坂本貴志『統計で考える働き方の未来』

 リクルートワークス研究所研究員の坂本貴志さんから、ご著書『統計で考える働き方の未来-高齢者が働き続ける国へ』をご恵投いただきました。ありがとうございます。手違いで受領に手間取ってしまい、お礼が遅くなり申し訳ありません。

 少子高齢化・人口減少が進むわが国において、将来の働き方がどのようになるのかを、さまざまな公開統計を活用して説得的に描き出した本です。政府が言うような明るい未来でもなければ一部の論者の言い立てる暗い未来でもなく、データに基づいた「等身大の日本の未来」とでも言うべき、「高齢者が働き続ける国」という将来予測が示されています。高齢者の将来の働き方として、ある時点(典型的には定年)からはそれまでのような重責で多忙な働き方をあきらめ、社会でニーズのある現業労働に従事して長く働き続け、ほどほどの収入を得ることで年金とあわせた生計費を確保することを提示し、それを受容することでそれなりに満足度の高い生活が送れるだろうという提案です。過去に活躍していた人ほどその受容は難しいものでしょうが、しかし年齢を重ねて能力もピークを超えれば、それはまさにサンクコストであって、忘れてしまうのがいいのかもしれません。仕事が生きがいとか、就労意欲が高いとかいう人には難しいのでしょうが…。いっぽう、テレワークなどで他人とともに働かなくてすむことは、そうした受容を促進する要因になるかもしれません。
 
 

上野善久『戦後日本流通業のイノベーター』

 (株)布屋本店代表取締役の上野善久さんから、ご著書『戦後日本流通業のイノベーターーファミリービジネスの業種転換事例』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

戦後日本流通業のイノベーター ファミリービジネスの業種転換事例

戦後日本流通業のイノベーター ファミリービジネスの業種転換事例

  • 作者:上野 善久
  • 発売日: 2020/08/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 布屋はもともと滋賀県の造り酒屋で、著者の上野氏はその11代目にあたります。この本は布屋の9代目にして中興の祖といわれる上野久一郎氏が、大正期の東京に移転して種類卸売業に業種転換し、現代のプライベートブランドやチェーンストア展開などに相当するような斬新な経営手法を編み出して展開していくイノベーションの過程を多くの史料にもとづいて描き出されています。日本ではともすれば印象の悪い「世襲」ですが、ファミリービジネスという経営形態がイノベーションを生む上での優位性を持ちうることが考察されています。非常な良書と思われますので、いずれまとまった書評を書くつもりです。

「ジョブ型」でなにができるか・なにができないか

 もう一月近く前の話になりますが、11月10日に開催された「中央大学ビジネススクールワーク・ライフ・バランス&多様性推進・研究プロジェクト」成果報告会に参加してまいりました。例年同様に非常に充実した内容で有意義だったのですが、今回は特に思いがけずきわめて貴重な知見をいくつか得ることができました。
 そのひとつが富士通の人事の方から同社の人事制度改革についてのお話を聞けたことで、資料が以下で公開されているのでぜひご覧いただければと思います。話の中心はテレワークとオフィス改革であってジョブ型がメインではなかったのですが、これまで同社や日立製作所さんのいわゆる「ジョブ型」人事制度についてはその背景やコンセプトはたびたび報じられてきましたが、その具体的な内容についてはほとんど情報がなかったので、今回のこの報告はたいへん貴重なものだったわけです。
 そこで富士通さんの報告資料をもとに、いわゆる「ジョブ型」人事制度でなにができてなにができないだろうか、ということを少し考えてみたいと思います。まず富士通(以下敬称略)の制度ですが、資料にはこのような記載があり、現時点では管理職層への展開にとどまっているようです。

Job型人事制度の導入 対象:管理職15,000人 2020年4月導入済
・果たすべき職責(役割、求められるスキル、行動など)の明確化と評価
・上司・部下の1on1 Meetingによる課題共有、コーチング、フィードバック
・キャリアの選択肢としてのポスティング制度
・成長を支える学びのプラットフォーム(Fujitsu Learning EXperience)
  ※Job型人事制度の一般社員への展開に向けた検討を2020年度中に労働組合とスタート

 「ありたい姿」として、グローバル・グループワイドな人事基盤のもとに「全ての社員が魅力的な仕事に挑戦」「多様・多才な人材がグローバルに協働」「全ての社員が常に学び成長し続ける」を掲げ、その実現のために「ジョブ型人材マネジメントへのフルモデルチェンジ」を実施するとのことで(資料の記載はJob型とジョブ型が混在しているのですが、ここではジョブ型に統一します)、以下4点が上げられています。

チャレンジを後押しするジョブ型報酬制度
1. 職責ベースの報酬体系
2. 高度専門職系人材処遇制度
3. 評価制度見直し

事業戦略に基づいた組織デザイン
1. 事業戦略に基づいた組織、ポジションのデザインへの見直し
2. Role Profile/Job Descriptionの導入による責任権限、人材要件の明確化

