少子化白書に異議あり

先週金曜日に出た内閣府の「少子化白書」を読みました。そのなかで、「なぜ少子化が進行しているのか」について触れられています。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-g/html/gg121000.html
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-g/html/gg122000.html

これまでの議論のエッセンスが手際よくまとめられているという感じなのですが、この手のまとめを見るとどうも違和感があります。うまくは言えないのですが、要するに、子どもをつくる、つくらないという判断をするときに、本当に「この子を育てるのにいくら必要で、仕事をやめることでいくらの所得が失われる。差し引きいくらの損になって、子どもがいることで得られる喜びや楽しみでは埋め合わせがつかないから、子どもはつくらない」なんて考えてるんだろうか、ということです。もちろん、そういうことも考えているとは思うのですが、少なくともこういう理詰めの考えが意思決定の決め手になっているとは思えない。
京都大学橘木俊詔先生が、去年の夏に日経の「経済教室」で所得格差についてこんなことを書いてました。

(所得分配の不平等化について)学問的にジニ係数の結果で論じるよりも、東京の隅田川大阪城にいるホームレスの数の多さに驚き、身近でリストラされたり失業したりした人に接し、また都会での数億円もする豪華マンションの好調な売れ行きを知るにつけ、不平等化を実感するのである。多数の人が貧富の差の拡大を感得している。

なるほどな、と思いませんか?橘木氏の格差拡大論には若干の疑問もありますが、これに関しては、たぶん人間の判断とか意思決定とかいうのは、こういうものだと思います。政策決定はもちろん科学的な根拠のもとに行ってもらわないと困りますが、個人の人生における判断というのはこういう官能的なものなんじゃないでしょうか。
橘木先生は「一般人のこのような実感がまん延することが、数字によって不平等化を論じるよりも恐ろしい」といったことも書いています。少子化についても、自分のまわりをみて、いっぽうにはトレーナーとジーンズで化粧もろくにせず、小さい子どもを2人追いかけ、怒鳴りつけているお母さんがいる。いっぽうには、昼休みにはホテルでランチ、週末にはおしゃれをしてお台場や六本木ヒルズでブランドショップをひやかし、年末年始には海外旅行という独身OLがいる。このような「実感」が、「ああ、やっぱり子どもなんか生むもんじゃない」と思わせているのではないでしょうか?
アンケートの回答というのは多分に建前が入りますし、こうした「実感」を設問の選択肢に落とし込むのも大変でしょう。たしかに、計算づくであれば、「育児と仕事の両立」という政策が先に来るでしょう。でも、実感から考えるとどうなのか。
そう考えると、たまには子どもがいないのと同じようにおしゃれや自由を楽しめるようにする、すなわち安くて使い勝手のいい保育サービスを提供する、という政策が先にくるような気がします。第一、それが先にできれば、「育児と仕事の両立」もどれほどやりやすくなることか。