この記事がひどい。

 なにかというと月曜日の日経朝刊に掲載されていた「ダイバーシティ進化論」です。書き手は先日同じ欄で高卒不要論を開陳された出口治明立命館AP大学長で、お題は「テレワークで360度評価に 個人の能力分かりやすく」となっております。

 テレワークが広がると、一人ひとりの能力はわかりやすくなる。例えば資料を作ってほしいと上司が部下に依頼する。できあがったら資料が送られてくる。それを共有すれば部下の出来不出来は誰にでも分かる。
 かつての典型的な大企業では部長が課長に「資料が欲しいから手分けして作ってくれ」と丸投げする。そうすると優秀な部下数人が手分けして仕上げて課長に渡す。部長は誰が何をやったか分からない。
 成果評価は難しいという人もいるが、みんなが見れば妥当な評価に落ち着くだろう。テレワークでは360度評価が可能になり、上司の好みを消すことができる点も大きい。もちろん、業務によって比較が難しい場合もあるので、ジャンルを分けてその中で評価をすれば問題はないだろう。
(令和2年8月3日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 読み解くのがなかなか難しく、常識的に考えれば仕事のプロセスがお互いに職場内で見えているほうが、それが見えないテレワークに較べて一人ひとりの能力はわかりやすいはずです。同じ資料をまとめるにしても、鼻歌交じりで半日で仕上げた人と、山のようにサービス残業をしてまとめた人と、能力には大差があるわけですがテレワークではそれはわからないわけですね。
 にもかかわらず「テレワークが広がると、一人ひとりの能力はわかりやすくなる」と主張されるのは、おそらく昨今流行りの、最近のわが国でのいわゆる「ジョブ型」みたいな議論が想定されているのでしょう。つまり、従来、テレワークを拡大するには業務を明確に切り出して一人ひとりにあてはめる必要があるが、日本企業では担当業務の範囲があいまいなのでそれが難しい、というような話があったわけです。それを前提に、テレワークが広がる→担当業務が明確に切り出される→一人ひとりの能力がわかりやすくなる、ということを言いたいのかな、と推測できるわけです。続けて「部下数人が手分けして」とかいう話が出てくるところを見ても、まあそういうことかなと推測されます。
 ただ、そうだとしてもそれは実態から外れた残念な議論であり、なにかというと昨今のテレワークの拡大でわかったことは、そんな仕事の切り出しなどという手間をかけずになし崩しに始めてしまったところzoomやらSlackやらを使えば別に仕事の切り出しなんかしなくても・従来のように担当業務があいまいなままでもそれなりに「優秀な部下数人が手分け」することもできるし、結果テレワークでも仕事は回るということなのですね。
 続く「かつての典型的な大企業では…部長は誰が何をやったかわからない」とのご主張ですが、まあ「かつての」がいつか、ということにもよりますし、たくさんある企業の中にはそういう実態も多々あったのかもしれませんが、しかし「いやー仕事は全部課長に丸投げで課長が適当に出来のいい部下に振ってますから私は係長以下のことは誰が何をやったか分かりませんよあはははは」とかいう部長さんってどのくらいいるものなのかしら。千人とか二千人とかいう大組織に君臨する大部長であればそんなこともあるのかなあ。とりあえずすみません私まだ一人もお目にかかったことはありません。まああれだな、もうみんなお墓に入っちゃってるから死人に口なしってところかな。
 続く「みんなが見れば妥当な評価に落ち着く」というのはまことにそのとおりで、実際役職者の人事評価は社内全員に公開してますなんて企業もあるわけですね。そうなると書かれているとおりで、まあ「好み」というよりは、上司個人ではなく組織に貢献した人が高く評価されやすくなるということは言えると思います。ただ、360度評価にしても、姿の見えないテレワークに較べれば姿の見えるオフィスワークの方がやりやすいというのが人事管理としては常識的ではないと思います。もちろん、「半日」か「サービス残業の山」かは関係なく、あくまでその時点のヘッドカウント当たりの成果で評価するのだというならテレワークの方がやりやすいかもしれませんが…。
 さて続きです。

 上司の能力もわかりやすくなる。今までのように丸投げできないので、上司は最終の状態をイメージし、そこから一人ひとりに業務を振り分ける。仕事の中には雑務もあるが、誰かに押しつければ不満がでる。ポイントゲッターである部下全員に、仕事を上手に振り分ける能力が求められる。
 仕事の評価が時間から成果に変わると、能力のある人は短時間で仕事を終え、空いた時間を副業や勉強に充てるようになる。それによってさらに能力が上がる。当然格差は生じるが、年功による格差と成果による格差のどちらがフェアで居心地がいいだろうか。