事業部門起点の人材リソースマネジメント
1. 人員計画の見直し
2. ポストオフやダウングレードの実施
3. ポスティングの大幅拡大

自律的な学び/成長の支援
1. 人材育成方針の見直し(On demand型教育の導入)
2. 1on1ミーティングの推進

 なるほど、なるほど。話は合っているように思えます。ジョブ型を称する以上核心となるのは「事業戦略に基づいた組織デザイン」で、事業戦略に基づいてジョブ、つまり最適なタスクの組み合わせをデザインして、それを文書化(Job Description)して、それに人材を割り当てる、それでなくてはジョブ型とは言えないわけです。
 「事業部門起点の人材リソースマネジメント」というのも頷かされたところで、人事の権限を中央集権的な人事部から事業部門に渡していこうということでしょうか。まあ中央集権で管理するのは少数のタレントプールにとどめ、あとは事業部などに権限を分散させるというのはよく聞く話ではあります。
 さて個別に見ていきますと、「ジョブ型報酬制度」は「「人」ではなく、「職責(ジョブ)」の大きさ・重要性を格付けし、報酬を決定」となっていて、こう書かれています(便宜的に番号を振ります)。管理職15,000人を対象としているとのことです。

1.グローバル共通の基準で職責を格付け(FUJITSU Level)
2.月俸はFUJITSU Levelごとに定額。Fujitsu LevelのUp/Down時に報酬改定
3.今後、市場価値をベンチマークしながら報酬水準を見直していく
4.役職離任の運用を見直し、ポストオフ・ダウングレードを実施

