対従わなければいけないとかいった、硬直的で風通しの悪い組織にあるはずなんですが、この本を読んでいるかぎりはいつまでたっても、どこまでいってもそこには到達しません。
だからこの本があまり売れるのは(まことに大げさながら)日本の経済・社会にとってあまりいいことではないという感じがします。日経新聞の「働くということ」、村上龍の「13歳のハローワーク」と並ぶ、最近の三大悪書ではないでしょうか。まあ、この本は「だから日本企業はこうするべきだ」とか「こうした政策を採用すべきだ」とかいったことは(真剣には)言っていないようですし、軽い文体で「まあ、お話なんだから・・・」といった雰囲気を醸し出してもいますので、それほど深刻に言う必要はないのかもしれませんが。少なくとも、政策通という虚像をふりまわして妙な個人的信念をあたかも真理かのように言い募る村上龍や、誇張と偏見と牽強付会を垂れ流す日経新聞に較べればはるかに罪は軽いと思います。