 うーん、やはり最近のわが国でのいわゆる「ジョブ型」みたいな議論が想定されているようですね。要するにジョブ・ディスクリプションを上手に作れる上司がいい上司、ということでしょう。これは確かに上司(管理職)の重要な役割ですが、それがきれいにできるのは典型的には業務が標準化された現業部門においてであり、そこではすでにわが国でも差立てという生産工学の用語が昔々から存在してきました。いっぽうで、ホワイトカラーの仕事となると、欧米諸国でもこの10年くらい?はかつてのような詳細な職務記述書は作られなくなってきていわゆるブロードバンド化が進んでおり、「仕事を上手に振り分ける」にしても状況に応じて柔軟にやれるようになってきています(すみません今しっかりウラ取りしてませんが数年前に佐藤博樹先生と三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティングでまとまった規模の実態調査がされていたはずです)。正直このあたり周回遅れじゃないのかなあ。
 「仕事の評価が時間から」以下についても、能力のある人が短時間で仕事を終わらせることには変わりないし、そういう人はこれまでも空いた時間で職場で勉強して(なんなら残業もして)資格を取ったりして能力を伸ばしてきたわけですよ(兼業はともかく)。「時間から成果」は「長時間働けない人の活用と評価」といった局面での議論が主流であって、ここで持ち出す話ではないと思います。

 ある大企業の役員は「部下の抜てきはマージャンをすればわかる」と言った。確かにマージャンをすればその人の性格が分かるので、一面では真実だ。しかしそれではマージャンに付き合える人にしか昇進のチャンスがない。どっちみち格差が出るなら、その根拠は合理的な方が納得感が得やすい。これまで女性にとっては長時間労働がネックだった。時間管理がなくなれば女性の社会的地位は間違いなく上がると思う。
 成果主義長時間労働を引き起こすのではないかと心配する声がある。だがそもそも、これまで上司は部下の健康を管理してきたのか。過労死やメンタルヘルスなど山ほどある。上司は出社しても会議などで席を外し、部下のことなど見てはいない。この際、自分の体は自分で管理した方がいい。ステイホーム期間中に家族や友人と過ごす時間が楽しいと分かったなら、それを犠牲にしてまで仕事中心にはならないだろう。

 マージャンの話はともかく「時間管理がなくなれば女性の社会的地位は間違いなく上がる」わけがないだろう。時間管理がなくなれば思う存分長時間労働できるのであり、仕事の成果だってある程度は労働投入量(なりその平方根なり)に比例するわけなので、「時間から成果」になれば長時間労働できるほうが有利に決まっています。それは兼業にしても勉強にしても同じことで、家庭的役割などで時間を拘束されるからビジネススクールには通えませんという人、たくさんいると思うなあ。
 もちろん、これは過去もさんざん書きましたが、一部の人については時間管理をせずに、健康を害さない範囲で思う存分働ける環境0を作ることは大事だと思います。ただそれは限られた一部のエリートだけのものであり、その範囲をきちんと明確にしたうえで、そうでない大多数の人々についてはきちんと時間管理すべきでしょう。これはオフィスワークであってもテレワークであっても同じだと思います。
 そして健康管理についてはついに「これまで上司は部下の健康を管理してきたのか」と開き直りましたよ。従来も現在も上司は部下の健康を管理してきたと、私は思うなあ。もちろん、自分の体は自分で管理するに決まっているわけですが、安全配慮義務を放棄して「過労死やメンタルヘルスなど山ほどある」が自己管理ね、というのはさすがにまずいのではないでしょうか。
 でまあこれは前回も書きましたが、邪推をすれば出口氏のような立派なキャリアの方がここまで破綻した議論を展開するとは思えません(いやもちろん部分的には360°評価とか同意する部分もありますが)し、おそらくたいへんにご多忙ではないかとも思うところなので、おそらく誰かに書かせているのではないか、ことによると数分の立ち話ベースで日経の記者が書いているのではないかあーいやまあまあ、そんなことも想定されるわけで、まあそろそろ書き手を変えたほうがいいのではないか、などど120%余計なお世話を書いて終わります。