 これにより「個人が担う職責を即座に報酬に反映」し「より大きな職責へのチャレンジ意欲を喚起」するのだということですが、以下個別に見ていきましょう。
 1.についてはやや意外だったのですが従来は職能資格別のレンジレートであったらしく、それをグローバルに共通の職務等級(FUJITSU Level)別の固定レートに変更するということのようです。人事評価による上げ下げがあるのかどうかははっきりしませんが、「月俸はFUJITSU Levelごとに定額。Fujitsu LevelのUp/Down時に報酬改定」という記載をそのまま読めば「ない」ということになるのでしょうか。まあそのほうがジョブ型(純度の高い職務給)らしいといえそうです。
 さて、さらに続けて「今後、市場価値をベンチマークしながら報酬水準を見直していく」とあるのですが、しかしこれどうやってやるのかしら。他社がメンバーシップ型の賃金を採用している中では、apple to appleベンチマークできるような比較対象がなかなかみつからないのではないかと思うのですが…。また、「報酬水準を見直し」というのも、ジョブごとにジョブとFUJITSU Levelの対応関係を変更するということでしょうか?その場合、ジョブが対応するLevelが下がったら、そのジョブに就いている人の賃金も下がるということになるのでしょうか。それは一方的な労働条件の切り下げなので、ジョブ型であってもなくても本人同意が必要になるように思いますが…。ジョブ型であればこそ本人同意は必須でしょうし、メンバーシップ型であっても「市場価値が下がったから」というのが労働条件不利益変更の合理的理由になるとは思えません。
 なお脱線しますが、IoTとかAIとかビッグデータとかの分野で稀少な技術を持つ人材を従来の賃金制度とは大きく異なる高賃金で採用するといった動きもあってこれも「ジョブ型」だ、という話もあるようですが、これはきちんと用心して有期契約とかにしておく必要がありそうです(おそらく実態もそうなっていると思う)。今現在稀少だからといって将来も稀少であるとは限らず、実際に大学サイドもデータサイエンス学部とかいうのを作って養成に乗り出しているわけなので、将来的には需給バランスが変わってくることは意識しておかなかればならないでしょう。
 さて富士通に戻りますと、「役職離任の運用を見直し、ポストオフ・ダウングレードを実施」とあるのですが、これについてはそれ以上のご説明はありません。運用を見直し、ということですから役職離任そのものは従来も存在したのでしょう。もちろん、メンバーシップ型雇用であれば、企業は就業規則の規定を根拠にしてポストオフを一方的に命じることができます。とはいえ、ポストオフと同時に労働条件ダウンを伴うようなダウングレードまで行うことは、本人の同意がない限り相当ハードルが高いでしょう。これが労働契約に職務が書き込んである欧米型のジョブ型雇用であれば、ダウングレードをともなわないものであっても、ポストオフには本人の合意が必要ということになります。
 このあたりは昨日のエントリでご紹介した神林龍先生の「経済教室」でも言及されていたとおり、「使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない」という話と、「なんのためにポストオフ・ダウングレードを行うのか」という話が絡んできます。
 資料を見ると続けて「人材の流動化 / 多様性の向上、適所適材の実現、オープンでチャレンジングな風土醸成を目的に」「ポスティングの大幅拡大」を実施するとなっており、これまでは「組織が、業務都合や本人の成長を考え、配置転換 / ローテーション / 昇格を計画・実行」してきたところ、ポスティングの大幅拡大により「本人が実現したいキャリアプランを自律的に考え、ポスティングで異動や幹部社員昇格を目指す」とされています。「一人ひとりがチャレンジしながら成長し、キャリア目標を実現」と題したキャリア形成のイメージ図も付されていて、それによると入社後しばらくは「統括部内担務変更」が想定されているものの、それ以降はポスティングで「自らをより成長させる仕事や、より強みを発揮できる新たなポジションへチャレンジ」することが想定されているようです。そして、そのためにOn Demand型教育(ほぼe-learningのようですが)を導入するとともに、1 on 1ミーティングを実施して「組織のビジョンや変革テーマ、部下のパフォーマンスのリフレクションと次なるチャレンジ、キャリア」などについて、上司と部下で定期的に対話をする…ということのようです。
 これらから推測するに、「空きポストが発生しないかぎり昇進も異動も発生しない」(まあジョブ型であれば当然だ)というポスティングの仕組みを中心とすることで、ポストがなくても社内資格が上がって賃金も上がるということはなくしたい、ということはありそうです。いっぽうでポスティングで誰を抜擢するかは会社が決める(まあこれも普通)ということで人事権も一定程度確保しようということでしょうか。このあたりはなるほどジョブ型だという話ではあります。
 そこでポストオフ・ダウングレードはどうなるのか、ということになります。この資料を見ると「チャレンジ」が繰り返し連呼されており、しかもそれは「より大きな職責へのチャレンジ」だとも言っているわけです。一方でポスティングのしくみの中では大きな職責にチャレンジするには大きな職責の空きポストが発生する必要があるわけですが、当然ながら過去首尾よく大きな職責へのチャレンジに成功した人は、次なる・更なる大きな職責の空きポストを入手したとかいう話でもなければ(あるいは退職するとかでなければ)ポストを自ら手放すということは、まあそうそう起きそうな話ではありません。となると、人事権は手放さずに空きポストを作るために一方的にポストオフをやりたいという話になるのはよくわかります(それがジョブ型と言えるのかという話は別問題として)。従来型の、ポストが空かなくてもとりあえず職能資格昇格だけはできる人事管理においてもポストを空けるためのポストオフは実施されているわけですから、それがポストが空かなければ昇格も異動もないポスティングとなれば一段と切実な問題になるだろうことは目に見えています。
 この場合に、まあ人事権は握っているのでポストオフはできる、ダウングレードもまあできるかもしれませんが、ダウンしたグレードに応じたものに賃金などを引き下げることは難しいと考えざるを得ないでしょう。もちろん本人の合意があれば可能ですし、合意を得られるような状況をつくるのが巧妙な人事管理なのだという話でもあるでしょう。実際問題としても、ダウングレード・減給になっても仕方ないよねと衆目の一致するケースというのも少数ながら存在するのでしょうし。
 ということで、人件費の抑制と昇進昇格による動機付けというのはトレードオフであって、それはメンバーシップ型だろうがジョブ型だろうが変わらないというのが結論になりそうです。ポストが空かない限り昇進昇格はない、という運用を徹底すれば人件費は抑制できるでしょうが昇進昇格が少ないことで動機付けに支障をきたすでしょうし、動機付けに必要な一定の昇進昇格を確保するためにポストオフを行えば、その分人件費は膨らまざるを得ないということになるわけです。これはおそらく従来から各社ともそのバランスに腐心してきたものと思われますので、まああまり代わり映えはしません。きのうご紹介した本田由紀先生のご指摘のとおりで、ジョブ型だと言えばそれだけで今までできなかったことができるようになるわけじゃねえんだよという話でしょうか。
 逆に言えば、労働契約にジョブを書き込み、その変更には双方の合意が必要という欧米で一般的なジョブ型を導入すれば、できなくなることもありますが(一方的なポストオフとか)、できるようになることもあるかもしれません。たとえば「〇〇商品の××のマネージャー」とかであれば、〇〇商品の販売を終了するということになればマネージャー職をポストオフ・ダウングレードして賃金などもそれに応じて引き下げる、ということの可能性は出てくるかもしれません。まあ報道などを見る限りでは現在「ジョブ型」を標榜している企業の中にはそこまでやろうという例はなさそうですが…。人事権を手放すということはなかなかできることではないのでしょう。
 なお余談ながら成果報告会当日のこのセッションの最後のQ&Aで、会場からジョブ・ディスクリプション作成の進捗状況について教えてほしいとの質問があり、それに対する回答は「現在、マネージャーがメンバー一人ひとりのジョブ・ディスクリプションの案を作成している」というもので、いやそれジョブ型じゃないよねえというオチがついていたのでありました。まあねえ。

ジョブ型@日経経済教室

 日経新聞の「経済教室」では、先週木曜日から「ジョブ型雇用と日本社会」を3回の連載で取り上げられています。登場したのは太田肇先生(12/3)、神林龍先生(12/4)、本田由紀先生(12/7)のお三方ですね。あれこれと議論が混乱している感のある「ジョブ型」論議ですが、これを読むとだいぶ整理されてきた感じです。
 まず最重要なのは神林先生のこのご指摘でしょう。

…もともとジョブ型雇用という言葉は、労働政策研究・研修機構濱口桂一郎労働政策研究所長の著作で、いわゆる日本的雇用慣行を「メンバーシップ型雇用」と呼び直し、その背反として定義されることで広まったと筆者は理解する。従ってジョブ型雇用は、日本的雇用慣行ではないものすべてを含んでおり、論者により意味が異なる。

 これが議論を複雑怪奇なものにしているわけです。日本的雇用慣行とは違う、自分が推したい雇用管理を「日本的雇用慣行ではない」から「ジョブ型」だと称し、それが欧米で一般的にみられるジョブ型の雇用慣行と名称が同じだから内容も同じであって国際標準であるかのように主張する人たちが随所に存在し、それに濱口先生が「それは欧米のジョブ型とは異なる」と苦情を申し立てておられるのが現状でしょう。
 これについては本田先生はさらに直接的に批判しておられ、

…ジョブ型雇用は(1)成果主義ではなく(2)個々の社員の職務能力評価はせず(3)解雇がしやすくなるわけではなく(4)賃金が明確に下がるわけではない――ということだ。この点に関しては、紙面でも「労働時間ではなく成果で評価する。職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」などと間違った説明がされており、反省を求めたい。

 ジョブ型雇用とは、職務記述書(ジョブディスクリプション)で規定されたジョブに、それを遂行するスキルをもった働き手を当てはめるやり方だ。そのジョブを支障なく担当していれば、成果や職務遂行能力のこまごまとした評価は行わない。社内にそのジョブが存在しなくなった場合も、欧州では他のジョブへの変更を打診するよう定められており、使用者側の都合による解雇は厳しく規制されている。
 すなわちジョブ型雇用とは、労働条件がより厳しく、成果主義能力主義が徹底され、雇用が流動化しやすいというものではまったくない。もし、ジョブ型雇用をその方向で悪用しようとしている企業があるのであれば、徹底した批判と是正要求が必要である。

 御意。まあ「ではない」というよりは「関係ない」と言ったほうが妥当なような気はしますし、「欧州では他のジョブへの変更を打診するよう定められており、使用者側の都合による解雇は厳しく規制されている」というのはかなりミスリーディングだとは思います。たしかに欧州ではそうした労働協約が締結されている例が少なくありませんが、現実には整理解雇など雇用調整の場合にはジョブの変更ではなく追加的な給付を求めるのが多数でしょう(いまウラ取りしてはいないので誤りがあればご指摘ください)。とはいえ、「職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」がミスリーディングであることは間違いないと思いますし、「ジョブ型にすれば賃下げも首切りもできるようになる」とか思っている人が仮にいるとしたらそれはもちろん大間違いであることも間違いありませんが。
 では昨今話題の「ジョブ型」ってなんなのさ、という話になりますが、神林先生は「ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合としてとらえる」という見解をとられています。

…有力な候補として、職務給の前提である「職務記述書」を活用しつつ成果給を採り入れる人事管理施策という解釈がある。すなわち職務内容をあらかじめ限定的に列挙して労働契約の内容とするものだ。対立するメンバーシップ型雇用について職務の限定がないと説明されることからも、妥当だろう。

 その利点としては、「分業関係を明確にしやすく、責任の明確化につながる」「あらかじめ設計された職務配置を現場に直接適用できるので、新技術に基づく効率的な職務配置を速やかに導入できる」「リスクと引き換えに成功時の報酬を積むことで、被用者の意欲を刺激する」といった点を指摘しておられます。「あらかじめ設計された職務配置」というのはまさにジョブ型の核心ですね。
 一方で難点としては「職務記述書の改定には通常、使用者と被用者の「両者の合意」が必要」であり(強調引用者)、使用者による一方的な変更が可能な現行の就業規則とは異なる点をあげた上で、職務記述書と成果給の結びつけについて、こう指摘されています。

 職務記述書と成果給を結びつけるには、評価対象となる成果に、職務記述書で限定された職務以外の要素が混入しないことが重要となる。特に他の被用者に割り当てられた職務から独立になるように職務と成果の関係を設計する必要があり、相当難しい。

 おそらくは日立さんも富士通さんもこのあたりで相当にご苦労されているのではないかと推測するわけですが、まあ余計なお世話というものでしょう。余計なお世話ではありますが、しかし2000年前後の成果主義騒ぎの時と基本的に変わりないなあとは思う。神林先生も「被用者の努力や能力にかかわらず、被用者や企業が置かれた環境が成果に大きく影響する場合、過度な成果給を設定すると被用者の働く意欲は逆に低下してしまう」と指摘されているとおりで、評価基準や成果測定が不明確であったり、被評価者には制御不能な要因が成果に影響する場合には大きな差をつけないのが合理的だという話ですね。これはたとえば五輪の代表選考のようなゼロイチで大差がつくような話がもめがちだということにも通じます。
 神林先生は続けて、わが国において典型的なジョブ型雇用である派遣労働者について検討し、「職務を限定することと業績変動給の組み合わせは、相性が悪い」と指摘した上で、このように述べられます。

 結局、ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合と解釈しても、その道のりは険しい。いわゆる日本的雇用慣行から抜けだそうという意図は察せられるが、その組み合わせは論理的な矛盾をはらんでいる。さらに職務記述書を重視するのであれば、使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない。現場の創意工夫では生産性の向上は見込めず、あらかじめ設計された効率的な工程を採り入れることにより利益を得るようなビジネスにこそ、ジョブ型雇用は適するが、現状の派遣労働の普及率をみてもその範囲は広くはないと考えたほうがよい。

 「使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない」これも非常に重要なポイントでしょう。それに続く部分が論争的なところと思われ、いやいやいやいやICT技術が急速に進展する中では、従来のようには「現場の創意工夫では生産性の向上は見込めず」、むしろ「あらかじめ設計された効率的な工程を採り入れることにより利益を得」られるようになりつつある(あるいはすでにそうなっている)のだ、というのがいわゆる「ジョブ型」を唱道する方々のご主張であるように思われるわけです。本当のところはどうなのかは実証の問題ということになりそうです。
 さて、このあたりで他の先生方がどのような見通しを持っておられるかを見てみたいと思います。まず太田先生は今後の見通しをこう述べられます(すみません太田先生の論考の前半部分は私にはいまひとつピンとこないので省略させていただきます)。

…シナリオAは、ジョブ型の看板は残しながら、微修正もしくは換骨奪胎された形で広がる可能性である。

 2000年前後に流行した成果主義も、…日本的な組織や人事システムのもとでは、成果をあげるための条件を社員に公平かつ納得できる形で提供することができない。そのため短期間のうちに大幅な見直しや事実上の撤回を余儀なくされる企業が相次ぎ、…「成果」的な要素の比重を高める程度で落ち着いた。
 そして今回、ちまたでは早くも「日本式ジョブ型」といった言葉がささやかれるなど、多くの企業がメンバーシップ型とジョブ型の折衷を図るあたりに、落としどころを探っている様子がうかがえる。

 これはさきほどの話と同じで、要するに「成果をあげる条件」なるものが不明確であれば大差をつけないほうがいいということです。欧米的な組織や人事システムにおいては学歴とか資格とか経歴とかそれなりに明確な基準を活用することで大差をつけることが可能になっているわけですね。でまあそれが格差社会とか階級社会とかいう話にもなるわけですがここでは深入りしません。
 さていっぽうで太田先生はこういうシナリオも提示されるわけです。

 いっぽうシナリオBは、限定された範囲で比較的純粋なジョブ型が導入されていく可能性である。
 筆者は個人の分担を明確にする方法として、ここでいうジョブ型に対応する「職務型」のほか、個人の専門性で分ける「専門職型」、1人でまとまった仕事を受けもつ「自営型」の3つを提示している。
 ただ、すべての社員がいずれかのタイプに置き換えられると考えるのは現実的ではない。従来のメンバーシップ型も一定の範囲で存続するであろう。また正社員以外に、いわゆる非正規や業務委託などの形態がとられる場合もある。

 初任配属を約束するだけの「ジョブ型採用」では基本的にはメンバーシップ型と変わりはないわけですが、その後もその分野からは動かしませんと約束するならそれは「職務型」になるのかもしれません。移動が不自由な分はスローキャリアにするとか、職務縮小時の雇用保障が限定的になるとかいう対応が必要でしょうが、それは今後の課題でしょうか。また、最近ではIoTとかAIとかビッグデータとかサイバーセキュリティとかを学んできた学生さんにいきなり高い値札をつける採用も行われているようであり、「専門職型」というのはこれになるのかな?まあこういうタイプはさすがに将来にわたってその労働条件を約束するわけにはいかないので有期契約にならざるを得ないように思われます。雇用形態が多様化し選択肢が増加することは好ましいことですが、いっぽうで職務の限定性を高め、報酬も成果依存度を高めていけば、それはおのずと業務委託とか業務請負とか自営型になっていくであろうことはわかりやすい理屈のように思われます。
 さて本田先生もこうしたジョブ型にはたいへんに期待をされておられるようで、このように述べられています。

 輪郭が明瞭なジョブに専心できるという働き方は、使用者のフリーハンドで仕事内容が量・質ともに無限定に変化・増大する従来型の雇用に比べ、働き手にとっての負荷や不確実性が軽減される。加えて、もっとも重要な点は、ジョブ型雇用ではジョブに即した専門性やスキルが発揮しやすく、それをさらに向上・更新させることへの働き手の動機づけにもつながりやすいということである。従来型の働き方では、これらの点が不足しやすく、それが日本の雇用や経済にとって重大な弱点となっている。

 企業が順調に成長していた時代はともかく、現状では「使用者のフリーハンド」に対応しても得られる対価(昇進昇格とか次の良好な職務とか)が乏しくなってきているので、「不確実性が軽減される」ことの価値は大きくなっているというのはそのとおりと思います。ジョブが固定されていたほうがスキル向上への動機づけが高まるというのもわかりやすい理屈です。ただそのあと平成30年版労働経済白書をひいて論じておられる部分にはやや異論もあり、基本的には労働経済白書の問題なのでここでは割愛しますが、一点だけ以下の記述について、

 その結果、日本では労働者のスキル不足を感じている企業の割合および労働者の教育経験・専門分野・スキルと仕事のミスマッチが生じている割合が突出して高く、それにもかかわらず企業の能力開発費が国内総生産GDP)に占める割合が他国と比べて著しく少ないことを指摘している。

 引用元の平成30年版労働経済白書にはミスマッチについては「わが国が突出して高い状況ではない」と明記されていますので(p.87、なお能力不足に関しては「突出して高い」との記載がある)、これだけはこの「経済教室」の問題点として指摘しておきたいと思います。
 さて本田先生はこのあとリカレント教育の重要性について触れられ、いやこれに関してはもはや私もビジネススクールの教員の端くれとなりましたので大いに賛同するところであります。さらに続けてスペシャリストを自認する人は学び直しへの意欲が高いことも指摘され、このように結論付けておられます。

…技術が目まぐるしく進展・変容する中で、高度な専門性やスキルを発揮し不断にアップデートしていくことは不可欠である。日本経済の低迷や衰退の重要な原因が、この不可欠な条件の欠落にあることについては、あまたの指摘がある。だからこそ、従来の雇用のあり方とはなじまない面があっても、可能なところからジョブ型を切り出していくことが肝要だ。
 使用者側は、社員の中から希望者を募り、学校・大学やその後の学びとスキルを尊重しつつ、職務記述書と労働条件について労使間で調整するといった形で、働く側の発意を生かしたジョブ型雇用の導入と拡大に、真剣に取り組んでいただきたい。

 ということで結果的には太田先生の「シナリオB」にかなり近い内容になっています。基本的にはハイエンドの人材を念頭におかれているようであり、であれば上でも書いたようにすでに一部で試行錯誤というか模索が始まっている話でもあろうかと思います。以下繰り返しになりますがそれは雇用形態の多様化・選択肢の増加であって基本的に好ましいことだと私は思いますし、可能なところ、有効なところから切り出していくというのも現実的な方針でしょう。ただまあそこまでハイエンドな領域で「職務記述書と労働条件について労使間で調整する」ということになると、おそらくそれはもはや雇用の領域ではなく請負などの自営的な形態をとるだろうというのも上で書いたとおりです。
 本田先生は企業への要請ということで締めくくられておられますが、太田先生の最終的な読みはこういうものです。

 どちらのシナリオが実現するかは個別企業の選択に加え、法制度の改革も含めた政策に依存するところも大きい。いずれにせよ、企業は流行に踊らされず、自社の業務に何が最適であるのかを詳細に見極め、柔軟に使い分けをする判断力が求められよう。

 各社とも自社に最適な使い分けを考えましょうということで、まあ経団連とだいたい同じジャンとか書くと怒られてしまうのかしら。流行に踊らされずという表現が絶妙にこのところのわが国の世間でいわゆる「ジョブ型」をdisっておられて秀逸です(?)。
 さて神林先生に戻りますと、「職務の明確化と契約の柔軟さという二兎を追う」べく、こんな提案をしておられます。

…一つの工夫として、使用者と被用者の交渉力の不均衡を前提とする日本の労働契約法で可能かはわからないが、職務の明確化についてネガティブリストを活用するというアイデアがある。「この職務を担う」というリストを例示と考えるか、「この職務は担わない」と限定するか、その両方をとるかというアイデアだ。

 欧米でもホワイトカラーの職務記述書はブロードバンド化して、多くの場合は職務の分野をゆるやかに記述していたり、その中で変更もありうるという書き方になっていて、ただしその分野の外は合意なくやらせない・動かさないということは約束されている、というのが実情だろうと思います。これについては前々から書いているのですが数年前に佐藤博樹先生を中心に三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティングが調べていてその結果も見た覚えがあるのですが、どうやら非公開であるらしくウラがとれていない状況です。ご存知の方、ご教示いただければ幸甚です。
 さて神林先生の結論はこうなっています。

 ただし契約の柔軟さを実現するには必ずグレーゾーンの解釈を経なければならない。ジョブ型雇用は、契約の力を借りて日本的雇用慣行よりも曖昧さを減らすという程度の問題でしかないともいえる。ジョブ型雇用の議論が提起した本質的な問題は、従来の日本的雇用慣行の下でグレーゾーンの解釈を担ってきた個別の労使合意が機能する範囲が狭まり、復旧を目指すか代替する制度を考えるか、早急に考えねばならない点にあるのではないだろうか。

 さすがに「ジョブ型」なるものを導入しようとしているお会社様にはそれだけの話ではなかろうと思いますが、しかし重要なご指摘であると思います。ややずれた議論になるかもしれませんが、結局のところいかにジョブ型であっても詳細なタスク内容や労働条件をすべて職務記述書や雇用契約に書き切れるものではなく、どうしたって不完備契約にならざるを得ない。そこで紛争処理のしくみが重要だという話になるわけで、そこで大きな役割を果たしてきた個別企業の集団的労使関係(のことをおっしゃっているのだと思うのですが)の機能する範囲が狭まっているのであれば、そこへの対策は必要になるでしょう。 それがたとえば連合が主張しているような従業員代表制の法制化ということになるのか、私としてはやはり労働組合に期待したいと思っているわけですが、世間ではきわめて個別的な労使関係を念頭に議論されている「ジョブ型」論議が最終的に集団的労使関係の課題にたどりつくというのは、ある意味わが国の労使関係の現状を象徴しているのかもしれません。

この記事がひどい。(2)

 SNSの発信を控えているのでまたぞろいただきもの御礼ばかりが続く展開になってしまっておりますが、たまにはエントリらしいエントリも書こうかということで書きます。いや今週月曜日の日経新聞に掲載されていた、例の出口治明氏の連載コラム「ダイバーシティ進化論」なんですが。お題は「日本型雇用の限界 転職で待遇改善を」となっておりますな。

 非正規社員と正社員の待遇格差を巡る訴訟で、最高裁判決が相次いで出た。働き方について、日本ではメンバーシップ型とジョブ型の2種類があるように捉えられている。だが、世界を見ると仕事は基本的にジョブ型だ。ダルビッシュ投手に「今後の経験のために来年はショートを守ってくれ」などと誰も言わない。
(令和2年11月16日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 枕で先日の最高裁判決が出てきて「お、非正規雇用の話かな?」と思うわけですが、以下の引用をごらんになればお判りのとおりその後は一切その話はありません。いきなり何なのさこれ。続けて「世界を見ると仕事は基本的にジョブ型だ」というのはいいとしても、雇われてもいないダルビッシュ投手をジョブ型の例に引くってのもどうよ。しかもこれ島津製作所田中耕一氏にロケット技術をやれとは誰も言わない、というのと同じようなレベルの話だからな。気の利いたことを言っているつもりなんでしょうがいきなり破綻しています。

 メンバーシップ型は戦後の人口増と高度成長を前提にした日本特有の働き方だ。会社も成長するから人手が足りず、新卒で採用した若者が途中で辞めると困るから終身雇用という仕組みにした。社員を一生抱え込むならいろいろな仕事をさせたほうが都合がいいとゼネラリストを育てたわけで、ジョブ型に対する普遍的な働き方ではない。
 社員の様々な雑務や役割をどう評価するかは難しく、横並びで係長、課長と昇進させた。一方、ジョブ型であれば自然と同一労働同一賃金に導かれる。皿洗いの仕事で採用されたとき、年配だからといって賃金が上がるはずはなく、むしろ洗うスピードが遅ければ賃金は下がる。

 へええええ。「一方、ジョブ型であれば自然と同一労働同一賃金に導かれる」んだそうで、この一言で賃金差別を解消するための戦いをすべて葬り去りましたよ。いやそれは紙幅の関係もあるでしょうし口頭ならその場の勢いといったものもあるでしょうがしかしダイバーシティ進化論を称するならそれじゃいかんだろう。いや本当になぜこの人が得々とダイバーシティを語るのか私には理解不能です。
 皿洗いの例もうまいことを言っているつもりなのでしょうがあまりうまくなく、そもそも皿洗いはジョブではなくタスクでしょう。仮に大きなお店でひたすら皿洗いだけをしている人というのがいたとしても、そういう人を評価して賃金を上げ下げするなどという手間はかけないはずです(実際欧米のジョブ型雇用には人事評価がないことも多い)。団体交渉で賃金が上がる可能性はありますが。
 なおメンバーシップ型が高度経済成長期に非常によく機能したことは間違いありませんが、人口増は直接は関係ないんじゃないかなあ。もちろん人口増が経済成長をもたらしたことは間違いないでしょうが。

 人口増と高度成長というメンバーシップ型雇用の前提条件はすでに崩れている。しかも、最近の新入社員で同じ会社に一生勤めようと考えている人はあまりいないという調査結果もある。転職するには自分に何ができるのかをはっきりさせる必要がある。労働の流動化と共に仕事は専門化し、ジョブ型が浸透することは明らかだ。
 時代の変化を待っていても、そのスピードは遅い。だから今の会社や仕事に不満があったら、転職することを勧めたい。戦国武将の藤堂高虎によれば「七度主君を変えねば武士とはいえぬ」。変化の激しい時代には自分の能力を評価し、働きに見合う給与を出してくれる企業や経営者を次々探すことが大切だ。

 これもねえ、知られるとおり藤堂高虎は築城の達人であり、城を築きたい大名に乞われて次々と仕えたわけなので、一般化するのはやや無理があると思います。それを目指そう、というのは立派な志だと思いますし大学の学長先生らしくもあると思いますが、メンバーシップ型の前提がヘチマとかジョブ型が浸透が滑った転んだという話とは結び付かないよねと。

 ある大学病院の眼科での話だ。上司は患者の全人格を見るものだと考え、視力検査をスタッフに任せることを許さなかった。このため医師は視力検査から診察まで全てをこなさなければならず、忙しくて研究する時間が取れない。そんな中、納得がいかない1人の医師が病院を辞めた。すると他の医師も「辞めていいんだ」と半分くらいが次々と辞めていった。
 結果、眼科は回らなくなり、検査はスタッフが担うことになった。辞めることで人は幸せになり、職場がホワイト化したわけだ。

 まあこれはジョブ型とはそういうものだという話ではあります。日本では大卒の総合職であっても当初は営業などの現業回りの仕事をさせて現場への理解を形成しようとするのに対し、欧米ではエリートは最初からエリートの仕事をするわけです。ノンエリートの仕事をせずにすむように多大な努力と高額なコストを費やして学位を取ってエリートになるわけで、日本企業がそういう人まで日本の新入社員と同じように扱うと「キャリアが見えない」と言って退職してしまうというのは、まあよく聞く話です。そちらのほうがグローバルスタンダードであるわけで、そちらがいいのだというのは一つのご意見でありありうる考え方でしょう。
(なお質的ではなく量的な問題という話はもちろんありますが今回は省略)
 ただまあこのコラムを読んでいると、さきほどの皿洗いもあることながら、この眼科の事例といい、「雑務や役割をどう評価するかは難しく」の「雑務」といい、ノンエリートの仕事を見下した「職業に貴賎はありますよ」という価値観があからさまに見えるように思われ、どうにも好きになれません。ああさすが「高卒不要論」の人だねえと思うわけだ。最初に非正規の最高裁判決を持ち出しているんだから非正規の待遇改善の話とかもしたらいいんじゃねえか「ダイバーシティ進化論」なんだからさあ、とか思うわけですがそういう展開にはならないんだよなあ。
 でまあ毎度書いておりますが出口氏はご多忙を極めておられるはずなのでこのコラムも他人に書かせている可能性は高く、おそらくは「エリートさえ幸せになればいいのだ」という人が書いているのだろうなあと邪推することしきり。思ってもいいけど新聞紙面で世間に発信するのはいかがなものか(お、使ってしまった)とは思うわけで、いや本当になんとかならんものか。

佐藤博樹・松浦民恵・高見具広『シリーズダイバーシティ経営 働き方改革の基本』

 佐藤博樹先生・松浦民恵先生・高見具広先生から、ご共著『シリーズダイバーシティ経営 働き方改革の基本』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

 シリーズダイバーシティ経営の3冊めの刊行ということになります。シリーズのイントロダクションあるいは解題的な位置づけということになるのでしょうか、ダイバーシティ経営の基礎となる働き方に向けた働き方改革についての本です。労働時間の関係に始まり、人材育成や人事管理、そして勤務場所・仕事と生活といった流れで、書名のとおり働き方改革の基本が
解説されています。
 昨年の「働き方改革」はとにかく長時間労働の抑制だ、ということで残業を減らせ早く帰れと声高に叫ばれていましたが、今年は打って変わってリモートワークだ、ジョブ型だ、という大合唱となり、大きな変化ではありますし大切なことも多いのですが悪乗りしてあれこれ企てようという人もいるようで混乱気味ですが、ダイバーシティ・アンド・インクルージョンの観点から整理するとこれだけわかりやすくなりますよという本でもあります。「一人当たり生産性か時間当たり生産性か」という議論は時に不毛になりがちだと私は思っているのですが、時間は有限な資源であることに企業、管理職、個人が高い意識を持つことは働き方改革の大前提だろうと思います。

ビジネスガイド12月号

 (株)日本法令様から、『ビジネスガイド』12月号(通巻895号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

ビジネスガイド 2020年 12 月号 [雑誌]

ビジネスガイド 2020年 12 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/11/10
  • メディア: 雑誌
 今号の特集はやはりというべきか同一労働同一賃金をめぐる3件の最高裁判決の解説と企業対応で、光前幸一先生がていねいな解説を書いておられます。また、先日発表された副業・兼業ガイドラインについても実務解説が特集されています。
 八代尚宏先生の連載「経済学で考える人事労務社会保険」は、先般の全世代型社会保障検討会議の中間報告をふまえて、医療保険改革について論じておられます。新型コロナ禍のもと時宜を得たテーマではありますが、こういう時期に議論するのがなかなか難しいテーマでもあるでしょう。大内伸哉先生のロングラン連載「キーワードからみた労働法」は、同一労働同一賃金ではなく、これまたコロナ禍で注目された休業時の賃金保障について詳しく解説されています。